大鳥大社で鳳だんじり祭り。シンクロナイズドスイミング発祥の浜寺で遊ぶ大阪府堺市西区
大阪大鳥大社で鳳だんじり祭り。シンクロナイズドスイミング発祥の浜寺で遊ぶ大阪府堺市西区
まいど! 日本で初めてシンクロナイズドスイミングが行われたのは、大阪府堺市西区にある浜寺公園のプール。 当時は、どれほど画期的な競技であったのか、プールを眺めながら、想像しつつ、公園内を散策する。 浜寺公園は、大阪府堺市西区から高石市にまたがるほどの広々とした公園で、大阪湾と松林に囲まれた自然豊かな雰囲気。 年間を通じて、市民の憩いの場として親しまれている。 最寄の浜寺公園駅は、難波から走る南海電車本線の停車駅の一つ。 実はこの浜寺公園駅も国の登録有形文化財に指定された貴重な建築物として知られ、100年以上の歴史を持っている。 趣ある昔ながらの駅舎を眺めつつ、浜寺公園内にある売店・レストハウスにて一服。 定食だけでなく、バーベキューも可能なので、ぜひ! そして、次におすすめなのが、日本武尊、平清盛、与謝野晶子ゆかりの大鳥神社。 白鳥の伝説を残し、全国の大鳥神社の総本社として知られ、信仰を集めている。 線香や自転車、刃物、鉄砲など、「もののはじまりなんでも堺」とも言われた大阪府堺市。 中心部の堺区とはまた違った雰囲気を楽しむことができるのが、ここ大阪府西区。 今度の休日にはぜひ堺へ!
南海電車本線の駅舎。 1907年、辰野金吾の設計により、木造平屋建ての洋風駅舎として建設された。 1998年、国の登録有形文化財に登録。 第1回、近畿駅百選選定駅。 2007年、建造から100年目を迎え、私鉄最古の駅舎となった。 柱や梁を表に現したハーフティンバー様式で造られている。 かつての一等待合室は現在「浜寺ステーションギャラリー」として使用されている。 1900年、鉄道唱歌第5集(関西・参宮・南海篇)59番の歌詞にて、当駅が登場する。
約5500本の松林で知られ、日本の名松100選に選定。 古くから沿岸部には松林が広がっていた。 和泉海岸は、白砂青松で知られ、浜寺公園もその一部となっている。 1700年代、付近の住民らが防潮のために植樹した。 1873年、日本最古の公立公園として開園。 1905年、日露戦争が勃発し、ロシア兵俘虜収容所が建てられた。 1945年、アメリカ軍の管理下に置かれたが、その後、返還された。 浜寺プールは国内におけるシンクロナイズドスイミングの発祥の地として知られ、夏になるとにぎわいを見せる。 園内では、ばら庭園、中央花壇、交通遊園などがある。
与謝野晶子出身地として石碑が建立
堺市出身の与謝野晶子氏のゆかりの地として知られ、句碑が存在する。
かつては複数、存在したという売店も閉店し、現在は1店舗のみとなっている。 ここでは売店の他、食堂もあり、テレビを見ながら、ゆっくり過ごすことができる。 食堂はセルフサービスで水やお茶が無料で完備。 今回は豚カツ定食を注文した。
別名、大鳥大明神、大鳥大神宮など呼ばれる。 全国の大鳥神社、「大鳥信仰」の総本社とされる。 祭神、日本武尊、大鳥連祖神。 日本武尊は西征して熊襲を平定し、東征して東国を平定したが、伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野でこの世を去った。 その地で埋葬されたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいった。 途中、大和国琴引原、河内国古市に降りたが、最後に大鳥の地に舞い降りた。 そして、この地に、社を創建し、現在の大鳥大社となる。 神域は千種森と呼ばれ、白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったと言われる。
日本武尊
日本武尊は西征して熊襲を平定し、東征して東国を平定したが、伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野でこの世を去った。 その地で埋葬されたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいった。 途中、大和国琴引原、河内国古市に降りたが、最後に大鳥の地に舞い降りた。 そして、この地に、社を創建し、現在の大鳥大社となる。 神域は千種森と呼ばれ、白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったと言われる。
与謝野晶子
与謝野晶子氏は、大阪府堺市出身として知られ、今も絶大な人気を誇っている。 ある日、当地に立ち寄り、以下の歌を残している。 「和泉なる わがうぶすなの 大鳥の宮居の杉の青き ひとむら」
平清盛
1159年、平清盛、重盛父子が熊野参詣の途中、都で兵乱があるとの情報を耳にする。 都に帰る途中、当地に立ち寄り、戦勝を祈願して、以下の歌を残している。 『かひこぞよ かへりはてなば 飛びかけり はぐくみたてよ大鳥の神』。
飲食店や雑貨店などが立ち並ぶ。 また、鳳本通商店街は京都から大阪を経て、和歌山県の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)まで続く街道の一部で、江戸時代には多くの参詣客で行き交っていた。
商店街の中央付近にある北王子会館では熊野街道に関する石碑が建立され、熊野街道は伝説「小栗判官と照手姫」にちなんで小栗街道とも呼ばれていたこと、付近に鎮座する大鳥神社は九十九王子と言われる神社の一つ「大鳥居王子」があったとされることなどから、次第に商店街が形成されていったと考えられる。 大鳥大社では毎年10月に、鳳だんじり祭りが催され、岸和田のだんじり祭りに次ぐ人気を集めている。 堺のだんじりは江戸時代から続くとされ、だんじりの発症ともいわれている。
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別名、百舌鳥耳原南陵、上石津ミサンザイ古墳、石津ヶ丘古墳。 百舌鳥古墳群を構成する古墳の一つで前方後円墳。 墳丘長約365m、高さ約27.6m。 400年代、築造。 陵墓は、第17代履中天皇とされる。
履中天皇陵古墳
全国で大仙陵古墳(大阪府堺市)、誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)に次ぐ第3位の規模。