幸せと笑顔を呼び込む信楽焼きと忍術屋敷
滋賀幸せと笑顔を呼び込む信楽焼きと忍術屋敷
まいどまいど! 信楽焼とたぬき、忍者の町などで有名な滋賀県甲賀市を今回は旅しまっせ。 一般的に「たぬき」は縁起物とされてまして、多くのお店で置かれていることがありまんな。 「たぬき」とは「他を抜く」という意味合いを持ってまして、「ふくろう」とは「不苦労」、つまり、「商売繁盛」を祈願して置かれていることが多いんやそうです。 そもそも、明治時代、陶芸家の藤原銕造は、京都清水焼の窯元で修行を重ね、月夜の晩にポンポコと腹を打つたぬきの姿に魅せられて、たぬきの形をした信楽を作ったのがはじまり。 一般的に「八相縁起」と呼ばれ、頭の笠は、思いがけない災難をさけるため、普段から準備。 大きな目は、周囲を見回し気を配り、正しい判断ができるように。 笑顔は、お互いに愛想よく。 徳利は、人徳を身につけよう。 通い帳は、信用が第一。 大きなお腹は、冷静さと大胆さをもちあわせよう。 金袋は、金運。 尾は、何事もしっかりとした終りを!という意味が込められているとか。 いや~、一つ一つが深いでんな。 甲賀市に行くと元気と勇気をもらえるような気がします。 皆さんもぜひ、甲賀(こうか)を安価に旅しまひょ!(笑)
滋賀県甲賀市信楽町のマスコットキャラクター「ぽんぽこちゃん」。 誕生日は、2010年4月18日。 「子ダヌキ」の女の子。 趣味は、縁起を振りまいて歩くこと。 性格は、笑顔で人懐っこい、ちょっとイタズラっこ。 好きな食べ物は、朝宮茶でできたアイスやお菓子。 狸と言えば八相縁起。そして徳利の丸八などが有名。 「楽」は信楽の「楽」、そしてみんなが「楽しく」過ごせる事を願っているとか。 信楽焼振興協議会「匠ポン山」先生はぽんぽこちゃんのお父さんの兄、すなわちおじさんにあたる。
にんじゃえもん
滋賀県甲賀市のマスコットキャラクター。 甲賀市観光協会・甲賀市商工会などが主催するイベントなどで活躍する。 ここは、忍者発祥の地として知られ、黒影米から産まれたにんじゃえもんは、甲賀流癒し忍術・ゆる忍術・、エコ忍術・グルメ忍術を身につけている。 現在、モノマネを特訓に励んでいるとか。
忍者といえば、甲賀と伊賀。 そのうちの一つにあたる甲賀忍者が世間一般に知られるようになったのは1487年に起きた鈎の陣。 幕府の命に背く佐々木六角高頼討伐のため将軍足利義尚軍は近江に来攻し、甲賀武士団は佐々木六角氏に助勢、山中で多くの奇襲攻撃をかけ、時には夜陰に義尚の本陣に迫って火や煙を放つなど、佐々木六角氏を助けた。 建物は、1700年頃に建てられた。 また、甲賀忍者として高度な資質、能力を有していた望月氏は、身を守るために自身の居宅に、多くのからくりを施した。
中2階の見張り窓
一見見落としてしまいそうな中2階。 天井を見上げても何の変哲もない格子窓に見えるが、実は、敵が攻めてきたとき、中2階に上がることができ、室内を見張ることができる。 また、この格子の一本が外れるような仕組みで、外して一階へ逃れることも出来るとか。 さらに中2階は天井が低く設計され、刀が容易に振り回せない利点も。
隠された階段
日ごろは戸が閉められ、一見壁のように見える。 これも敵が侵入してきたときに欺くように設計され、家主は、戸を開けて隠された梯子を使って中2階に昇る。 また、梯子は軽く外せるため、中2階に引き上げることもできる。 敵が侵入してきたときに家主は中2階に逃げ、梯子を持ち上げると、ただの押し入れ。 そのため、敵は戸を開けてもただの押し入れであると錯覚してしまう、からくり。
からくり窓
一見、光が差し込むただの窓に見えるが、金網戸と壁の間に紙一枚を差し込む隙間があり、紙一枚をスライドさせると鍵が開き、開く仕組み。 家主は敵が侵入してきたときにここから外に逃げる。
逃げ穴
また、からくり窓だけがあるような場所にも、実はからくりがあり、畳を一枚、上に持ち上げると軒下から隣家へと続く抜け穴があり、家主はここから逃げて隣家へ行き、隣家から逃げることもできた。
和室にもからくり
普段は締め切られた部屋で、障子や襖があり、落ち着いた雰囲気の和室ではあるが、戸を一枚手前に引くと、押し入れ。
和室にもからくり
押し入れの中にも忍者。 もちろん、ここにも身をひそめることができる。
和室にもからくり
また、押し入れの下にある板一枚を上に持ち上げると軒下へと通じる穴があり、敵が侵入してきたときにここから逃げることもできる。
襖の中には
落ち着いた雰囲気和室の奥にある襖を開けると一見押し入れにも見えるが、左に目を向けると、一枚の板。
襖の中には
一枚の板の端を押すと板が回転する仕組みで、和室に敵が侵入してきたときは、襖を開け、回転する板(どんでん返し)を利用して、隣の部屋へと逃げる。
手裏剣を体験。
屋敷奥の庭先では手裏剣体験をすることができる場所も。 的の中央を狙って、手裏剣を投げてみよう。
敷地内には、忍者を祀る志能備神社が鎮座している。 縁結び・食物・財福を司る神として信仰を集める甲賀大黒天は江戸時代初期に作られ、木造では日本一の大きさを誇る。 甲賀忍者の歴史と保存を目的に設置された甲賀忍術博物館では、茅葺き民家の保存をも兼ねて、移築、展示棟として設置。 館内には、忍術三大秘伝書など、各流派の手裏剣、水器、火器など忍者の代表的な武具を収集して展示している。 からくり甲賀屋敷では実在した甲賀忍者の子孫「藤林家」の旧家屋。 旧家にはさまざまな仕掛けが隠されている。 その他、忍者道場、手裏剣道場、手作り道場などがある。
300万年前、甲賀の地は琵琶湖の底であったといい、湖底にあった重粘土質土壌が小佐治のねばりのある餅を生み出している。 良質な味が楽しめる餅は、ここで販売。
一般的に知られる焼きものの一つ「信楽焼き」のふるさとに位置する。 1888年、奥田忠左衛門窯は100年以上の歴史を持つ窯元。 本窯の焼きたての陶器が所狭しと並んでいる。
たぬ木
数多くのタヌキが木の枝に乗っているように見えるたぬ木。
記念撮影も
多くのタヌキに囲まれて、記念撮影を楽しむのもおすすめ。
六古窯の一つに数えられる信楽焼の産地として知られる信楽の街並みを一望することができる丘陵(標高約350m)に位置する都市公園。 ここには、 アーティスト・イン・レジデンスと呼ばれる滞在型の陶磁器制作スタジオがある創作研修館。 信楽焼の紹介と産業振興を目的とする施設の信楽産業展示館。 陶芸専門の美術館である陶芸館の他、屋外展示場、広場、散歩道などがある。
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信楽焼の紹介と展示、販売の他、総合展示場、信楽ホール、ショップ、レストランなどがある。
信楽高原鐡道信楽線の停車駅の一つ信楽駅。 1933年、日本国有鉄道の駅として開業。 駅前にはたぬきの形をした多くの信楽焼が展示されている。
ホームには
ホームの上には、たぬきの形をした多くの信楽焼が展示されている。 また、信楽焼で有名な甲賀市は忍者の町としての一面も持ち、鉄道車両のラッピングには「忍」の文字と忍者らしいデザインが施されている。
日本遺産に認定
信楽焼は日本遺産に認定され、信楽駅前に展示されているたぬきの置物もたすきをかけてお祝い。
信楽まちなか芸術祭
信楽焼、忍者の町として知られる甲賀市ではイベントが開催され、多くの信楽焼きの展示、販売や甲賀市内を中心とする観光案内、その他、飲食の販売があり、楽しむことができる。
1993年、東海道五十三次の土山宿の付近に開業。 地元で採れた土山茶の試飲が可能。 土山茶を使った抹茶ソフトクリームの盛り放題も販売されている。 鈴鹿馬子唄「坂は、照る照る鈴鹿は、曇る あいの土山雨が降る」と唄われているあいの土山には、相の土山説、間の宿説、鈴鹿の坂説、間の土山、松尾坂説、藍の土山説、 鮎の土山説、あいのうなど名称に関しては諸説ある。
忍者セット
施設内にはレストランも併設され、土日限定で販売されているメニュー「忍者セット」は、黒影米を使った太巻きと黒影米うどんのセット。
東海道五十三次の49番目の宿場「土山宿」。 明治時代、蒸気機関車は鈴鹿峠の急勾配での走行が困難で、西寄りの寺庄経由となった。 鈴鹿馬子唄に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と歌われる。
土山宿本陣跡
東海道土山宿の本陣跡。 江戸幕府3代将軍家光の上洛の際、設けられた。 大名や公家、勅使らが宿泊。 当時使用していた宿帳などが残っているとか。
東海道五十三次の49番目の宿場町であった土山は、交通の要衝としての一面を持ち、経済や文化の発展を遂げてきた。 江戸時代に建てられて以後、改装し博物館として開業。 東海道五十三次の詳細や当時の暮らし、土山宿の概要などが紹介、展示されているほか、特産品販売が行われている。 また、文豪の森鴎外ゆかりの地として知られ、祖父は石見国津和野藩の藩医であった。 参勤交代に随行して江戸に向かう途中、発病し土山宿で亡くなった。 明治時代、森鴎外は祖父の墓参りのために土山宿を訪れて、旅籠・平野屋に宿泊したという。
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野洲川の中流域にあたる水口丘陵に位置する。 また、甲南部、杣谷を経て伊賀とを結ぶ「伊賀街道」が通る。 1600年代、周辺は徳川氏の直轄地となり、東海道の宿場町に指定された。 3代将軍徳川家光は、京都への上洛の際の宿館として、道中に水口城(水口御茶屋)を築城させた。 作事奉行は小堀政一(遠州)が務め、城内は二条城の御殿を模した豪華な御殿が築かれた。 以後、幕府の任命した城番が管理する「番城」となった。 1682年、加藤明友が入城し、水口藩が成立した。
古城山にあり、古城、岡山城とも呼ばれる。 古くは「大岡山」「岡山」と呼ばれ、山上には「岡観音」と呼ばれた大岡寺(現在は移転)があったとか。 羽柴秀吉の命により中村一氏が、甲賀郡の支配の拠点として築城。 以後、増田長盛、長束正家らが入城。 関ヶ原の戦いで長束正家は西軍に属した。 水口岡山城に籠城したが池田長吉、亀井茲矩らに攻められて降伏。 その後、廃城となった。 城跡は「水口岡山城跡」として国の史跡に指定。
東海道五十三次の50番目の宿場「水口宿」。 石橋の東で三筋に分かれ、それぞれに東見付跡、高札場跡、問屋場跡、からくり時計、水口城跡、水口城資料館がある。 水口歴史民俗資料館は、水口図書館に併設され、地域の曳山祭や宿場に関連した展示がある。 真徳寺の表門は、水口城内の家臣屋敷の長屋門を移築したものであるとか。