まいど! 大阪府の北部にあり、京都府と兵庫県の県境に位置する豊能郡。 豊能郡には豊能町と能勢町の2町があり、山々に囲まれた自然豊かな地域であることが特徴で、高層ビルや工場、住宅街が目立つ大阪平野とはまた違った景色を楽しむことができまんねん。 そんな地域をドライブしていると見えてきたのは道の駅「くりの郷」。 ここで、地域の情報発信・観光案内で情報収集、地域名産、特産のお土産を品定めつつ、古くから伝わる伝統「浄瑠璃」を心行くまで楽しむことができる淨るりシアター、能勢頼次氏ゆかりの妙見山など、有意義なドライブを楽しむことができまっせ。 特に妙見山近くにある豊能町観光案内所でも周辺地域の情報発信や観光案内も。 近くで見つけたかめたに本店では全国的にも珍しい猪肉を獅子鍋うどんとして頬張り、能勢名物のサイダーで〆るのもアリ。 また、古くから高槻城主でキリシタンであった高山右近の生誕の地として知られ、町内にある右近の郷には右近にまつわる像が建立。 その他にも、山道をゆっくり進みながら、いろんな街を旅し、景色を楽しみまへんか。
まいどまいど! 皆様にお勧めしたい絶景スポットが大阪府箕面市にはおまっせ! 自然豊かな公園があり、秋になると紅葉が楽しめて、冬になると温泉が楽しめる、そんな素敵なスポットがありましてん! 箕面市を代表するスポットといえば箕面公園。 山々に囲まれた素敵な公園内には、箕面川が流れ、奥には臨場感あふれる滝。 滝と紅葉の景色、そして、お友だち、ご家族とご一緒に記念撮影を楽しみながら、散策もいかがでっしゃろか。 「富くじ」「宝くじ」の発祥地として知られる瀧安寺で歴史を感じて。 野口英世ゆかりの地を旅して。 最後に旅の疲れを癒すなら、大江戸温泉物語「箕面温泉スパーガーデン・箕面観光ホテル」。 温泉でゆっくり過ごして、ミュージカル・お笑いを楽しんで、美味しいランチ・ディナーを楽しんで。 紅葉のてんぷらが名物やけど、柚子の入ったコロッケや紅葉色に染まったねり天も頬張りながら、箕面市の地ビールを味わってみるのも、箕面旅。 そして、最上階から眺める大阪平野を一望しながら、皆様にとって最高のひと時を。 さらにアウトドアブランド・スノーピークが運営するキャンプ場もおまして非日常体験ができまっせ。
まいど! 東大阪市にはかつて東洋のハリウッドと呼ばれた帝国キネマの撮影所が2か所ありましてん。 当時は世界に名を轟かせるほどの影響力を持ってはりましてんけど、時代の流れとともに閉鎖。 今では建立された石碑のみが当時を物語ってはります。 また、明治維新のころに活躍した志士の一人として知られる坂本龍馬の生涯を描いた作品「竜馬がゆく」で知られる作家・司馬遼太郎氏は東大阪出身。 司馬遼太郎氏の生涯を保存・展示した博物館も開設され、見学することができまんねん。 この他、回転寿司の発祥地として知られ、発祥元である元禄寿司本店では石碑が建立。 店内では現在ももちろん、回転寿司が楽しめるで~。 東大阪市には全国有数の町工場の町として知られ、市内には世界を代表する企業・工場が密集。 駅などの公共の場では東大阪市の技術や歴史を紹介した展示も行ってます! 布施戎神社、浅草寺など、歴史的な名所が名を連ね、気軽に観光できまっせ~! ラグビーのまち・花園だけやない東大阪市の魅力。 ぜひ、あなたの目で、確かめてみてください。 ほな、まいどおおきに!
まいど! 大阪環状線京橋駅から片町線に乗ってやってきたのは、大阪府四條畷市。 市名は四條畷やのに、駅名は四条畷。 旧四条村の名残から駅名では「四条畷」と表記され、旧四條畷村の名残から四條畷と表記されたため、市内には、二つの旧村名が混在する。 そんな歴史を感じつつ、駅を出ると、目の前にはにぎやかな商店街。 その商店街を抜けると、学校があり、その先には、四條畷神社へと続く参詣道が見えてくる。 四條畷神社では、楠公さんと呼ばれ親しまれてきた楠木正成、正行ゆかりの神社とされ、祭神となっている。 また、淀川の大改修に携わった政治家の大橋房太郎大阪府議会議員のゆかりの神社とされ、ともに石碑が建立されている。 この他、四條畷市内の文化、歴史の保存、展示を目的とした歴史民俗博物館は無料で楽しむことができ、展示室に利用されている建造物は明治時代の土倉を再利用した国の登録有形文化財に指定された貴重な財産。 さらに、四條畷市では、四條畷市歴史散歩道を指定し、各所には、看板を設置し、観光客が観光を楽しむための工夫がなされている。 大阪府内では目立ってへんけど、貴重な歴史が残る四條畷市を散策しまひょ!
まいど! ものの始まりなんでも堺。 日本のものづくりにおける製造業の歴史は、堺から始まったと言っても過言ではあらへんほど、様々なものを生み出してきた。 例えば、現在でも国産自転車製造のシェアは約4割を占め、市内には工場が点在、博物館まで存在してはんねんで。 かつて、中国やポルトガル、スペインなど海外との貿易(日明貿易・南蛮貿易)が盛んで、海外の文化をいち早く取り入れ、戦国時代には線香、傘、鉄砲など「ものづくり」としての礎を築き、その時に訪れた宣教師ザビエルらは堺の隆盛ぶりに驚き、「東洋のベニス」と絶賛。 また、堺は織田信長、豊臣秀吉に仕えた千利休と千利休の師匠にあたる武野紹鴎らを輩出。 今でも先人たちの偉業は語り継がれてはりまんな。 さらに、前方後円墳の大仙陵(仁徳天皇陵)古墳は世界最大規模を誇り、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓の一つ。 周辺の羽曳野市、藤井寺市を含めた地域に点在する百舌鳥・古市古墳群はユネスコの世界遺産として動きはじめた。 周辺には古墳に関する新たなグルメ・スポットも登場。 歴史と技術の町・大阪府堺市で素敵な一日を。
まいどまいど! え!?おもろいカフェがあるねんて? そんな噂を聞きつけてやってきたのは、大阪府茨木市。 茨木市では東奈良遺跡、茨木神社をはじめ、ぎょうさんの歴史的建造物が残っている他、楠木正成築城の茨木城跡も楽しめまんねん。 平安時代には、西国街道(旧山陽道)の往来が盛んとなり、江戸時代には参勤交代に利用されるなど、交通の要衝としての役割を果たしてきた。 小説家の川端康成は、大阪市北区に鎮座する大阪天満宮の近くで生まれ、幼少時代を茨木市で過ごしてはったんやて。 青春時代まで地元の学校に通っていたため、付近には川端康成に因むスポットがぎょうさん点在してまんねん。 また、茨木市は鬼の「茨木童子」と縁が深いことがわかってきました。 茨木童子は茨木市で生まれ育ち、京の都に向かった。 京都で頼光四天王の一人である渡辺綱と出会い、一条戻り橋や羅生門で戦うことになるが・・・。
まいど! 1970年に日本万国博覧会(通称、大阪万博)が開催された大阪府吹田市。 現在も岡本太郎氏の作品で、大阪万博のシンボルとして知られる太陽の塔が輝き続けている。 そんな大阪府ではアサヒビール発祥の地として知られ、吹田市の工場では実際に見学、試飲することができる。 創業者の鳥井駒吉の軌跡とアサヒビールの歩んできた歴史、ビールの原料から出荷するまでの過程を勉強しながら、冷えたビールを味わってみてはいかがでしょうか。 また周辺は古くから名水の地として知られ、泉殿宮では遺構の保存を行っている。 この他、吹田市立博物館や浜屋敷では吹田市の歴史、文化を知ることができる。 周辺の紫金山公園や吉志部神社を散策しながら、吹田市のホンマを感じてみてください。 途中、ナンが食べ放題のインド料理のお店のご紹介。 大阪の新たな名物ラーメンの発掘か!?吹田ブラックがサービスエリアに。 「水」と縁の深い吹田市の意外な素顔。 吹田市のマスコットキャラクター「すいたん」と一緒に、ぜひ、あなただけのオリジナルおでかけを楽しんでみてはいかがでしょうか。
太陽の塔の内部をみたあと、万博公園内をぷらぷら散歩。園内にあるEXPO'70パビリオンで歴史を学び、エキスポシティにできた新名所「NIFREL(ニフレル)」で魚や動物に触れ合う超満喫プラン!
まいど! 秋が深まり、いつもの並木道が紅葉に染まる。 そして、銀杏の葉が落ちると、本格的な冬がやってくる。 あ~、寒い寒い!! 冷たくなった手をこすりながら、毎日を過ごす皆さん! ゆっくり羽を伸ばしに温泉に行かはりまへんか? 関西では、兵庫県の有馬温泉や滋賀県のおごと温泉、和歌山県の白浜温泉などに代表されますが、実は、大阪にも温泉街が存在してたんですよ! 場所は、大阪府河内長野市。 大阪市内から近畿日本鉄道または南海電車に乗って一本。 河内地域(北河内、中河内、南河内の総称)は河内地域でも南河内の奥に位置するため、奥河内との異名をも持っています。 さて、ここ長野温泉街は、日帰りで温泉が楽しめるスポットとしてオススメ! 長野温泉街とは、河内長野市内に点在する長野温泉、錦渓温泉、天見温泉、汐ノ宮温泉などの総称。 かつては病が治る霊水として信仰を集めていましたが、大正時代に極楽寺の閉鎖に伴い、一気に衰退。 今では知る人ぞ知る秘湯となってしまいました。 有馬温泉やおごと温泉、白浜温泉などの人気観光地よりは劣りますが、昔ながらの風情が漂うかつての温泉街の雰囲気が楽しめます。
2015年に突如として現れたエキスポシティをみなさんご存知ですか?デートでも観光でも家族連れでも楽しめて、さらには一回では楽しみ尽くせないような個性豊かなエンターテインメント施設がエキスポシティ内に存在します。「万博公園に遊びに行くついでに!」そんな感覚だと絶対後悔します!事前にちゃんと調べて、どの施設に行きたいかを決めて、予約もちゃんとして。しっかり準備をして後悔のないよう楽しんでくださいね。 2018年4月にオープン予定の最新施設も載せているのでそちらの情報も要チェック!
まいど! ものづくりのまちとして全国的に有名な大阪府東大阪市には、世界で活躍する中小企業が密集してまんねん。 その一方で、日本を代表する花園ラグビー場があるさかい、全国高等学校ラグビーフットボール大会が開催されまんねん。 そして、その付近にはラグビー神社っちゅう愛称で親しまれておます吉田春日神社が鎮座。 ラグビーボールを奉納して優勝祈願するさかい、ラガーマンを中心に参拝に訪れはります。 ラグビーのまち花園を出て一駅ほど東に移動すると、太閤はん(豊臣秀吉公)が愛したとされる瓢箪と縁の深い瓢箪山稲荷神社が見えてきまんねん。 瓢箪山稲荷神社の目の前にある商店街やその付近には瓢箪の形をした看板やオブジェがあちこちに。 「うわ!瓢箪や!」「あっこにもあるで~」っちゅうて、なんや歩いてるだけで、めっちゃ楽しいなります。 その他、河内寺跡や枚岡神社が鎮座しているなど、歴史的にも貴重な遺産が数多く眠るまち「花園・瓢箪山」界隈。 あんさんもここで、ラグビーと瓢箪による不思議な不思議な”みなぎる”パワーをもろて、明日も一日、あんじょうお気張りやっしゃ~♪ ほな、まいどおおきに!
まいど! 大阪府の南部、泉南地域の一部に属する貝塚市は、大阪湾に面し、山々に囲まれた自然豊かな地域。 大阪湾岸にある二色の浜では毎年、夏になると、多くの海水浴客でにぎわう。 また、昔から、海との縁が深く、岸和田市を中心に全国的な注目を集める「だんじり祭」が活発でんねん。 さて、大阪湾岸で、海の風を浴びたなら、次は、南海電鉄本線貝塚駅へ移動しよう! 駅の付近をぶらぶらしていると、昔ながらの雰囲気漂う商店街や観光案内所が見えてくる。 観光案内所にて、貝塚市のことを調べたあとは、貝塚市を東西に走る水間鉄道に乗って、水間観音さんに会いに行こう! 貝塚市内の東に位置する水間寺は700年代、行基によって創建された歴史的な仏閣。 地元では、水間観音さんと呼び、親しまれ続けてきました。 広い境内には、不思議な伝説が残る滝が見えてくる。 神秘的な滝を眺め、不思議なパワーを感じることのできる、隠れたパワースポット。 閑静な住宅街と、自然豊かな山々に囲まれた貝塚市に遊びにでかけよう!
まいど! 1614年、1615年に勃発した大坂の陣の一つ「道明寺の戦い」は大阪府藤井寺市が激戦地。 玉手山公園(大阪府柏原市)では後藤又兵衛(後藤基次)によって陣が敷かれたとされ、現在も語り継がれてまんねん。 藤井寺市内には道明寺や道明寺天満宮、辛国神社、葛井寺など、藤井寺市を代表する神社や寺院が鎮座。 その他、大阪近鉄バファローズ(オリックスバファローズの前身)の本拠地として知られた藤井寺球場が存在してたっちゅうてね。 今では、学校、住宅街として整備されてまっさかい、球場跡地としての名残は一つもおへんのですけど、記念碑が建立され、ファンの間で話題となってまんねん。 過去には藤井寺市出身の有名人がいてはります。 遣唐使として派遣された井真成氏。 現在では、藤井寺市のマスコットキャラクターとして活躍してはりまんな。 その他、昔ながらの駄菓子屋さんをはじめ、全国のスーパーマーケット、コンビニエンスストアでよく目にする「乳ボーロ」卵ボーロ」「ちょぼちょぼ」は大阪前田製菓の人気商品。 ここには本社兼工場がおまして、工場内でつくられた「きなこ団子」、「みたらし団子」は人気となってまんな。
まいど! ものの始まりなんでも堺。 日本のものづくりにおける製造業の歴史は、堺から始まったと言っても過言ではあらへんほど、様々なものを生み出してきた。 例えば、現在でも国産自転車製造のシェアは約4割を占め、市内には工場が点在、博物館まで存在する。 かつて、中国やポルトガル、スペインなど海外との貿易(日明貿易・南蛮貿易)が盛んで、海外の文化をいち早く取り入れてきた。 戦国時代、線香、傘、鉄砲など「ものづくり」としての礎を築き、その時に訪れた宣教師ザビエルらは堺の隆盛ぶりに驚き、「東洋のベニス」と絶賛。 また、堺は日本の工場として発展してきただけでなく、「君死にたまふことなかれ」で知られる与謝野晶子、豊臣秀吉に仕えた千利休、千利休の師匠にあたる武野紹鴎らを輩出、今でも先人たちの偉業は語り継がれている。 さらに、日本最大の前方後円墳として知られる大仙陵古墳はエジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓の一つに数えられ、周辺の羽曳野市、藤井寺市を含めた地域に点在する百舌鳥・古市古墳群はユネスコの世界遺産登録に向けて動き出した。 大阪・堺はホンマええとこやさかい。
まいど! 今回は、経営の神様として今も注目を浴びる松下幸之助翁の足跡をたどる。 「こけたら、立ちなはれ」。 松下幸之助の名言の一つである。 和歌山で生まれて中学校を卒業し、大阪へ出てきてから、電気関係の職についた。 大阪のシンボルタワーとして知られる二代目の通天閣建設にも携わった。 その後、独立して、大阪市東成区で創業し、大阪市福島区で起業した。 二股ソケットの開発で成功し、松下のもとで働いていた井植敏男も喜んだ。 井植は、淡路島出身。 松下から独立して三洋電機を創業、自転車の発電ランプの開発を行った。 ある日、松下は、拠点を移すと決めた。 しかし、大阪市から見た方角で北東にある、守口市や門真市、寝屋川市、枚方市などを含めた地域は、鬼門と言われ、町の開発が遅れていた。 松下はこう言った。 大阪市から見たら日本の国土は、ほとんどが鬼門や! そして、門真市への移転を決めた。 常に松下は、非常識を常識へと変えた。 松下幸之助の斬新な才能で成功へと導いたのか、大阪と言う地域性や土地柄がそうさせたのか。 答えは誰もわからない。
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