まいど! 大阪府の南部、泉南地域の一部に属する貝塚市は、大阪湾に面し、山々に囲まれた自然豊かな地域。 大阪湾岸にある二色の浜では毎年、夏になると、多くの海水浴客でにぎわう。 また、昔から、海との縁が深く、岸和田市を中心に全国的な注目を集める「だんじり祭」が活発でんねん。 さて、大阪湾岸で、海の風を浴びたなら、次は、南海電鉄本線貝塚駅へ移動しよう! 駅の付近をぶらぶらしていると、昔ながらの雰囲気漂う商店街や観光案内所が見えてくる。 観光案内所にて、貝塚市のことを調べたあとは、貝塚市を東西に走る水間鉄道に乗って、水間観音さんに会いに行こう! 貝塚市内の東に位置する水間寺は700年代、行基によって創建された歴史的な仏閣。 地元では、水間観音さんと呼び、親しまれ続けてきました。 広い境内には、不思議な伝説が残る滝が見えてくる。 神秘的な滝を眺め、不思議なパワーを感じることのできる、隠れたパワースポット。 閑静な住宅街と、自然豊かな山々に囲まれた貝塚市に遊びにでかけよう!
今回は元々お盆休みを利用して兵庫と大阪の西国三十三観音札所を巡る旅として企画しました。時期が時期ですから渋滞を織り込んで午前2時に自宅を出発し、欲張らない段取りを組んだところ意外にも渋滞に殆ど掛かることなく順調に進行し、昼過ぎには全予定完了。速やかにサブ案として用意しておいた「万博記念公園へ行くプラン」を実行する事になりました。この日の実際の順番は「朝食」→「花山院」→「勝尾寺」→「総持寺」→「万博」の順になります。
歴史好きにとって司馬遼太郎記念館はどうしても行きたい場所です。その数々の作品を書くためにどれだけの資料にあたっていたかを体感できます。今回は、同時に司馬遼太郎作品に登場する大坂の中心的舞台「大坂城」「真田丸」「適塾」を組み合わせてプランにしてみました。
関西私鉄沿線ぶらり旅という番組で演歌の大御所「天童よしみ」さんとももクロことももいろクローバーZの「有安杏果」さんが旅していました。 お二人の足跡を追いかけてみるのは如何でしょう。 所要時間は6時間程度らしい。
まいどまいど! 日本全国、どこを探してみても、大阪ほどおもろい街はあらへん!と、わては思てんねん。 全国的に知られてる伝説・おとぎ話の「一寸法師」や「七夕伝説・天の川伝説」も大阪が舞台なら、陰陽師で知られる安倍晴明も大阪生まれ、大阪育ち。 なんや、京都人から、「京都生まれちゃうかー?」って言われそうな気もすんねやけど、そこは、「大阪が好きやねん!」。 奈良・平城京、京都・平安京よりも古い歴史を持ったホンマの古の都・大阪が最有力説として皆さんにご紹介していきまっせ! ほんで、な、な、なんと、童謡で知られる「サッちゃん」も実は大阪生まれやそうで。 っちゅうて、なんやかんやと伝説やおとぎ話、童謡がぎょうさんあふれてる大阪やねんけど、これら以外にも、羽衣伝説(天女伝説)や真田幸村(信繁)、聖徳太子、そして、蛸が残した逸話もありまんねん。 大阪はおもろい! わての大好きな大阪、もっともっと「おもろナーレ!」。 っちゅうことで、皆さんも納得の「おでかけプラン」や思いますので、ぜひ、参考にしてってんか~♪ ほな、まいどおおきにー!
まいど! 1614年、1615年に勃発した大坂の陣の一つ「道明寺の戦い」は大阪府藤井寺市が激戦地。 玉手山公園(大阪府柏原市)では後藤又兵衛(後藤基次)によって陣が敷かれたとされ、現在も語り継がれてまんねん。 藤井寺市内には道明寺や道明寺天満宮、辛国神社、葛井寺など、藤井寺市を代表する神社や寺院が鎮座。 その他、大阪近鉄バファローズ(オリックスバファローズの前身)の本拠地として知られた藤井寺球場が存在してたっちゅうてね。 今では、学校、住宅街として整備されてまっさかい、球場跡地としての名残は一つもおへんのですけど、記念碑が建立され、ファンの間で話題となってまんねん。 過去には藤井寺市出身の有名人がいてはります。 遣唐使として派遣された井真成氏。 現在では、藤井寺市のマスコットキャラクターとして活躍してはりまんな。 その他、昔ながらの駄菓子屋さんをはじめ、全国のスーパーマーケット、コンビニエンスストアでよく目にする「乳ボーロ」卵ボーロ」「ちょぼちょぼ」は大阪前田製菓の人気商品。 ここには本社兼工場がおまして、工場内でつくられた「きなこ団子」、「みたらし団子」は人気となってまんな。
まいど! 大河ドラマ「真田丸」で注目を集めている大阪市東成区。 戦国武将・真田幸村(真田信繁)ゆかりの地として知られ、大阪の陣の勃発から400年の節目を迎えるに当たり、イベント「幸村ロード」が開催された。 付近には真田幸村が使用したとされる抜け穴と像が建立、本陣も置かれていたとされ、豊臣秀頼、徳川家康、真田幸村などの戦国ファンにとっては、人気のエリアとなっている。 また、大阪のみならず関西人にとってはなじみ深いJR西日本大阪環状線の103系がモチーフとなったビエラ玉造が誕生。 ここでは、いろんな店が立ち並んでいるが、なんといっても、あのオレンジ色が目印。 そして、大阪名物・イカ焼きをもっと気軽に楽しめるお店がある。 イカ焼きと言えば、全国的にイカの姿焼きを思い浮かべるかもしれまへんねやけど、実はちゃいまんねん。 お好み焼きやたこ焼きに代表される粉の”こなもん”のまちで誕生したイカ焼きは、粉とイカがコラボ。 牛でもなく豚でもなく、蛸でもない。 イカ本来の美味しさをそのままに生かしたイカ焼きをぜひ、皆さんの舌で味わってみてください。 さて、そんなおもろい大阪市東成区をご紹介いたします!
まいど! ものの始まりなんでも堺。 日本のものづくりにおける製造業の歴史は、堺から始まったと言っても過言ではあらへんほど、様々なものを生み出してきた。 例えば、現在でも国産自転車製造のシェアは約4割を占め、市内には工場が点在、博物館まで存在する。 かつて、中国やポルトガル、スペインなど海外との貿易(日明貿易・南蛮貿易)が盛んで、海外の文化をいち早く取り入れてきた。 戦国時代、線香、傘、鉄砲など「ものづくり」としての礎を築き、その時に訪れた宣教師ザビエルらは堺の隆盛ぶりに驚き、「東洋のベニス」と絶賛。 また、堺は日本の工場として発展してきただけでなく、「君死にたまふことなかれ」で知られる与謝野晶子、豊臣秀吉に仕えた千利休、千利休の師匠にあたる武野紹鴎らを輩出、今でも先人たちの偉業は語り継がれている。 さらに、日本最大の前方後円墳として知られる大仙陵古墳はエジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓の一つに数えられ、周辺の羽曳野市、藤井寺市を含めた地域に点在する百舌鳥・古市古墳群はユネスコの世界遺産登録に向けて動き出した。 大阪・堺はホンマええとこやさかい。
まいど! 西日本最大の経済都市である大阪市の南に位置する大阪府堺市では多くの偉人を輩出しています! 「君死にたまふことなかれ」で知られる与謝野晶子氏は堺市に生まれ、これまでの功績を「さかい利晶の杜」で保存、展示を行っています。 博物館の2階では実際に、与謝野晶子氏が過ごした実家の一部が再現されてまして、かつての時代をしのばせまんな。 また、茶人として知られる千利休氏のゆかりの地としても知られ、多くの資料を保存、展示してまんねん。 千利休を訪ねるねんやったら、博物館のすぐ目の前に屋敷跡。 ここがおススメでんな。 なぜなら、かつてはここに屋敷があったっちゅうて、今は安全のために封印されてんねやけど、井戸もまた残されてまんねん。 ほんで、それだけやおまへんねん。 千利休の師匠にあたる武野紹鴎の屋敷跡があるなど、偉人の出身地が密集してんねん、これが。 堺は古くから環濠都市、つまり、川に囲まれた安全な場所として発展し、独自の時代を築いて、今でも由緒正しき寺院、仏閣が数多く残り、その歴史の深さを改めて感じることができる。 堺のことをもっと知るならここで決まり。 堺市の中心部で楽しむ充実した一日を!
まいど! 江戸時代、京都と高野山を結ぶ街道として栄えた高野街道は、大阪府河内長野市を経由する。 旅人は1日に約8里(約32km)の道程を歩いていたという。 大阪を始点とした場合、高野山までは16里。 朝、大阪を出発すると夕方には8里目にあたるこの付近に到着することが多かった。 次第に三日市町周辺は宿場町として栄えたとか。 三日市町周辺は、旧宿場町らしい趣ある古い町屋とが立ち並び、室町時代から続く酒蔵と重要文化財に指定された建屋があるなど、かつての時代を偲ばせる。 山の様子が烏帽子に似ていることから名付けられた烏帽子形山には公園が整備され、市民の憩いの場となっている。 また、山の中腹には、烏帽子形神社が鎮座しているだけでなく、烏帽形古墳や烏帽子形城址をはじめとする伝説が残っているなど、歴史的にも深い。 今回のおでかけプランは、南海電車河内長野駅から三日市町駅までの一駅を結ぶ高野街道の一部を歩く旅。 でも、このたった一駅の街歩きにもいろんな”出会い”が待っています。 それは、街並みであったり、人の温かさであったり、様々。 さあ、ぜひ、あなただけの旅を楽しんでいきまひょ!
まいどおおきに! 北新地、道頓堀、新世界などに代表される大阪の歓楽街。 そんな都会の喧騒の近くで、大自然に囲まれた緑豊かな場所がある。 それが、千早赤阪村。 ここは、大阪府内で唯一の村で、大阪市内から電車とバスを乗り継いで約30分。 さすが、千早赤阪村! 全国的にも珍しい棚田は、現在も活躍してはりますねん。 そのほかにも、「大楠公(だいなんこう)」として知られる武将「楠木正成」の出身地として知られ、村内には、生誕地や産湯に使用された井戸などが残っている。 さらに、鎌倉幕府から悪党と呼ばれ避けられてきた大楠公。 後醍醐天皇とともに、千早城、下赤坂城など村内を中心に、いくつもの城を築きあげ、それらを総称して「楠木七城」と呼ばれた。 一部は、隣接する富田林市などにも城址が残ってんねん。 今回の千早赤阪村の旅では、そんな大楠公の歩んできた道をたどりながら、皆様にご紹介していきます。 っちゅうことで、皆さん! 村内には、一軒もコンビニエンスストアが存在してまへん。 電車も走ってへんので、昼食は、近鉄の富田林駅など主要のコンビニでこうてってや~(=買って行ってや~)!
まいど! 大阪市に隣接し、商業のまち・産業のまちとしての両面を持つ大阪府守口市を散策しまひょ! かつては、東海道五十七次の一つにも数えられる宿場町「守口宿」が存在した。 江戸時代に存在した宿場町とその付近では、当時の名残をそのままとどめている場所もあり、江戸時代の雰囲気を今に伝えている。 また、付近には、淀川が流れていたとされ、堤防「文禄堤」の名残も。 さらに、大塩の乱で知られる大塩平八郎や小説家・推理作家として知られる江戸川乱歩、菅原道真ゆかりの地として知られ、大塩平八郎の書院跡には石碑が、江戸川乱歩の住居跡、菅原道真が太宰府への左遷の途中に立ち寄ったとされる神社も。 その他、岸和田市を中心に注目を集めるだんじり祭りの熱気は大阪府全域に広がりつつあり、5月には守口市でだんじり祭りを見物することができる。 威勢のいい掛け声に自慢の装飾で御神輿が躍り、見物客を楽しませる。 だんじり祭りの主会場付近には京阪百貨店。 かつては京阪電車の車庫が存在していたため、碑が建立されている。 歴史的にも文化的にも色濃い、大阪府守口市。 さあ、さっそく、皆さんにご案内していきまひょ!
まいどまいど! たこ焼き・お好み焼きに代表される大阪名物。 大阪はそれだけやのうて、お笑いや商人の町でもあるんやね。 毎年1月10日になると、十日戎っちゅうて、9日から11日にかけての3日間、関西各地でお祭りが開催されますねん。 笹を持ち歩き、商売繁盛を願って、恵比須様のいてはる神社へ集まりまんねやけど、恵比須様のことを関西では、「えべっさん」と呼び、古くから親しまれてきました。 「えべっさん」は今宮戎だけやのうて、堀川戎、野田戎などが有名でんねんけど、もう一つ、全国に広まったものがありまんな。 それが、恵方巻。 節分の日に神様のいる方角を向いて食べると願いが叶うとされ、元々は、商売繁盛を願った大阪・船場で働く商人からはじまりましてん。 っちゅうことで、あれやこれやと歴史がありまんねやけど、十日戎や節分以外にも、楽しみ方がいろいろおまして、七福神をめぐってみるのも、どないですやろ? 大阪市内では恵比須様の他にも、大黒天様、毘沙門天様、弁才天様、福禄寿様、寿老人様、布袋尊様の七福神が宿っています。 大阪がこれまで発展してこれたのも七福神のおかげ。 七福神のご利益にあやかりまひょ!
まいど! 大阪府の南河内地域に属する大阪狭山市では、行基、弘法大師(空海)も建設に携わった狭山池が有名でんな。 狭山池は、日本最古のダム式のため池として知られ、「日本の歴史公園100選」にも選定されました。 ため池のまわりには散歩道「周遊路」が整備され、3月下旬には、早咲きのコシノヒガンが開花、4月中旬には、ヤエザクラ類が開花するさかい、長期にわたって花見が楽しめるスポットとして注目を浴びてはんねやね。 狭山池周辺には旧さやま遊園。 かつては、観覧車やプールもあったそうでして、「あ!知ってるで!」や「いっぺん行ったことがおまっせ」という大阪府民もぎょうさんいてはるのとちゃいますやろか。 1600年には北条氏盛によって狭山藩が立藩、1616年には狭山陣屋が置かれました。 大阪狭山市が発足したのは1987年のこと。 そない考えたら、めっちゃ最近のまちなんやね。 日本の歴史に大きな功績と名を刻んだ行基と弘法大師(空海)の足跡を訪ねて狭山池とその周辺を散策しまひょ! ほな、まいどおおきに!
まいど! 今もなお、歴史上の人物として人気を集める戦国武将の織田信長。 愛知県・尾張に生まれ、桶狭間の戦いに代表される戦乱を乗り越えて、明智光秀による本能寺の変で自刃するまでに大阪で過ごした織田信長。 学校で勉強する教科書には載ってへんようなホンマの歴史をご案内いたします。 織田信長のゆかりの場所といえば、生まれ故郷・桶狭間の戦いで舞台となった愛知県や本能寺の変が勃発した京都府のイメージが強いかもしれまへんが、大阪府下では、現在の大阪城公園や高層ビルが集まる大阪ビジネスパークとその周辺で勃発した石山合戦が代表されます。 石山合戦は、石山本願寺(大阪城の築城前に存在した)が舞台となり、激しい戦いが繰り広げられたといいます。 織田信長ゆかりの場所は、福島区や西淀川区など大阪市内だけでなく、茨木市、高槻市、三島郡島本町、守口市、堺市、貝塚市、和泉市、泉南市、南河内郡河南町、南河内郡千早赤阪村など、大阪府内のほぼ全域に及びます。 織田信長が大阪府内で歩んだ軌跡を今回のおでかけプランにギュギュギュ!っと凝縮。 ぜひ、皆様のおでかけプランの参考にしていただければ幸いです。
まいど! 冠位十二階、十七条の憲法を制定した皇族で政治家の聖徳太子。 「ホンマは架空の人物では?」との説もあるが、大阪市内では、日本最古の仏教寺院として知られる四天王寺の建立に携わり、周辺の勝鬘院や全興寺、堂島薬師堂の社伝にも聖徳太子という名が刻まれ、大阪府下では河内三太子、関西地域では太子建立七大寺と呼ばれる寺院仏閣が残るなど、広い範囲に影響力を持っていた。 また、実際に大阪市内を歩くと、戦勝を祈願するために訪れたとの説が残る神社が今も鎮座していたり、桃ヶ池大蛇を退治し、舎利尊勝寺で子供を助けたなど、興味深い数多くの素顔を見ることができる。 聖徳太子は、皇族で政治家であったため、地域住民から意見を聞く機会があった。 一般的には、豊聡耳を特技として、多くの人から多くの意見を聞き、後に的確な回答を行った為、機転がきく性格と考える。 さて、これだけ数多くの伝説を大阪の地に残し、大阪府南河内郡太子町の叡福寺で古墳を築造させて埋葬されたことから、奈良県の斑鳩で法隆寺を創建した以上に、大阪を愛し、大阪との縁を深めたと推測される。 今も謎多き聖徳太子の伝説をあなたの目で確かめてみませんか。
まいど! かつては、和歌山県まで続く熊野古道が通る大阪府阪南市。 山々に囲まれた自然豊かなまちに江戸時代に栄えた旧宿場町・山中宿があり、古くは参勤交代で多くの人が利用したとか。 実際に歩いてみると、随所に当時の面影が残っており、旧庄屋屋敷では、一般開放はされていないが、趣ある雰囲気を今に伝えている。 また、先述したように古くから紀州とのつながりが深く、山中宿を中心とする山中渓には八王子神を祀る山中神社が鎮座する。 そして、そんな古い街並みの中に、小さなお子様から楽しめるわんぱく王国があり、展望台からは、大阪湾だけでなく、淡路島、明石海峡大橋などを一望することができる。 一方、大阪湾に面した地域では、今も浪花酒造で、地酒が製造されており、「大吟醸浪花正宗」は全国新酒鑑評会で金賞を受賞、酒蔵も登録有形文化財に指定され、話題を呼んでいる。 周辺を散策すると、本願寺尾崎別院、尾崎神社を代表とする寺院仏閣、神社が鎮座しており、木造建築の古い民家が点在しているため、寺内町が形成されてきたと考える。 海と山の両方を兼ね備えた阪南市の魅力発掘に出かけよう!
まいど! 日本で初めてシンクロナイズドスイミングが行われたのは、大阪府堺市西区にある浜寺公園のプール。 当時は、どれほど画期的な競技であったのか、プールを眺めながら、想像しつつ、公園内を散策する。 浜寺公園は、大阪府堺市西区から高石市にまたがるほどの広々とした公園で、大阪湾と松林に囲まれた自然豊かな雰囲気。 年間を通じて、市民の憩いの場として親しまれている。 最寄の浜寺公園駅は、難波から走る南海電車本線の停車駅の一つ。 実はこの浜寺公園駅も国の登録有形文化財に指定された貴重な建築物として知られ、100年以上の歴史を持っている。 趣ある昔ながらの駅舎を眺めつつ、浜寺公園内にある売店・レストハウスにて一服。 定食だけでなく、バーベキューも可能なので、ぜひ! そして、次におすすめなのが、日本武尊、平清盛、与謝野晶子ゆかりの大鳥神社。 白鳥の伝説を残し、全国の大鳥神社の総本社として知られ、信仰を集めている。 線香や自転車、刃物、鉄砲など、「もののはじまりなんでも堺」とも言われた大阪府堺市。 中心部の堺区とはまた違った雰囲気を楽しむことができるのが、ここ大阪府西区。 今度の休日にはぜひ堺へ!
まいど! 大阪府羽曳野市を中心に地元で愛され続けている郷土料理「かすうどん」を皆さんにご紹介いたしまひょ。 皆さん、「かす」っちゅう意味を知ってまっか? くれぐれも言うときますけど、大阪弁でいう「アホ!ボケ!カス!」のカスとちゃいまっせ(笑) そこだけは勘違いせんといてください。 さて、今回、ご紹介する「かす」とは、ウシの部位の一部、ホルモンを使用したもので、脂が抜けるまでじっくりと素揚。 余分な脂質がスッと抜けて、本来の肉の旨みがギュギュギュと凝縮されるわけやねん。 せやさかい、お肌にも優しいコラーゲンたっぷりやっちゅうことで、評判でんねん。 っちゅうことで、悪い意味やおまへん。 皆さん、次回からは、「アホ!ボケ!ウシ!」と仰ってください。 あ、ちゃうちゃう(笑) そういう話ちゃうねん。 本来、大阪府羽曳野市っちゅうのは、多くの古墳が現存する歴史的にも文化的にも重要な場所の一部でして、特に応神陵古墳は、大阪府初の世界遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群にも指定されてまんねん。 ほな、わてと一緒に大阪府羽曳野市を散策しまひょか~♪
あべのハルカスのすぐ近くに、聖徳太子ゆかりの聖地があります。四天王寺は、推古天皇の時代、聖徳太子が鎮護国家と衆生救済のため建立したといわれています。都会の中にありながら、奈良の法隆寺を思わせる、飛鳥時代風の建物が整然と立ち並んでいます。四天王寺は、何度も戦災、天災で焼失しては、みごとに復興を遂げました。建物のほとんどは戦後の再建ですが、中には江戸時代の風格ある建物も…。鐘の音が鳴り響き、線香の香りが漂う信仰の寺です。昔からの太子信仰を感じさせるスポットや、伝説の不思議スポットも…。一方、美しい庭園あり、寺宝の数々を展示する宝物館あり、見どころも多く、楽しいお参りのできるお寺です。周辺のお勧めスポットも併せて紹介します。四天王寺の近くには、新旧二つの美術館があり美術館めぐりも楽しいです。
ログイン