学生の街・四條畷市を歩く
大阪学生の街・四條畷市を歩く
まいど! 大阪環状線京橋駅から片町線に乗ってやってきたのは、大阪府四條畷市。 市名は四條畷やのに、駅名は四条畷。 旧四条村の名残から駅名では「四条畷」と表記され、旧四條畷村の名残から四條畷と表記されたため、市内には、二つの旧村名が混在する。 そんな歴史を感じつつ、駅を出ると、目の前にはにぎやかな商店街。 その商店街を抜けると、学校があり、その先には、四條畷神社へと続く参詣道が見えてくる。 四條畷神社では、楠公さんと呼ばれ親しまれてきた楠木正成、正行ゆかりの神社とされ、祭神となっている。 また、淀川の大改修に携わった政治家の大橋房太郎大阪府議会議員のゆかりの神社とされ、ともに石碑が建立されている。 この他、四條畷市内の文化、歴史の保存、展示を目的とした歴史民俗博物館は無料で楽しむことができ、展示室に利用されている建造物は明治時代の土倉を再利用した国の登録有形文化財に指定された貴重な財産。 さらに、四條畷市では、四條畷市歴史散歩道を指定し、各所には、看板を設置し、観光客が観光を楽しむための工夫がなされている。 大阪府内では目立ってへんけど、貴重な歴史が残る四條畷市を散策しまひょ!
四條畷市の「くすのき」の妖精。 くすの木からくすの木へジャンプするこどもらしい一面も。 大阪・御堂筋のイベント「御堂筋カッポ」のほか、四條畷市のイベントに登場!
ここでは、四條畷市内で発掘された遺跡の出土物を保存、展示。 また、昔の暮らしや道具の紹介を行っている。 民俗資料展示室は国の登録有形文化財に指定された明治時代の土蔵を利用。
川崎池公園は市民の憩いの場として親しまれている。 公園の入り口付近に設置された四條畷市歴史散歩道では、歴史民俗資料館など付近の観光案内を行っている。
建武中興十五社の一社とされ、旧社格は別格官幣社である。 主祭神は、楠木正行。 1890年、創建した。 春になると、桜が咲き誇り、花見客でにぎわう。境内やその周辺には桜が多く植えられており、春は多くの花見客でにぎわう。
楠木家と四條畷神社の関わり
境内には、楠公さんとして親しまれている父・楠木正成と子(嫡男)・楠木正行の銅像が建立されている。 当地に鎮座する神社では、南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗北した楠木正行を主祭神としている。 楠木正成は大楠公(だいなんこう)、と呼ばれるのに対して、楠木正行は小楠公(しょうなんこう)と呼ばれる。 大阪府四條畷市には「楠塚」と呼ばれる楠木正行の墓「小楠公御墓所」がある。
大橋房太郎の碑
大橋房太郎は、政治家として知られ、淀川の改修工事に携わった。 大阪市鶴見区放出に生まれ、淀川が大洪水となったとき、政治家を志す。 大阪府議会議員として活躍し、私財で淀川改修工事を成功させた。
西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)の停車駅の一つ。 駅前の東側ロータリーには「目をさます土の中から土器や井戸の跡」という句が詠まれた碑が設置。 1953年、住民運動により日本国有鉄道片町線の停車駅として開業、四條畷市内初の鉄道駅となった。 1987年、国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道となり、愛称「学研都市線」を使用開始。 2011年、接近メロディ導入。 1979年、複線高架化の工事の際、縄文時代から室町時代へかけての土器、石器、古墳時代の馬形埴輪等が出土。
TKOの木下さんの母・定子さんが経営する「空とぶからあげ(ハジメフーズ)」の酒食はじめ屋キッチンのご紹介です。 他に、「元祖鉄板鍋キノシタ」などで知られ、一般的に、「きのったまオカン」と呼ばれているそうですが、「空とぶからあげ」は、定子さんの故郷である大分県中津の名産鳥のからあげを広げるために開業したとか。
デラックス弁当
メニューは、空から弁当、チキン南蛮弁当、からバーグ弁当、とりマヨ丼などがあり、唐揚げ、手羽、牛肉コロッケが一つになったデラックス弁当。
空飛ぶからあげ
からあげグランプリ塩だれ部門で金賞を受賞したからあげがこのお店で堪能できる。 からあげの味はホンマに空を飛んでいるかのよう。
唐揚以外にも
メニューは、空から弁当、チキン南蛮弁当、からバーグ弁当、とりマヨ丼など
唐揚以外にも
メニューは、空から弁当、チキン南蛮弁当、からバーグ弁当、とりマヨ丼など
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大阪府四條畷市に鎮座する神社。 忍陵という名称は付近の忍ケ丘駅という駅名の由来となった。 古墳時代に造成されたとされる忍岡古墳の上に位置する。 祭神は、藤原鎌足、熊野大神、品陀和氣命、馬守大神、大将軍神。 1911年、忍陵神社は近隣の2社を合祀して改称。 津桙神社の祭神は藤原鎌足、品陀和氣命、熊野大神。 当地の古代豪族・津桙氏が祖神を祀っていた。 江戸時代、新宮大権現と称した。 600年代、役行者が開基。 平安時代、熊野信仰が広まり、熊野大神が合祀。
岡山城が築城
1560年頃、忍岡古墳の丘陵を利用して岡山城が築城。 ここは三好長慶城主の飯盛山城の支城となった。 飯盛山城城主の結城氏はキリシタンであったため、キリシタン信仰の拠点となった。 1615年、大坂夏の陣が勃発し、徳川方の徳川秀忠は本陣を置いた。 大坂夏の陣で徳川方が勝利した事から御勝山と呼ばれ、縁起の良い所として人気を集めた。
300年代、全長87mの前方後円墳として造成。 墳丘には円筒埴輪が並べられ、後円部に竪穴式石室、覆屋が設置。 石室は木棺を収納するための施設と推定され、碧玉製釧、鍬形石、紡錘車、剣、刀、刀子、鎌、斧、小札などの鉄製品が出土。 1560年頃、忍岡古墳の丘陵を利用して岡山城が築城。 1615年、大坂夏の陣が勃発、徳川方の本陣となった。 1911年、忍陵神社が鎮座。
忍岡古墳、忍陵神社境内にある碑。 周辺はかつて自然豊かな場所であったことから、 法印覚寛(新後撰和歌集)「待人になど かたらはで 郭公のひとり 忍びの岡に鳴らん」 登蓮法師(夫木和歌集)「見し人の忍の岡の花すすき なびくは招く 心地こそすれ」 僧正遍照(古今集)「ちはやぶる神やきりけん つくからに ちとせのさかも こえぬべら也」 紀友則(古今集)「雪ふれば 木ごとに花ぞ さきにける いづれを梅とわきておらまし」 などの句が詠まれたとか。