天女伝説(羽衣伝説)ゆかりの地を散策
大阪天女伝説(羽衣伝説)ゆかりの地を散策
まいどまいど! 天から舞い降りた白鳥(天女)が水浴びをしているとき、老人の男性に羽衣を隠されてしまう。 いたずらによって羽衣を見失ってしまった天女は、天に帰ることができず・・・と言った内容で知られる、おとぎ話・昔話の天女伝説(羽衣伝説)。 実は、大阪にゆかりの地がおまっせ! 付近は住宅街が中心となってまんねやけども、高級住宅街が点在し、南海電車の引き込み線がぎょうさんある場所としても知られてまんねん。 そのうちの停車駅の一つ・伽羅橋駅には、朝鮮半島ゆかりの橋も架けられていたことから、大陸との交流が盛んにおこなわれていたのではないか、との見方もありまんな。 そんな天女伝説(羽衣伝説)ゆかりの地、大阪府高石市内には、神社や寺院、遺跡が多数、点在し、古の時代から発展してきた特徴があります。 なかでも、奈良県の東大寺の大仏建立に携わったとされる行基は、大阪府高石市生まれとして知られ、生誕の地として知られる場所には石碑も建立。 天女伝説(羽衣伝説)や行基の伝説など、歴史好きにはたまらん!スポットがぎょうさんおまっせ!
高石市のマスコットキャラクター「てんにょん」。 天から舞い降りた白鳥(天女)が水浴びをしているとき、老人の男性に羽衣を隠されてしまう。 いたずらによって羽衣を見失ってしまった天女は、天に帰ることができず・・・ といった「羽衣伝説」の天女がモチーフ。 この日は、羽衣を身に着けている。 大阪・難波「大阪ご当地うまいもん展」のほか、高石市のイベントに登場!
祭神は、少名彦名命、天照大神、熊野坐神。 創建時期など、詳細は不明となっている。 一説によると、600年代に創建。 船乗りの願成就であるお礼相撲が、近年まで奉納されていた。
「行基生誕の地」の石碑には「行基に連なる大工集団が千歯扱きを考案した、その大工集団は徳川末期まで京都御所の御用大工となった、高度な大工技術を駆使して高石地区の住宅建設を請け負っていた」と刻まれている。 行基は、600年代、父・高志才智、母・蜂田古爾比売の長子として生まれる。 15歳で出家し、飛鳥寺で法相宗などの教学を学んだ。 大仏建立に協力し、東大寺の大仏造造営の勧進に起用。 仏教界における最高位である「大僧正」の位を日本で初めて朝廷より贈られた。
高師浜駅付近にある碑。 1904年、日本とロシアによる日露戦争が勃発。 約8万人の捕虜がロシアから日本に送られ、うち約2万人が浜寺に収容されたと言う。 1899年、オランダ・ハーグで第1回万国平和会議が開催、日本も参加した。 当初はテントに収容していたが、居住棟を建設し、診療所、礼拝堂、食品工場、日本語教室などを設置した。 1906年、ロシアへ送還された。 現在は取り壊され、閑静な住宅地となっているが、碁盤の目のように区画された道路は収容所の名残と言う。
大阪府堺市に鎮座する大鳥大社の摂社として知られている。 かつて大鳥浜神社と呼ばれた。 祭神は、両道入姫皇女。 700年代に創建。 井戸の守大明神とも呼ばれ、手水舎の井戸水は古来霊泉として知られる。 また、この付近一帯は羽衣伝説の残る地である。 羽衣伝説とは、天から舞い降りた白鳥(天女)が水浴びをしているとき、老人の男性に羽衣を隠されてしまう。 いたずらによって羽衣を見失ってしまった天女は、天に帰ることができず・・・と言った内容で知られる。
羽衣遺跡
古墳時代から奈良時代にかけての土器や蛸壺などが出土。
大阪府高石市を流れる芦田川に架かっていた橋梁。 江戸時代、木製の伽羅橋は旧紀州街道の一部として知られる。 橋板が香木の伽羅であったことから、伽羅橋と命名。 または、朝鮮半島の「大伽羅」から日本に渡来して、この付近に居住。 その後、この橋を建設したとの説もある。
伽羅橋
1865年、石造りに付け替えられたがその後、高砂公園に移設された。
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運動広場として親しまれ、野球、サッカーなどが楽しめる。 また公園内には、かつて使用されていた伽羅橋が保存されている。 伽羅橋とは、大阪府高石市を流れる芦田川に架かっていた橋梁。 江戸時代、木製の伽羅橋は旧紀州街道の一部として知られる。 橋板が香木の伽羅であったことから、伽羅橋と命名。 または、朝鮮半島の「大伽羅」から日本に渡来して、この付近に居住。 その後、この橋を建設したとの説もある。 1865年、石造りに付け替えられたがその後、高砂公園に移設された。