
くいだおれのまち大阪で笑う門には福来る「大阪七福神」をめぐりまひょ!
大阪くいだおれのまち大阪で笑う門には福来る「大阪七福神」をめぐりまひょ!
まいどまいど! たこ焼き・お好み焼きに代表される大阪名物。 大阪はそれだけやのうて、お笑いや商人の町でもあるんやね。 毎年1月10日になると、十日戎っちゅうて、9日から11日にかけての3日間、関西各地でお祭りが開催されますねん。 笹を持ち歩き、商売繁盛を願って、恵比須様のいてはる神社へ集まりまんねやけど、恵比須様のことを関西では、「えべっさん」と呼び、古くから親しまれてきました。 「えべっさん」は今宮戎だけやのうて、堀川戎、野田戎などが有名でんねんけど、もう一つ、全国に広まったものがありまんな。 それが、恵方巻。 節分の日に神様のいる方角を向いて食べると願いが叶うとされ、元々は、商売繁盛を願った大阪・船場で働く商人からはじまりましてん。 っちゅうことで、あれやこれやと歴史がありまんねやけど、十日戎や節分以外にも、楽しみ方がいろいろおまして、七福神をめぐってみるのも、どないですやろ? 大阪市内では恵比須様の他にも、大黒天様、毘沙門天様、弁才天様、福禄寿様、寿老人様、布袋尊様の七福神が宿っています。 大阪がこれまで発展してこれたのも七福神のおかげ。 七福神のご利益にあやかりまひょ!
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商売繁盛の神様「えべっさん」として知られ、毎年1月9日から11日にかけて十日戎が開催される。 祭神は天照皇大神、事代主神、素盞鳴命、月読尊、稚日女尊の5柱。 摂社祭神は大国主命、五男三女八柱神。 末社祭神に宇賀御魂神。 1980年、福娘発表会が始まった。 過去の福娘には古川圭子、松井愛、藤原紀香、福元英恵、進藤晶子、角田華子、丁野奈都子、橋詰優子、大浦理子などがいる。 えびす娘は、毎年選ばれる福娘選考会の決勝まで勝ちのこった者で、神社での福笹授与を行う。 大阪七福神「恵比須様」。
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1890年、現在の社名となった。 「大阪七福神」の1つ『木津の大国さん』で知られる「大国主神社」は「敷津松之宮」の摂社である。 この大国主神社は1744年、出雲大社から勧請されたと伝えられる。 毎年1月9日から11日には大国まつりが行なわれる。 境内には木津勘助の銅像と折口信夫の歌碑がある。 大阪七福神「大黒天様」。
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1500年代、天王寺牛が崎にあった崑崙山宝満寺の子院で新坊と称した。 再三の戦火を罹り、秀言律師が本尊を奉じて各地に流寓し、本坊は廃絶、大乗坊のみ再建。 宝及律師が船場の豪商灰屋善兵衛の別荘を寺とし、現在地に移転。 1860年、堂島の米問屋二川家の寄進により、長町の毘沙門堂と親しまれる。 かつて、信貴山、鞍馬山、北山本山寺と並んで日本四毘沙門天の1つに数えられた。 毘沙門天は秘仏。 従来、60年に1度の開帳であったが、現在は毎年春秋2回(5月と11月の第2日曜)開帳される。 大阪七福神「毘沙門天様」。
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通称、日本橋聖天。 薬師如来、聖観音・歓喜天(聖天)・不動明王・弘法大師、弁財天・不動明王・地蔵菩薩などを祀る。 聖徳太子が志宜野(大阪市城東区鴫野)に法案寺を建立。 建立した場所の地名を元に山号を「志宜山」、寺号を「法案寺」とした。 神仏習合により、生玉明神と習合、神宮寺の別当となったが衰退し、松永政廣が称光天皇の勅命を受け、法案寺の再興に尽力。 法案寺第3世・正教が蓮如に帰依した為、蓮如が法案寺の敷地に石山本願寺を建立、後に寺地を譲渡。 当初、法円坂付近に位置していたが、生玉町に移転。 明治時代、神仏分離により法案寺住職・栄達は当地に復興再建。 大阪七福神「弁才天様」。
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1579年、豊臣秀頼の武運長久を祈るため淀君の命で、片桐且元並びに大野修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立。 1712年、焼失したが、復興した。 淀君が建立した本堂、大門等は奈良西之京・薬師寺に移され、現在は慈恩院として活用されている。 淀屋辰五郎が寄進した客殿は奈良・樫原市の愛和之道本部に、鐘楼は茨木市・妙徳寺に、妙見堂は池田市・本養寺に、小門は能勢・安隠寺に移築、現存している。 尚、境内の墓地には赤穂浪士の1人に数えられる原惣右衛門の墓がある。 大阪七福神「福禄寿様」。
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天照大神・月読尊・素戔鳴尊を祀る。 400年頃、創建された。 1661年、鎌八幡の隣に遷座したが、1706年に現在地へ戻ったと言う。 かつては姫山神社と称し、一帯は姫の松原と呼ばれていた。 中風封じの神として知られる青麻神社(宮城県仙台市)を勧請した。 1908年、姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、社名を「三光神社」とした。 3柱の神を祀ることから三柱神社や、日月山神社とも呼ばれている。 鎮座地の丘は宰相山とも真田山とも呼ばれ、かつては大坂城の出城が置かれていた。 大阪七福神「寿老神様」。
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「金光明四天王大護国寺」とも呼ばれている。 593年、聖徳太子は摂津難波の荒陵で四天王寺の建立を開始する。 1946年、天台宗に属したが、「日本仏教の最初の寺」として、和宗総本山となった。 四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び本格的な仏教寺院としては国内最古である。 当初、四天王寺は大阪市中央区玉造の岸辺にあった。 大阪七福神「布袋尊様」。