加古川城跡説明板
兵庫県加古川市加古川町本町
1184年、糟屋有季は平氏追討の戦功により源頼朝から播磨国印南郡南条郷を与えられた。
1221年、糟屋有教によって加古川村より西方に築城。
当時、石垣上部に物見櫓が設置、城壁には矢、鉄砲の発射を目的とする大小の孔が空けられた(狭間)。
外部は塹壕を巡らせ、逆茂木を設けた。
鎌倉時代、加古川城は播磨守護所として守護代糟屋氏が在城。
1577年、羽柴秀吉らによる毛利氏討伐の軍議が開かれた。
12代城主・糟屋武則は秀吉方となって小姓頭となり、賤ヶ岳の戦いで武功(七本槍の一人)をあげ、大名に出世。
関ヶ原の戦いでは西軍に付き、領土を没収され、糟屋氏は断絶し、破却。