…もっと見る
1624年、「オランダ東インド会社」がアジア貿易の拠点として「安平」に上陸し、南部台湾のオランダ統治がはじまりました。 オランダ人が建てた安平古堡を中心に街が形成され、貿易、経済の中心となった台湾最古の街「安平」は、旧地名を「大員」といい、台湾語で「ダイワン」と発音し、これが「台湾」の由来になったと言われています。 1661年、「鄭成功」がオランダの駆逐に成功し「安平」は「鄭氏政権」の首都となるも、32年後「清朝」に滅ぼされてしまい「清朝」の台湾統治が始まります。 その後、1895年からは日本が台湾を統治をするなど、様々な時代を経てきた「安平」は、現在台南の市政府の所在地で開発が大変進んでいるところでもあります。 今回はそんな「安平」の旧市街に今も残る歴史建築と、海岸に沿って伸びる「安億路」沿線の新しいスポットをご紹介いたします。 そして「安平」は、いろいろな「小吃」がありグルメの街としても有名なところ。 一緒に地元飯を一部ですがご紹介いたします! ※「台湾」の名前の由来については諸説あります。
海に囲まれている台湾には、魅力的な海岸線の街がたくさんあります。 北部台湾にある北海岸は、東は基隆の和平島から、新北市の萬里、石門、三芝、西は淡水までの海岸線のことを言います。 新北市部分の海岸線(萬里、石門、三芝、淡水)は、地理的にちょうど台湾の頭のてっぺんの突き出た部分で、台北からだと陽明山国立公園の周囲を回る形でくるっと一周することができるのです。 今回はその北海岸を車で1周、台湾本土最北端の海沿いの街をめぐる1日旅です!!
南部台湾を代表する街「高雄」は、17世紀後半から清が統治を開始、この時代より高雄は重要な拠点となり「台湾府鳳山県(現在の左営)」が設けられました。 間もなくして「鳳山県城」が築かれ、約300年経った今もその名残をとどめています。 1858年に天津条約で開港の後は貿易港として、そして軍港としても栄え、「左営港」は現在も現役の軍港で、その付近には「海軍」にまつわる観光スポットもあります。 高雄のお隣の「屏東」は台湾最南端の県で、山も海も手つかずの自然が比較的多く残る所で、屏東南部の「墾丁」はマリンスポーツなどが大変盛んな所です。 近年「屏東」では都市計画が行われており、多くの歴史建築のリノベーションが進められていて、高雄から近い「屏東市」と「竹田」にも、観光スポットに生まれ変った所がありますのでご紹介いたしますね。 今回は、南部台湾・屏東と高雄のあまり知られていないスポットを、車でめぐる1泊2日の旅です。
2023年まであと少し…… 台湾1周後編: 太魯閣峡谷の花蓮から絶景の東海岸を北上し台北へと巡る旅。 活気あふれる大都会台北・高雄。郊外には美しい大自然、田舎では古い日本家屋も、どことなく懐かしさも感じ、それでいて洗練されて新しい。それが今の台湾だ! 今のうちに麗しの島台湾の素晴らしい景色と美味しい料理にB級グルメ、笑顔溢れる親日家の台湾の人々との触れ合いを楽しみませんか。
北回帰線が通る街「嘉義」は、熱帯と亜熱帯の境目で、年間平均気温は約23度と過ごしやすい所。 台湾最大の平原「嘉南平原」のほぼ中央に位置し、約400年前より開墾が始まり、台湾で最初に城壁が築かれた所です。 以前より農林業が盛んで、特に、日本時代に入り阿里山森林の台湾ヒノキの開墾が始まると、「阿里山林業鉄路」の重要な拠点となり木材輸送や物流の集散地として大変賑わう街となりました。 今も、「嘉義駅」、「北門駅」周辺にはその当時の面影を多く残していて、近年の再開発プロジェクトで整備され、嘉義の新しい観光スポットとして生まれ変わりました。 また、以前は「画都」と呼ばれていたころもあり、アート的な広場や、美術館などにも整備された所もありますよ! 今回は、そんな「木材の都」である「嘉義」の知られざる魅力を1泊2日で巡る旅をご紹介いたします。
基隆は高雄港に続く台湾第2の港がある港街。 沈降地形で平地が少なく、「財布を忘れても傘は忘れるな」と言われるほど、「雨が多く降る街」でもありました。(今は昔ほど降らなくなりました。) 基隆は以前「雞籠」と呼ばれ原住民が暮らす所でしたが、約400年前にスペイン人が社寮島(基隆和平島)に上陸、間もなくしてがオランダ人が社寮島を占領した。という歴史もあり、18世紀に入ると漢人の移住が増え、19世紀中ごろより金、石炭の産出や鉄道の建設などが始まり大きく発展していきました。 1886年貿易港として正式に開港した基隆港は、日本統治時代に大規模な築港工事が行われ、その後もふ頭整備の増設などが行われ、今日では商用、軍用及び小規模ながら漁港をも兼ね備える港湾となっています。 そんな基隆港周辺にはいろいろな見どころがたくさん。 1日、ゆっくりのんびり散歩しながら基隆を知るコース!新スポットもご紹介いたします。
2023年まであと少し…… 台湾1周前編: 桃園空港から西海岸を南下して最南端の墾丁へ、さらに北上し大理石の街花蓮まで 活気あふれる大都会台北・高雄。郊外には美しい大自然、田舎では古い日本家屋も、どことなく懐かしさも感じ、それでいて洗練されて新しい。それが今の台湾だ! 今のうちに麗しの島台湾の素晴らしい景色と美味しい料理にB級グルメ、笑顔溢れる親日家の台湾の人々との触れ合いを楽しみませんか。
日月潭は台湾の中央にある南投県にあり、その南投県は海に面していない内陸県で、緑に囲まれた自然多い所です。 台湾原住民も多く暮らしており、その文化に触れることが出来るところでも知られています。 また、南投県はお茶の栽培でも大変有名なところで、台湾ウーロン茶の他、日月潭はおいしい紅茶の産地でもあります。 今回は、その自然に恵まれた南投県とここに暮らすサオ族(邵族)をはじめとする台湾原住民、地元の新鮮食材を利用したレストランなど、日月潭周辺の見どころを巡り、満喫する1泊2日の旅です。 南投県、日月潭は公共交通が都市部に比べると不便ですので、台中市などからタクシーなどをチャーターすることをお勧めいたします。 是非、都市では見ることが出来ない台湾の自然を体験、味わって下さい!! (※原住民という名詞は現地の呼称で、ここでもそのまま記載しております。)
蘭陽とは台北から雪山トンネルを抜けたところにある宜蘭地区の平地一帯で、現在は宜蘭平原とも呼ばれています。 また、以前は台湾原住民平埔族カバラン(噶瑪蘭)族の居住地でもあり、この一帯の旧地名を「噶瑪蘭」と言いました。 ここ蘭陽地区は恵まれた大自然と特有の文化、約220年の歴史があります。魅力ある所でご案内したい場所もまだまだたくさんありますが、今回は駅付近の観光スポットを巡り、温泉でリラックスする1泊2日の旅をご紹介したします。
天燈に願いを書いて空へ飛ばす十分の天燈上げは、現在北部台湾のシンボル観光スポットになり、海外からも多くの方が訪れる場所。 そのシンボルスポット十分を走るローカル鉄道、平渓線は台北を流れ淡水河にそそぐ基隆河の上流地域にあり、路線も基隆河に沿って走っています。 そして、ここ一帯は鉱山地帯で、以前平渓線は炭鉱開発の為に日本時代1922年に開業した産業鉄道でした。 もう一つ、海を走る深澳線も以前は金瓜石線と呼ばれ、現在の和平島付近から水湳洞までを繋ぐだけの独立した産業鉄道(私鉄)でしたが、戦後、石炭輸送のため瑞芳駅に接続、貨物線深澳線が開通、並行路線となりました。 その後、金瓜石線は廃止され、現在は2014年に開業した海科館駅を含める瑞芳、八斗子の3つの駅が台鉄深澳線として運行しています。 瑞芳駅で結ばれ2014年より直通運転が開始されたこの二つの路線には、乗り入れ駅猴硐駅も含め11つの駅があります。 今回はこの2つの路線、7駅の沿線スポットをご紹介いたします。 電車は約1時間に1本の運行ですので、全ての観光は1日では時間が足りません。 気になる所をチョイスしての観光はいかがでしょう。
彰化は台湾中部にあり、台中市に隣接していることからアクセス的に観光しやすい所です。 また、彰化のシンボルスポットは他の所にはない、貴重な産業遺産とダイナミック大佛様です。 是非皆さんにも見ていただきたく今回彰化市をご紹介いたします。 街並みもとなんとなく懐かしい雰囲気があり、散策していてつい立ち寄ってみたくなるところもたくさんあります。 台中にもまだあまり知られていないスポットがたくさんあり、その一部を台中ビブグルマングルメと一緒にご紹介いたします。 今回は、台中のスポットめぐりと一緒に彰化を知る、1泊2日で中部台湾を満喫する旅です。
蘭陽平原は台北から雪山トンネルを抜けたところにある宜蘭地区の平地一帯で、現在は宜蘭平原とも呼ばれています。 また、以前は台湾原住民平埔族カバラン(噶瑪蘭)族の居住地でもあり、この一帯の旧地名を「噶瑪蘭」と言いました。 台北-宜蘭地区を結ぶ、宜蘭を本社とするバス会社「噶瑪蘭客運(カバランバス)」、宜蘭の自然水を利用して蒸留する「 噶瑪蘭ウイスキー(金車企業)」など、旧地名がネーミングされている企業や商品名もよく見られます。 宜蘭エリア(宜蘭県)には、他にも魅力的な街がありますが、今回は宜蘭エリアの中心地、宜蘭市をご紹介します。 宜蘭市は、清の時代1800年ごろから漢民族により本格的な開発が進み、当時「五囲」と呼ばれ、後に重要な都市ととなりました。 1812年には台湾府下の噶瑪蘭(宜蘭)庁が設置され、城壁も築かれ、日本統治時代も、宜蘭地区の中心地として、また、宜蘭の山々と平原の恵みを受け農業や産業は大きな発達を遂げました。 そんな歴史の名残りをとどめつつ、新しく整備が進んだ宜蘭市の街を、のんびり探索しながら散策するのんびり旅です。
台北にはたくさんのグルメがありますが、今回はミシュランの星を獲得したレストランをご紹介します。 ホテルも、2020年にオープンのお酒をテーマにした台湾にはまだ少ない隠れ家的なホテルを。 滞在中に、ちょっと贅沢に、そして気ままに巡る台北の旅です。
現在、新竹はIT産業が盛んな工業都市のイメージがありますが、新竹市の中心地は懐かしい雰囲気が漂う魅力的なところです。 約330年まえに開墾がはじまり、1733年には竹塹城(新竹城)が築かれ、台湾で重要な都市の1つとなりました。 清の時代末期には鉄道も通り、日本統治時代も発展した新竹には歴史建築なども多く残っています。 現在、新竹市政府は観光都市としての発展のため、市内古跡の改修や街の整備にも力を注いでいます。
北投は北部台湾の代表的な温泉街で有名な観光地、そして、日本の情緒を色濃く残しているところでもあります。1894年にドイツ人によって温泉が発見され、1896年より多くの温泉旅館が建ち並び、湯治場にもなりました。そして、1923年昭和天皇が皇太子の時に視察に訪れ更に活気のある場所に。戦後は、その情緒ある街並みが映画の撮影場所としても注目され「台湾版ハリウッド」と呼ばれたこともありました。そこで、MRT新北投駅付近のシンボルスポットに加え、少し離れている見所ものんびり探索しながら散策し、夜は台北市内の寧夏夜市でミシュランビブグルマンに掲載されたストリートフードをいただく1日旅をご紹介します。北投は台北中心地から気軽に行ける距離ですが、「温泉を満喫したい」と1泊される方もたくさんいらっしゃいますので、おすすめホテルも交えてのご紹介です!北投では美肌の湯で知られる「白硫黄泉」を満喫できますよ。
1858年天津条約で開港し、1895年からの日本統治時代には海軍の補給港として開発され、農業や産業が発達した後は商港として大きく発展した高雄港。1912年に埋立造成が完成、港湾整備が行われ、港に物資を運ぶための貨物支線も造られました。当時、高雄にいた日本の人たちは貨物支線を「濱線」と呼び、台湾の人たちもその日本語発音を聞いて「はましん」と呼んでいました。その名残から現在も、西子湾一帯を「濱線」の発音に近い中国語漢字を当てて「哈瑪星(はましん)」と呼んでいます。「哈瑪星(はましん)」は歴史の面影がたくさん残っている興味深いところです。
何度も上海に訪れている上級者には、旧フランス租界の「武康路(ウーカンルー)」の旅をご提案します。まるでパリの小道に迷い込んだかのように、歴史を学びながらお洒落な街を巡ってみませんか?✨🍷🍾🇫🇷
台南は「台湾」の名前の由来になったと言われる所。17世紀のオランダ統治時代、鄭成功軍のオランダ駆逐(鄭氏政権)等歴史がある古都「台南」のレトロな街並と地元食に触れる1泊2日の満喫旅です!
ログイン