大阪難波の定番観光スポットってどんなところ?とよく聞かれます。 長年住んでる私としては、観光地というより食事することろが多い印象ですが、探してみれば「観光地」と言えるところがたくさんありました! 実は普段歩いてる場所も、他府県から来た人なら観光地じゃないかなという場所もありましたので8箇所紹介していきます!
天王寺からスタートして歩いて行きました。 お昼から夕方ぐらいでまわれます。 休日にちょうどいいお散歩コースでね。七福神の朱印や色紙を買ったらより楽しめるかもしれません。
まいどまいど! 大阪府富田林市っちゅうたら、パーフェクト リバティー教団の大本庁があることでも知られ、塔「PLタワー」がシンボル的な存在となってはりまんな。 遠く離れた場所でもあのPLタワーはよう見えまんねん。 そんな富田林市では、毎年8月1日、同教団の主催する教祖祭PL花火芸術が開催され、関西一円から見物客が訪れまんねん。 嶽山の山頂付近には太平記の時代、大阪府南河内郡千早赤阪村出身の楠木正成が築城した楠木七城の一つに数えられている「嶽山城(龍泉寺城)」や楠木家ゆかりの「楠妣庵観音寺」がおまっせ。 また、嶽山城(龍泉寺城)跡のすぐそばの嶽山温泉と宿泊施設があり、温泉施設の温泉でゆっくり浸かりながら過ごし、宿泊施設の各部屋からの眺望はもちろん、建物の最上階は展望台となっているので、無料で入場することができ、富田林市内のみならず大阪平野を一望することもできる。 その他、富田林の東側は山々に囲まれた自然豊かな環境を生かして農業公園やミツバチ博物館、オレンヂ園があり、いろんな楽しみ方がありまんな。 老若男女問わず、のびのびと遊べるまち・富田林、ぜひ、参考にしてってや。 ほな、まいどおおきに!
まいど! 秋が深まり、いつもの並木道が紅葉に染まる。 そして、銀杏の葉が落ちると、本格的な冬がやってくる。 あ~、寒い寒い!! 冷たくなった手をこすりながら、毎日を過ごす皆さん! ゆっくり羽を伸ばしに温泉に行かはりまへんか? 関西では、兵庫県の有馬温泉や滋賀県のおごと温泉、和歌山県の白浜温泉などに代表されますが、実は、大阪にも温泉街が存在してたんですよ! 場所は、大阪府河内長野市。 大阪市内から近畿日本鉄道または南海電車に乗って一本。 河内地域(北河内、中河内、南河内の総称)は河内地域でも南河内の奥に位置するため、奥河内との異名をも持っています。 さて、ここ長野温泉街は、日帰りで温泉が楽しめるスポットとしてオススメ! 長野温泉街とは、河内長野市内に点在する長野温泉、錦渓温泉、天見温泉、汐ノ宮温泉などの総称。 かつては病が治る霊水として信仰を集めていましたが、大正時代に極楽寺の閉鎖に伴い、一気に衰退。 今では知る人ぞ知る秘湯となってしまいました。 有馬温泉やおごと温泉、白浜温泉などの人気観光地よりは劣りますが、昔ながらの風情が漂うかつての温泉街の雰囲気が楽しめます。
まいど! 冠位十二階や十七条の憲法を制定したこととしても知られる聖徳太子ゆかりの地・大阪府南河内郡太子町。 奈良県との県境で、生駒・金剛山地の西麓に位置するため、町内には、緑豊かな景色が広がる一方、推古天皇陵、聖徳太子廟に代表されるように、歴史の趣を感じさせる古墳の町としても知られている。 その他、日本で初めてとなる国道と呼ばれる官道・竹内街道が通り抜け、かつての面影が今に残っている。 聖徳太子は、四天王寺(大阪市天王寺区)を建立、日本最古として。 桃ヶ池(大阪市阿倍野区)にて生息していた大蛇を退治した伝説をはじめ、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺、兵庫県揖保郡太子町の斑鳩寺、兵庫県加古川市の鶴林寺など、関西地域各地に多くの伝説を残している。 そんな聖徳太子をモチーフに太子町では、マスコットキャラクターが登場。 その名も、「たいしくん」。 町内の名所である叡福寺、竹内街道、二上山などが散歩道。 さあ、たいしくんと一緒に、聖徳太子、小野妹子、推古天皇ゆかりの太子町を散歩してみまひょ!
まいどまいど! 「関西が好きやねん!」ではこれまでにホンマぎょうさんの大阪の魅力を発信してきましてんけど、今回はちょいと違う角度から、皆様にご案内していきまひょ! 古くから大阪市内のみならず、大阪府全域で愛されてきた”もの”から、大阪府を代表するマスコットキャラクター・ゆるキャラまで幅広く取り上げていきまっせ! たとえば、大阪府の広報担当副知事として活躍中の「もずやん」。 もずやんは、大阪府をはじめ、全国各地のイベントに登場し、活躍してはります。 その他、公営地下鉄としては日本初の大阪市営地下鉄でんねんけど、開業当時、実際に使用されていたという貴重な車両の写真もご紹介! また、たこ焼き・お好み焼き以外で、古くから愛されてきた「粟おこし」「岩おこし」。 和菓子の一つで、大阪府全域で愛されてまんねん。 大阪府内で開催されるイベントを中心に活躍するマスコットキャラクター・ゆるキャラもぼちぼち、ご紹介していきまんにゃわ~。 そしてまた、大阪には、「なにわ七幸めぐり」と言われる大阪の新名所も存在します。 今宮戎神社や四天王寺に含まれる大阪七福神とは違った幸せを探しに出かけまひょ!
まいど! ものづくりのまちとして全国的に有名な大阪府東大阪市には、世界で活躍する中小企業が密集してまんねん。 その一方で、日本を代表する花園ラグビー場があるさかい、全国高等学校ラグビーフットボール大会が開催されまんねん。 そして、その付近にはラグビー神社っちゅう愛称で親しまれておます吉田春日神社が鎮座。 ラグビーボールを奉納して優勝祈願するさかい、ラガーマンを中心に参拝に訪れはります。 ラグビーのまち花園を出て一駅ほど東に移動すると、太閤はん(豊臣秀吉公)が愛したとされる瓢箪と縁の深い瓢箪山稲荷神社が見えてきまんねん。 瓢箪山稲荷神社の目の前にある商店街やその付近には瓢箪の形をした看板やオブジェがあちこちに。 「うわ!瓢箪や!」「あっこにもあるで~」っちゅうて、なんや歩いてるだけで、めっちゃ楽しいなります。 その他、河内寺跡や枚岡神社が鎮座しているなど、歴史的にも貴重な遺産が数多く眠るまち「花園・瓢箪山」界隈。 あんさんもここで、ラグビーと瓢箪による不思議な不思議な”みなぎる”パワーをもろて、明日も一日、あんじょうお気張りやっしゃ~♪ ほな、まいどおおきに!
大阪城ホールでのLIVE前後に行ったところまとめ。 金欠2人が安く楽しく遊んで食べました。 楽しかったので自己満まとめですが、おすすめのところばかり! ジャニーズWESTのメンバーが撮影で訪れたロケ地も巡ってみました。 (2017.7)
まいど! 江戸時代の大坂は天下の台所。 全国から米を中心とした食材・物資が集まり、取引が活発に行われていました。 当時の大坂には全国から集まった藩の蔵屋敷が乱立、荷物を運搬する船が行き来しやすいよう、町民によって道頓堀川や長堀川など、人工の川を新たに開削した。 大阪市西区では、木材を主に取り扱う市場などが登場、経済都市・大阪としての礎を築きました。 せやけど、時は明治、大正、昭和へと移り変わり、天下の台所・大阪から工業都市・大阪へと変貌を遂げていくこととなりまんねん。 名を大大阪(だいおおさか)。 大阪には工場が乱立し、東洋のマンチェスター(煙の都)と呼ばれ、東京市を抜いて世界でも6番目に並びました。 昭和時代、船だけでなく、飛行機・鉄道・自動車へと運搬方法が多様化し、町民によって開削された長堀川は埋め立てられ、自動車が走る長堀通へと姿を変えました。 同時に世界で初めてとなるリニアモーターカーの技術を取り入れた地下鉄の長堀鶴見緑地線が開通。 今後のさらなる発展が期待されている街。 それが、大阪市西区でんねん。 岩崎弥太郎による三菱財閥発祥のまち大阪市西区を散策してみまひょ!
まいどまいど! 天から舞い降りた白鳥(天女)が水浴びをしているとき、老人の男性に羽衣を隠されてしまう。 いたずらによって羽衣を見失ってしまった天女は、天に帰ることができず・・・と言った内容で知られる、おとぎ話・昔話の天女伝説(羽衣伝説)。 実は、大阪にゆかりの地がおまっせ! 付近は住宅街が中心となってまんねやけども、高級住宅街が点在し、南海電車の引き込み線がぎょうさんある場所としても知られてまんねん。 そのうちの停車駅の一つ・伽羅橋駅には、朝鮮半島ゆかりの橋も架けられていたことから、大陸との交流が盛んにおこなわれていたのではないか、との見方もありまんな。 そんな天女伝説(羽衣伝説)ゆかりの地、大阪府高石市内には、神社や寺院、遺跡が多数、点在し、古の時代から発展してきた特徴があります。 なかでも、奈良県の東大寺の大仏建立に携わったとされる行基は、大阪府高石市生まれとして知られ、生誕の地として知られる場所には石碑も建立。 天女伝説(羽衣伝説)や行基の伝説など、歴史好きにはたまらん!スポットがぎょうさんおまっせ!
まいど! でんぼの神様として知られる石切剣箭神社(石切さん)は大阪府東大阪市に鎮座してまんねん。 「でんぼ」とは大阪弁で腫物と言う意味でんな。 今でも広く信仰を集めてはりまして、休日になったら、ぎょうさんの参詣客でにぎわおうてはります。 ほんで、「東大阪・石切はヨモギの天ぷらが名物!?」 そんな噂を聞きつけて近畿日本鉄道奈良線に乗って、石切駅にやってきた。 「石切駅」は、石切さんの最寄駅で、目の前には商店街。 昔ながらの雰囲が気漂ってる、「よもぎ」「占」と書かれた看板がぎょうさん並んでました。 っちゅうことで、よもぎの天ぷらを頬張りながら石切さんでお参りを。 途中、東大阪物産観光まちづくりセンターに立ち寄り、ここで仕入れた情報と石切ブランドセレクションで金賞を受賞した東大阪名物「おふくそば」もご紹介していきまっせ! そして、石切駅から西に向かうと、吉田駅や荒本駅で途中下車。 この周辺も大阪の下町らしい雰囲気が漂い、住宅街や工場が目立つ。 そんな街並みの中、珍しい外観デザインを持った図書館や農産物の直売所など、全国ラグビーの聖地・花園だけやない東大阪の魅力をご案内していきまひょ!
まいど! 天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の死後、豊臣方と徳川方による大阪の陣が1614年と1615年の2度勃発した。 1614年を大阪冬の陣、1615年を大阪夏の陣と呼び、戦後400年を迎えた2014年と2015年は、大阪城でイベントが開催された。 また、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」により、真田幸村が再び注目を浴びることとなり、真田幸村が歩んだ場所と軌跡を取り上げる。 大阪の陣と大阪の陣に登場する人物のゆかりの地としては、大阪城や茶臼山、三光神社、志紀長吉神社だけでなく、遠くは茨木市、堺市、柏原市、交野市など広範囲に及ぶ。 激戦が繰り広げられた古戦場から真田幸村の終焉。 そして、戦によって焼け野原となった大阪の地、焼け野原からの復興で立ち直った大阪の軌跡をギュギュギュっと凝縮し、まとめました。 古跡ファンの皆さん、戦国時代のファンの皆さんもぜひ参考にしてみてください。 1614年、1615年に、天下分け目の戦いともいうべき、豊臣家と徳川家の激戦。 まずは、大阪城を出発しましょう。
大河ドラマ史上最高傑作との声もある「真田丸」が終わってしまって真田丸ロスな日々をすごしているみなさん。嘆いていても仕方がないので真田丸にでもいって色々思いを馳せてしまいましょう。
2016年の大河ドラマ「真田丸」がいよいよ最終章に突入!舞台は「大坂の陣」へと移ってまいりましたね! 私の大好きな武将の一人でもある真田幸村こと信繁。彼の人生の終焉の地となった大阪ゆかりの地を改めて歩いてみました。現在、街はすっかり変ってしまって当時を偲ばせるものはなくなってしまいましたが、地域の方々が、豊臣家に忠義を誓い散った信繁の武士としての誇りを今なお守り、敬愛している様子はそこかしこで感じられます。 「真田丸」とは、慶長19年に勃発した大坂冬の陣の際に信繁が築いた大坂城南にあった出城(砦)。 難攻不落と言われた大坂城でしたが、唯一の弱点である城の南…上町台地と言うところに東西180mの三日月形の出城が築かれ、これを<真田丸>と呼んだのだそうです。攻め寄せて来た徳川勢の先鋒隊に鉄砲で迎え撃ち、大打撃を与えたのちに追撃し見事、勝利を勝ち取ります。この武功により、真田信繁の名を天下に知らしめることになったそうです。 「真田、日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と称された大坂の陣での信繁の足跡をご一緒に感じていただければ幸いです。
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