まいどまいど! 関西人にとってドライブの定番っちゅうたら、やっぱり六甲でんがな。 六甲には表六甲と裏六甲がおましてですね、いろんな角度から六甲山地をドライブすることができまんねん。 六甲山地は、六甲山系と丹生山系によって構成され、瀬戸内海国立公園の区域に指定。 また、神戸市は百万ドルの夜景として有名で、六甲山地には随所に展望台が設置。 それぞれの展望台からは神戸市内、明石海峡、大阪湾、大阪平野、遠くは関西国際空港やその付近まで一望することができ、デートスポットとしても好評でんな。 せやけど、夏場でも少々、肌寒く感じまんねん。 なんでも、市街地とは約5度の気温差があるといい、上着をもう一枚、準備しておいたほうが無難でっしゃろな。 また、欧風の雰囲気漂う六甲ガーデンテラスもデートスポットとして人気でおまして、オシャレな外観と共にお食事を楽しんだり、お土産を選んでみたり。 ほんでから、六甲オルゴールミュージアムにて、欧米のオルゴールを楽しんでみたりと、一日中楽しめるスポットがぎょうさんありまんねん。 最後に、小さなお子様から楽しめる六甲山牧場があるなど、オススメスポットが満載でっせ!
京都駅からバスで10分ぐらいの位置にある東山七条界隈には、国立博物館や大学、また 観光地としても有名な寺社が徒歩圏内にギュッとつまっています。 京都の街を造った豊臣秀吉(太閤さん)は平安時代に栄えたこの地で、その権勢を見せつけるような偉業を成し遂げました。そんな、太閤さんゆかりの史蹟を歩いてまわってみました。
西国観音巡礼も残り3所となったある日…アクセスがけっこう大変なため、足が遠のいていた滋賀県の竹生島にようやく行く決心が着いたので夫婦でお参りをしてまいりました。京都からは、湖西道路を経て高島市へ…琵琶湖に浮かぶ島である竹生島へは船で渡るのです。ちょっとしたクルーズです。 周囲約2㎞の竹生島は、そのほとんどが原生林で覆われています。南側が開けていて、そこに宝厳寺と都久夫須麻神社だけが佇み、島そのものが信仰の対象となっています。 天照大神より「この島は弁才天の聖地である」と言うお告げを受けた聖武天皇が神亀元年(724年)、行基に寺院を開山させたのが始まりだそうです。数々の武将からも信仰を集めてきた竹生島…特に、豊臣秀吉との縁が深いそうですよ。島内は1時間ほどで見て回れますが、もっとゆっくり味わいたい~という方は船の時間に余裕をもってスケジュールを立てると良いかと。 今津港近辺の見どころもご紹介しています。あわせてどうぞ(^^)v
まいどまいど! 信楽焼とたぬき、忍者の町などで有名な滋賀県甲賀市を今回は旅しまっせ。 一般的に「たぬき」は縁起物とされてまして、多くのお店で置かれていることがありまんな。 「たぬき」とは「他を抜く」という意味合いを持ってまして、「ふくろう」とは「不苦労」、つまり、「商売繁盛」を祈願して置かれていることが多いんやそうです。 そもそも、明治時代、陶芸家の藤原銕造は、京都清水焼の窯元で修行を重ね、月夜の晩にポンポコと腹を打つたぬきの姿に魅せられて、たぬきの形をした信楽を作ったのがはじまり。 一般的に「八相縁起」と呼ばれ、頭の笠は、思いがけない災難をさけるため、普段から準備。 大きな目は、周囲を見回し気を配り、正しい判断ができるように。 笑顔は、お互いに愛想よく。 徳利は、人徳を身につけよう。 通い帳は、信用が第一。 大きなお腹は、冷静さと大胆さをもちあわせよう。 金袋は、金運。 尾は、何事もしっかりとした終りを!という意味が込められているとか。 いや~、一つ一つが深いでんな。 甲賀市に行くと元気と勇気をもらえるような気がします。 皆さんもぜひ、甲賀(こうか)を安価に旅しまひょ!(笑)
縁結びで話題の神社に行ってきました。途中で寄り道しながら、素晴らしい歴史と趣、京都の自然や街の風情に、とことん癒されました。お参りすることで自分と向き合う心の準備が整って、明日からまた頑張るぞ‼︎ って充電になりました!お願い事が叶って、お礼のお参りにまた来れますように、、、
久しぶりに滋賀県の信楽町へ行ってきました。京都からは名神、新名神高速道路を通って1時間ほどで行けます。市町村合併があり、現在は甲賀市に属する信楽は、古くから陶器づくりが盛んな焼き物の里として知られてきました。天平14年(742年)、聖武天皇の離宮として造営された「紫香楽宮」の宮瓦を焼くために始まったとされています。備前焼、越前焼、常滑焼、瀬戸焼、丹波焼と並んで「日本六古窯」としても名高いですね。 また、信楽はお茶の生産地としても知られていて、「宇治茶」より400年以上も前に中国から元となるお茶が伝わってきていたそうです。その風味豊かなお茶は「朝宮茶」として愛されています。 陶都・信楽はこの他にもたくさんの見どころがあるんですよ。桜咲く春の一日…美しいもの、おいしいものをいっぱい味わってきました。ちょこっとご紹介させてくださいね。
ウチがある岐阜からすると京都はモチロン、舞鶴敦賀辺りまでは余裕の日帰り圏内。 なので今迄、近江長浜って中途半端に近過ぎるのでずっとスルーしていた地域だったのです。 ところがある時気まぐれに近江長浜へ、完全前知識無しに行ってみたらこれがなかなかオモシロいところで、 公園にお城があるし、古い町並みや商店街があるし、お寺もあるし、琵琶湖があって島にも渡れるしで、 ぶらりと散歩するにはもってこいの街だったのでした。 今回は長浜の「城」と「商店街」がテーマです。
伊勢参りをしたら美味しい松坂牛(正確には(「まつさかうし」と読みましょう)をいただいて帰りたいってのあると思うのですが、松坂牛だけではとてももったいないくらい松阪には魅力がたくさんあります。是非1日、短くても半日は立ち寄って欲しい街でした。 昼について参宮の道あたりですき焼き食べてからお城周りに行くコースがスムーズかもしれませんが、お城行ってからお腹すかせてすき焼きってのも良いですね。
わたしの住むマチ、【京都・亀岡】の紹介です。実はJR京都駅から快速電車で20分。お水と野菜とお米のおいしいところです。今回は、ふらっと立ち寄れる場所を紹介してみました。自然と食の豊かなわたし達の生活を垣間見てください。ドライブのヒントになると嬉しいです。ちなみに、わたしたちは自分たちの事を「かめ人」と呼びます(笑) かめじんLINE@できました▷@oei2470x 亀岡の情報をゆるりと発信しています。 KAMEzine ▷https://note.mu/an_a/m/m55703007c3cd
まいど! 江戸時代の大坂は天下の台所。 全国から米を中心とした食材・物資が集まり、取引が活発に行われていました。 当時の大坂には全国から集まった藩の蔵屋敷が乱立、荷物を運搬する船が行き来しやすいよう、町民によって道頓堀川や長堀川など、人工の川を新たに開削した。 大阪市西区では、木材を主に取り扱う市場などが登場、経済都市・大阪としての礎を築きました。 せやけど、時は明治、大正、昭和へと移り変わり、天下の台所・大阪から工業都市・大阪へと変貌を遂げていくこととなりまんねん。 名を大大阪(だいおおさか)。 大阪には工場が乱立し、東洋のマンチェスター(煙の都)と呼ばれ、東京市を抜いて世界でも6番目に並びました。 昭和時代、船だけでなく、飛行機・鉄道・自動車へと運搬方法が多様化し、町民によって開削された長堀川は埋め立てられ、自動車が走る長堀通へと姿を変えました。 同時に世界で初めてとなるリニアモーターカーの技術を取り入れた地下鉄の長堀鶴見緑地線が開通。 今後のさらなる発展が期待されている街。 それが、大阪市西区でんねん。 岩崎弥太郎による三菱財閥発祥のまち大阪市西区を散策してみまひょ!
まいど! でんぼの神様として知られる石切剣箭神社(石切さん)は大阪府東大阪市に鎮座してまんねん。 「でんぼ」とは大阪弁で腫物と言う意味でんな。 今でも広く信仰を集めてはりまして、休日になったら、ぎょうさんの参詣客でにぎわおうてはります。 ほんで、「東大阪・石切はヨモギの天ぷらが名物!?」 そんな噂を聞きつけて近畿日本鉄道奈良線に乗って、石切駅にやってきた。 「石切駅」は、石切さんの最寄駅で、目の前には商店街。 昔ながらの雰囲が気漂ってる、「よもぎ」「占」と書かれた看板がぎょうさん並んでました。 っちゅうことで、よもぎの天ぷらを頬張りながら石切さんでお参りを。 途中、東大阪物産観光まちづくりセンターに立ち寄り、ここで仕入れた情報と石切ブランドセレクションで金賞を受賞した東大阪名物「おふくそば」もご紹介していきまっせ! そして、石切駅から西に向かうと、吉田駅や荒本駅で途中下車。 この周辺も大阪の下町らしい雰囲気が漂い、住宅街や工場が目立つ。 そんな街並みの中、珍しい外観デザインを持った図書館や農産物の直売所など、全国ラグビーの聖地・花園だけやない東大阪の魅力をご案内していきまひょ!
まいど! 天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の死後、豊臣方と徳川方による大阪の陣が1614年と1615年の2度勃発した。 1614年を大阪冬の陣、1615年を大阪夏の陣と呼び、戦後400年を迎えた2014年と2015年は、大阪城でイベントが開催された。 また、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」により、真田幸村が再び注目を浴びることとなり、真田幸村が歩んだ場所と軌跡を取り上げる。 大阪の陣と大阪の陣に登場する人物のゆかりの地としては、大阪城や茶臼山、三光神社、志紀長吉神社だけでなく、遠くは茨木市、堺市、柏原市、交野市など広範囲に及ぶ。 激戦が繰り広げられた古戦場から真田幸村の終焉。 そして、戦によって焼け野原となった大阪の地、焼け野原からの復興で立ち直った大阪の軌跡をギュギュギュっと凝縮し、まとめました。 古跡ファンの皆さん、戦国時代のファンの皆さんもぜひ参考にしてみてください。 1614年、1615年に、天下分け目の戦いともいうべき、豊臣家と徳川家の激戦。 まずは、大阪城を出発しましょう。
日本武尊が「我が足 三重のまかりなして、いと疲れたり」と漏らしたのが、三重の名の由来とか。 悲劇の皇子の最期の地は どこであるのか、古代史に想いを馳せて巡りたい。
リサイクルや リユースが叫ばれる時代。 伊勢神宮では、神様の宮に使われていた御用材を 決して粗末にせず、大切に使い回します。表面を削り落とすたびに 御用材は 新しい木肌や香りを取り戻し、新たな生命を得て 新しい地に旅立つのです。 また神宮では 200年後を見据えて、豊かな森づくりに 力を入れています。 私たちは、1000年前の太古の昔の知恵に、再び学ぶことができるのではないでしょうか。
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