
高校ラグビーの甲子園・花園。ラグビーボールと瓢箪で有名な神社を訪ねながら東大阪を旅しよう
大阪高校ラグビーの甲子園・花園。ラグビーボールと瓢箪で有名な神社を訪ねながら東大阪を旅しよう
まいど! ものづくりのまちとして全国的に有名な大阪府東大阪市には、世界で活躍する中小企業が密集してまんねん。 その一方で、日本を代表する花園ラグビー場があるさかい、全国高等学校ラグビーフットボール大会が開催されまんねん。 そして、その付近にはラグビー神社っちゅう愛称で親しまれておます吉田春日神社が鎮座。 ラグビーボールを奉納して優勝祈願するさかい、ラガーマンを中心に参拝に訪れはります。 ラグビーのまち花園を出て一駅ほど東に移動すると、太閤はん(豊臣秀吉公)が愛したとされる瓢箪と縁の深い瓢箪山稲荷神社が見えてきまんねん。 瓢箪山稲荷神社の目の前にある商店街やその付近には瓢箪の形をした看板やオブジェがあちこちに。 「うわ!瓢箪や!」「あっこにもあるで~」っちゅうて、なんや歩いてるだけで、めっちゃ楽しいなります。 その他、河内寺跡や枚岡神社が鎮座しているなど、歴史的にも貴重な遺産が数多く眠るまち「花園・瓢箪山」界隈。 あんさんもここで、ラグビーと瓢箪による不思議な不思議な”みなぎる”パワーをもろて、明日も一日、あんじょうお気張りやっしゃ~♪ ほな、まいどおおきに!
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1992年、「ラグビーのまち」東大阪をPR。 「力強さ・たくましさ」「連帯性・団結力」「友情・すがすがしさ」をアピール。 趣味は、ラグビー。 性格は、心優しくて人懐っこい。 好きな食べ物は、カレーパン(ラグビーボール型)。 年末年始、全国高等学校ラグビーフットボール大会が開催される近鉄花園ラグビー場等で活躍する。 その他、東大阪市のイベントに登場!
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高校野球といえば甲子園(兵庫県西宮市)。 高校ラグビーといえば、花園(大阪府東大阪市)のように、全国的に注目を集めるラガーマンの聖地。 市内に鎮座する吉田春日神社ではラガーマンゆかりの神社として知られ、多くのラグビーボールが奉納。 そんな中、最近、ラグビーの街、東大阪市でラガーマンなどを中心に注目を集めているのが、東大阪市役所。
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展望ロビー
特に最上階である22階は展望ロビーとなっていて、東大阪市内はもちろん、大阪平野を一望することができる(一部、撮影禁止エリアも)。
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展望ロビー
特に最上階である22階は展望ロビーとなっていて、東大阪市内はもちろん、大阪平野を一望することができる(一部、撮影禁止エリアも)。
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展望ロビー
特に最上階である22階は展望ロビーとなっていて、東大阪市内はもちろん、大阪平野を一望することができる(一部、撮影禁止エリアも)。
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ラグビーワールドカップ2019花園開催に向けて
ラグビーワールドカップ2019花園開催に向けて。
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ラグビーワールドカップ2019花園開催に向けて
ラグビーワールドカップ2019花園開催に向けて。
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ラグビーワールドカップ2019花園開催に向けて
ラグビーワールドカップ2019花園開催に向けて。
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展望ロビーの一角にレストラン「スカイラウンジ22」。
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ハンバーグ料理
メキシコ料理をはじめ、和牛のステーキ、パスタ料理、ピッツァ、そして、ハンバーグ料理を味わうことができる。
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ラグビーめし
ラグビーワールドカップ2019花園開催に向けてラグビー選手や観戦客をもてなす東大阪独自のおもてなしメニュー「ラグビーめし」。 「ラグビーめし」は一般公募での募集があり、3品に選定。 牛肉に春菊、紅生姜など華やかな色合いのすきやき風花園うどんなど、ランチタイムのみ楽しむことができる。
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花園丼
ラグビーボール型のメンチカツとトマト、小松菜などで彩った花園丼。
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東大阪ラグカリー
牛すじカレーとどて焼きのあいがけの東大阪ラグカリー。
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付近には、近鉄花園ラグビー場がある。 憩いの場として親しまれている。 園内には、桜の広場、花菖蒲園、多目的球技広場、花園中央公園野球場などが整備されている。
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1929年、日本初のラグビー専用スタジアムとして開場した。 ラグビーチーム「ジャパンラグビートップリーグ」のフランチャイズスタジアムとなっている。 また、全国高等学校ラグビーフットボール大会の会場として有名である。 1991年、現在のスタジアムは完成した。 メインスタンドは全面屋根架設、3万人の収容が可能。
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1720年、奈良県・春日神社の祭神を勧請、建立。 古くは「松の宮」と称され、当地の先祖を神として祀っていた。
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ラグビー神社
別名、ラグビー神社と呼ばれている。
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ラグビーを奉納
付近には近鉄花園ラグビー場があり、境内には、ラグビーボールが奉納されている。 ラグビー大会の開催期間中、関係者が参詣に訪れると言う。 また、全国唯一のラグビー守袋を扱っている。
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祭神は、天児屋根大神、比売大神、武甕槌大神、斎主大神。 当社から春日大社に勧請されたため、「元春日社」とも称される。 後に春日大社から武甕槌大神、斎主大神を勧請した。 神津岳の頂が平らな丘となっていたことから、平岡と呼ばれ、現在の枚岡の由来となった。 また、周辺の枚岡梅林は、かおり風景100選に選定されている。
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600年代、渡来系氏族「河内直」により氏寺として建立された。 遺跡のすぐそばには、皿池遺跡がある。 発掘調査の結果、塔、金堂が南北に並ぶ四天王寺式伽藍配置が復元。
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付近には、瓢箪山古墳、瓢箪山稲荷神社が鎮座している。 商店街では愛称として、「ジンジャモール瓢箪山」、「スマイル瓢箪山」などと呼ばれている。
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瓢箪山駅前案内板
商店街の各所に展示された案内板には東大阪市の歴史や文化などを今に伝えている。
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一つの場所に複数の瓢箪
瓢箪の形をしたオブジェが目立つ。
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地域の交流の場にも瓢箪
瓢箪山駅前にはいろんなところに瓢箪のオブジェが飾られている。 目で見て楽しんで。 ぜひ皆さんの目でも見つけてみてください。
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日本三稲荷の一つに数えられる。 辻占総本社として知られている。 主祭神は若宇迦乃賣命。 1584年、豊臣秀吉によって大坂城を築城の際、伏見桃山城から「ふくべ稲荷」を勧請し、創建。 付近にある小高い丘は、古墳時代に造営された双古墳で、通称「瓢箪山古墳」と呼ばれている。 形状が瓢箪に似ていることから、「瓢箪山」が地名として呼ばれるようになった。 江戸時代、東高野街道では、辻占いが人気を呼んでいた。 明治時代、宮司が「辻占」を創始し、現在に至る。
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別名、発掘ふれあい館とも呼ばれている。 発掘調査の拠点としての役割を果たすだけでなく、出土した遺物などを保管、公開展示を行っている。 遺跡から発掘・復元された土器に実際に触れることができる。 古代の装飾品の勾玉・土器づくり、火おこしなどを体験できる。
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店内は、比較的に明るく、落ち着いた雰囲気。
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チキン、ハンバーグ、ステーキなどが楽しめる。
ランチはちょっぴり贅沢に1050円。
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約2万年前から昭和時代までの重要な考古資料、歴史資料を保存、展示している。 旧石器時代の石器をはじめ、縄文時代、弥生時代と続く。
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ふれあいマップ東大阪市
「ものづくりのまち」として知られる東大阪市には優れた技術を持った企業が多く集積している。 その一方で自然豊かな一面を持ち、多くの山々が連なっている。 また、市内には古い歴史を持った神社、寺院、古墳があり、一大観光地となっている。
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600年代、築造された。 直径約15mの円墳で、双円墳や上円下方墳も含まれる。 かつては100基以上存在していたが、住宅開発などで消滅した。 現在は約70基、確認されている。 基本的に横穴石室を持ち、副葬品として馬具類が発見されている。 付近は、騎馬を飼育していた馬飼部を率いた渡来系氏族の勢力地とされる。
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祭神は、瓊瓊杵尊、木花開耶姫命。 創建時期など詳細は不明となっている。 瓊瓊杵尊とは、神武天皇祖神である。 神武天皇孔舎衛坂の戦いで、この地に訪れたが強風、高波により、梶が折れた。 舟はやがて漂流し、小丘に漂着。 この船山の地に祖神である瓊瓊杵尊を祀ったという。 当初は字梶無に鎮座し、「船山明神」と称していた。
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東高野街道とは、京都と高野山とを結ぶ街道として知られている。 高野街道のなかでは、東側に位置する。 一里塚は中国が起源。 江戸時代、街道に沿って一里(約4km)ごとに塚を築いて大樹を植樹、一里の目印にしたと言う。 また、旅人は木陰で体を休めていた。
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若江という名称は、河内国若江郡に由来。 古くは当地で旱魃があり、農作物が大被害を受ける可能性が高まった。 この時、大般若経を唱和し雨乞いの祈願をしたところ、清水が湧き出し、農作物が救われたことから、大般若経の「若」と清水の源という意味の「江」をとり、若江郡と称せられたという。 一説では、当地は古代、河内湖があり、入り江のひとつが「若江」という名であったとか。 1382年、河内守護となった畠山基国の命で築城。 当初、守護所として、政治機能のみの城であった。 1379年、南朝から北朝に帰順していた楠木正儀が康暦の政変により、支援者の細川頼之が失脚、再び南朝に帰参したことからそれに備える為であった。
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若江城址
周辺は大和川の本流と大和川支流玉串川がある為、この2つの大河を天然の外堀とした。 旧楠根川は、内堀へと水を供給、若江城内への水運の便を提供。 河川の整備と河内街道、十三街道(俊徳道)の整備が行われた。 担当は、遊佐長護、遊佐国長、畠山氏譜代の斎藤基則、斎藤利宗、門真小三郎、河内国人の萱振氏、畠山氏譜代の遊佐五郎、稲生平左、稲沢小四郎、吹田孫太郎、三宅四郎ら、遊佐基光、神保肥前守、誉田氏、槇嶋氏ら。
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若江には、吉左衛門、孫六、理兵衛、善右衛門と名乗る美女堂氏の四家があった。 祖先は貴族に仕えていたが、家は没落し、農家になった。 太田公は大坂の城代となり、孫六はこれを聞きつけて仕官し、沢右衛門と改称、駿府(静岡)に移ったが再び、大坂の城代となった。 祖先の地を訪問したところ、吉左衛門のみが存命。 その吉左衛門は、「あの、生い茂ってる老松のあたりが勝興の住居跡です。あの、さらさらと流れている川を美女堂川といいます。舟をとめたり、また、田が入りまじってるあたりを美女堂田と申します。人々は皆、昔ながらの呼び方をし、今でもなお、そう言ならわしております。」と懐かしみ、涙を流した。
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木村重茲の子、母の宮内卿局は豊臣秀頼の乳母となった。 豊臣家の重臣となり、豊臣姓を与えられる。 豊臣家と徳川家康との関係が険悪になると、大野治長・渡辺糺らと共に開戦を主張、片桐且元を大坂城からの追放に成功した。 大坂冬の陣では、後藤基次とともに今福砦攻防戦を展開。 大坂夏の陣では、豊臣軍の主力として長宗我部盛親とともに八尾・若江(東大阪市南部)方面に出陣。 八尾方面には長宗我部盛親、若江方面には重成が展開、藤堂高虎、井伊直孝の両軍と対峙した(八尾・若江の戦い)。 藤堂軍の右翼を破った重成は、散開していた兵を集め、敵の来襲を待ち構えた。 敵陣へと突撃を開始するも、井伊軍との激戦の末に戦死した。
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祭神は大伊迦槌火明神・足仲彦命で、気長足姫命を配祀するかたちで三神を祭っている。 創建時期など詳細は不明となっている。 かつて付近には、若江城があったとされ、その関係で、歴代城主の崇敬を受けていたとか。 1615年、大坂夏の陣が勃発し、兵火によって焼失した。 1828年、本殿が再建。
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かつて、大坂冬の陣で活躍した武将、木村重成ゆかりの地として知られ、付近には本陣が置かれていた。 そんな歴史観点から、本陣の中心地には木村重成の像が安置され、付近に位置する当寺院の境内では重成の肖像画を安置した位牌堂も存在する。
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1991年、近鉄玉川工場跡地を有効活用したショッピングセンター「近鉄ハーツ」が開業。 「生活遊楽村」をテーマに、複数のディスカウント系専門店が入居する日本初の「パワーセンター」形態を採用。 それぞれのテナントは基本的に独立した建物に入居した。 2010年、閉鎖された。 2011年、インテリア・家具を販売するニトリが初めて運営するショッピングセンター「ニトリモール東大阪」が開業した。