道元禅師示寂の地
京都府京都市下京区高辻西洞院町
貴族の家柄に生まれ父である藤原通親とは3歳で死に別れ、母である藤原伊子(松殿基房の娘)とは8歳で死に別れ、その母や祖母を弔うために比叡山に自ら入り坊主となっている。
愛欲と嫉妬に塗れた公家世界けら離れたく思っていたのかもしれない。母はまた、かつて2ヶ月間ほど木曽義仲の妻でもあった。松殿基房が自分の出世のために娘を義仲に売ったと言われている。
道元は功利に走る叡山の坊主に落胆し山を降り当時建仁寺に居た栄西の下で修行している。中国栄の修業から帰国後も道元は建仁寺で修業した様である。
後に興聖寺に移り、その後、永平寺に修行の地を移す。病がちになると故郷である京都に戻り亡くなっている。