せやせや!関西が好っきゃねん
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学生の街・四條畷市を歩く

学生の街・四條畷市を歩く

まいど! 大阪環状線京橋駅から片町線に乗ってやってきたのは、大阪府四條畷市。 市名は四條畷やのに、駅名は四条畷。 旧四条村の名残から駅名では「四条畷」と表記され、旧四條畷村の名残から四條畷と表記されたため、市内には、二つの旧村名が混在する。 そんな歴史を感じつつ、駅を出ると、目の前にはにぎやかな商店街。 その商店街を抜けると、学校があり、その先には、四條畷神社へと続く参詣道が見えてくる。 四條畷神社では、楠公さんと呼ばれ親しまれてきた楠木正成、正行ゆかりの神社とされ、祭神となっている。 また、淀川の大改修に携わった政治家の大橋房太郎大阪府議会議員のゆかりの神社とされ、ともに石碑が建立されている。 この他、四條畷市内の文化、歴史の保存、展示を目的とした歴史民俗博物館は無料で楽しむことができ、展示室に利用されている建造物は明治時代の土倉を再利用した国の登録有形文化財に指定された貴重な財産。 さらに、四條畷市では、四條畷市歴史散歩道を指定し、各所には、看板を設置し、観光客が観光を楽しむための工夫がなされている。 大阪府内では目立ってへんけど、貴重な歴史が残る四條畷市を散策しまひょ!

忍ヶ丘駅
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忍ヶ丘駅

西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)の停車駅の一つ。 駅前の東側ロータリーには「目をさます土の中から土器や井戸の跡」という句が詠まれた碑が設置。 1953年、住民運動により日本国有鉄道片町線の停車駅として開業、四條畷市内初の鉄道駅となった。 1987年、国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道となり、愛称「学研都市線」を使用開始。 2011年、接近メロディ導入。 1979年、複線高架化の工事の際、縄文時代から室町時代へかけての土器、石器、古墳時代の馬形埴輪等が出土。

忍陵(しのぶがおか)神社
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忍陵(しのぶがおか)神社

大阪府四條畷市に鎮座する神社。 忍陵という名称は付近の忍ケ丘駅という駅名の由来となった。 古墳時代に造成されたとされる忍岡古墳の上に位置する。 祭神は、藤原鎌足、熊野大神、品陀和氣命、馬守大神、大将軍神。 1911年、忍陵神社は近隣の2社を合祀して改称。 津桙神社の祭神は藤原鎌足、品陀和氣命、熊野大神。 当地の古代豪族・津桙氏が祖神を祀っていた。 江戸時代、新宮大権現と称した。 600年代、役行者が開基。 平安時代、熊野信仰が広まり、熊野大神が合祀。

忍岡古墳
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忍岡古墳

300年代、全長87mの前方後円墳として造成。 墳丘には円筒埴輪が並べられ、後円部に竪穴式石室、覆屋が設置。 石室は木棺を収納するための施設と推定され、碧玉製釧、鍬形石、紡錘車、剣、刀、刀子、鎌、斧、小札などの鉄製品が出土。 1560年頃、忍岡古墳の丘陵を利用して岡山城が築城。 1615年、大坂夏の陣が勃発、徳川方の本陣となった。 1911年、忍陵神社が鎮座。

忍ヶ丘古歌
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忍ヶ丘古歌

忍岡古墳、忍陵神社境内にある碑。 周辺はかつて自然豊かな場所であったことから、 法印覚寛(新後撰和歌集)「待人になど かたらはで 郭公のひとり 忍びの岡に鳴らん」 登蓮法師(夫木和歌集)「見し人の忍の岡の花すすき なびくは招く 心地こそすれ」 僧正遍照(古今集)「ちはやぶる神やきりけん つくからに ちとせのさかも こえぬべら也」 紀友則(古今集)「雪ふれば 木ごとに花ぞ さきにける いづれを梅とわきておらまし」 などの句が詠まれたとか。

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