今回、姫路城と大阪城へ行こうと思い立ったのが旅行日前日の夕方のこと。そんな突然都合がいい18切符(レンタル)が手に入るのだろうか。と、ショップに行ったら容易に手に入ってしまったんですよ。ということで、急遽姫路城と大阪城へ行って参りました。どちらも実際に行くのは今回が始めて。国宝の城と普通の城との違いを充分に楽しんだ後は残りの時間で大阪の街を歩き、色々食べて歩こうではないか。というのが大まかな計画になります。実際の話、姫路城や大阪城の場所や周囲、現地への行き方すら全くわかっていません。全て当日現地で調べました。毎度呆れるほどの行き当たりばったり日帰り旅なのです。
大阪の北浜エリアを中心に、今も現役で活躍するレトロなビルディングがたくさん残っています。文化財級のビルも多く、花の無い季節などには最適な街歩きコースの一つです。ほとんどがオフィス街にあるため散策するなら休祭日が快適です。
黒門市場で軽く朝食とってからの御朱印巡り。そしてちょっと観光? これら以外の寺・神社を巡るなら地下1日乗車券を買うといいかも。地下鉄しか乗れないけど.....
【2018.12.15-17訪問】 第二の故郷に帰省するついでに友達紹介してもらったり、いろいろ連れてってもらったりした😇 1日目:A〜J 2日目:K,L 3日目:M〜U 【基本旅費】 JR東海ツアーズこだまパック 往復27700円
まいどまいど! 以前から親しまれ続けている上本町ハイハイタウン、近鉄百貨店上本町店でおましたが、2010年に難波駅前にあった新歌舞伎座の移転とともに開業した上本町YUFURA、そして、NHK大河ドラマ「真田丸」で注目を集めた真田幸村(真田信繁)ゆかりの地として注目を集め続ける上本町界隈。 1614年から1615年に勃発した大坂冬の陣と大坂夏の陣では豊臣軍と徳川軍による熾烈な戦いを繰り広げ、真田幸村による真田丸を築き上げた他、三光神社で今も残る抜け穴の入り口や産湯稲荷神社の抜け穴など真田幸村に関する史跡がぎょうさん残ってはりまんな。 また、お笑い文化も根強く残り、上方落語発祥の地として知られ、上方落語の祖にあたる米沢彦八はんや井原西鶴はん、そして織田作之助はんゆかりの生國魂神社では毎年、彦八まつりが開催され、明石家さんまはんや笑福亭鶴瓶はん、桂文枝はんなど落語会ゆかりの大御所タレントがゲストとして登場することも。 さらに、幕末以降に活躍した新選組の存在など興味深い歴史がぎょうさんありまんねん。 大阪の歴史を語る上で上本町は外せまへん。 そんな上本町のおもろいとこをご案内していきまひょ!
大阪にある住吉大社は、古い歴史を持つ神社。 大阪の総鎮守のお社でもあり、摂津の国一宮でもあります。 禊祓いの神様として知られている風格ある佇まいの4つの本宮…。 それを取り囲むように、摂社、末社(周辺の小さな神社)もたくさんあります。 こちらにも商売繁盛はもちろん、子宝祈願、受験合格、縁結び、いろいろなお願いをかなえて下さる神様がおいでです。 お願いごとをしながら、いろいろ訪ねて回るのも楽しいですよ。 じっくり時間をかけて、すみずみまでお参りを楽しんでください。 住吉大社近くのパワースポット神社も併せて紹介します。 面白いことに豊臣秀吉の側室、淀殿ゆかりの神社もたくさん見つけました。 彼女は戦国時代に戦火で焼失した社寺の復興に積極的だったようですが、それを物語っているようですね。 歴史散策にもぴったりのコースです。
まいど! 大阪っちゅうたら、キタ・ミナミに代表されるように日本最大級の繁華街が形成されておます。 なかでも、ミナミは、南船場から心斎橋、道頓堀、難波に至るまで日本最大の繁華街を擁し、くいだおれ等のド派手な看板が全国的に有名でんな。 でも、そんなにぎやかな繁華街を少し離れると戦災を免れた古い街並みと昔ながらの路地が現れ、まるで昭和前期にタイムスリップしたような雰囲気が楽しめます。 おもちゃ、人形と言えば、松屋町筋商店街。 地元では古くから「まっちゃまち」と呼び、多くの買い物客でにぎわおうてはります。 また付近には直木賞で知られる直木三十五はんの生誕地や文学碑が建立され、ファンの間で人気を呼んでいます。 そんなまっちゃまちの近くには比較的に庶民的な商店が立ち並ぶ空堀商店街が見えてきます。 でも、実はここ空堀商店街は太閤豊臣秀吉のおひざ元として知られる大阪城の外堀の一部であったことをご存知でっか? 今では住宅街の風景の中に溶け込んでんねんけど、歴史上、貴重な資料の一部として語り継がれてまんねん。 そして、日本最大の地下街「クリスタ長堀」もおすすめ! さあ、遊びに出かけまひょ!
まいどまいど! 西日本の最大の経済の中心地といえば、大阪府。 その大阪府の中心地は今も昔も「船場」って、言われてはりまんな。 かつては、船着場として栄えたことから名付けられたという船場は江戸時代、天下の台所として大いににぎわい、当時は多くの川が張り巡らされ、多くの舟が行き交うてはりました。 船場の北側を北船場、南側を南船場と呼び、今も中心地として発展し続けてまんねん。 今の大阪の繁華街を指す「キタ」と「ミナミ」。 キタは、大阪駅・梅田駅を中心とした界隈を指し、ミナミは心斎橋駅・難波駅を中心とした界隈を指してまんねん。 せやけど、元々は、北船場の「北」と南船場の「南」が語源となっていることを皆さんは知ってはりまっか? そんな船場では、船場センタービルを中心に船場繊維問屋街をはじめ、多くの商店が立ち並び、多くのビルが乱立してまんねん。 そんな中で、今も昔も変わらないモダニズム建築が原形をとどめている他、最近、テレビやラジオ、インターネットで取り上げられている今話題のお店や流行の最先端のお店の最新情報などを掲載! 船場界隈がもっと面白くなる、そんなお出かけプランでおまっせ。
まいどまいど! 日本最大規模の繁華街として知られるミナミでおまっせ。 ミナミとは俗に大阪市中央区の心斎橋、道頓堀、難波やその周辺のことを指しまんな。 まあせやけどここには、全国的に有名なくいだおれ太郎をはじめ、グリコやかに道楽、づぼらやなどの”にぎやか”で”華やか”な看板がぎょうさん目立つ界隈として知られてはりまんな。 ちなみに、キタとは、大阪市北区の梅田から中之島やその周辺のことを指し、ここには、西日本最大のターミナルとして有名な大阪・梅田駅がある他、梅田スカイビル、グランフロント大阪などの超高層ビル、大阪市役所などがある大阪市の中枢のエリアとして知られ、それぞれ、大阪市内の中心部にある船場の北船場、南船場から派生したと言われてまんねん。 そんな日本最大規模の繁華街として知られるミナミの一角に宗右衛門町と呼ばれる繁華街がおまして、ここにはレストランをはじめ、居酒屋などが立ち並んでまんな。 そのほか、島之内では道頓堀ゆかりの安井道頓・道卜、そして、住友財閥ゆかりの場所があり、歴史的にも文化的にも重要なエリアとして位置づけられてまんねん。 さあ、宗右衛門町と島之内を散策していきまひょ!
地元グルメを楽しみながら、御朱印帳を持って大阪ひとり旅。串カツをつまみにビールを飲んで、占いに行って、御朱印巡りをして、牛カツ食べて。充実のプランです。
大阪難波の定番観光スポットってどんなところ?とよく聞かれます。 長年住んでる私としては、観光地というより食事することろが多い印象ですが、探してみれば「観光地」と言えるところがたくさんありました! 実は普段歩いてる場所も、他府県から来た人なら観光地じゃないかなという場所もありましたので8箇所紹介していきます!
天王寺からスタートして歩いて行きました。 お昼から夕方ぐらいでまわれます。 休日にちょうどいいお散歩コースでね。七福神の朱印や色紙を買ったらより楽しめるかもしれません。
大阪城ホールでのLIVE前後に行ったところまとめ。 金欠2人が安く楽しく遊んで食べました。 楽しかったので自己満まとめですが、おすすめのところばかり! ジャニーズWESTのメンバーが撮影で訪れたロケ地も巡ってみました。 (2017.7)
まいど! 江戸時代の大坂は天下の台所。 全国から米を中心とした食材・物資が集まり、取引が活発に行われていました。 当時の大坂には全国から集まった藩の蔵屋敷が乱立、荷物を運搬する船が行き来しやすいよう、町民によって道頓堀川や長堀川など、人工の川を新たに開削した。 大阪市西区では、木材を主に取り扱う市場などが登場、経済都市・大阪としての礎を築きました。 せやけど、時は明治、大正、昭和へと移り変わり、天下の台所・大阪から工業都市・大阪へと変貌を遂げていくこととなりまんねん。 名を大大阪(だいおおさか)。 大阪には工場が乱立し、東洋のマンチェスター(煙の都)と呼ばれ、東京市を抜いて世界でも6番目に並びました。 昭和時代、船だけでなく、飛行機・鉄道・自動車へと運搬方法が多様化し、町民によって開削された長堀川は埋め立てられ、自動車が走る長堀通へと姿を変えました。 同時に世界で初めてとなるリニアモーターカーの技術を取り入れた地下鉄の長堀鶴見緑地線が開通。 今後のさらなる発展が期待されている街。 それが、大阪市西区でんねん。 岩崎弥太郎による三菱財閥発祥のまち大阪市西区を散策してみまひょ!
まいど! 天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の死後、豊臣方と徳川方による大阪の陣が1614年と1615年の2度勃発した。 1614年を大阪冬の陣、1615年を大阪夏の陣と呼び、戦後400年を迎えた2014年と2015年は、大阪城でイベントが開催された。 また、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」により、真田幸村が再び注目を浴びることとなり、真田幸村が歩んだ場所と軌跡を取り上げる。 大阪の陣と大阪の陣に登場する人物のゆかりの地としては、大阪城や茶臼山、三光神社、志紀長吉神社だけでなく、遠くは茨木市、堺市、柏原市、交野市など広範囲に及ぶ。 激戦が繰り広げられた古戦場から真田幸村の終焉。 そして、戦によって焼け野原となった大阪の地、焼け野原からの復興で立ち直った大阪の軌跡をギュギュギュっと凝縮し、まとめました。 古跡ファンの皆さん、戦国時代のファンの皆さんもぜひ参考にしてみてください。 1614年、1615年に、天下分け目の戦いともいうべき、豊臣家と徳川家の激戦。 まずは、大阪城を出発しましょう。
大河ドラマ史上最高傑作との声もある「真田丸」が終わってしまって真田丸ロスな日々をすごしているみなさん。嘆いていても仕方がないので真田丸にでもいって色々思いを馳せてしまいましょう。
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