
大阪・上本町のここがおもしろい!
大阪大阪・上本町のここがおもしろい!
まいどまいど! 以前から親しまれ続けている上本町ハイハイタウン、近鉄百貨店上本町店でおましたが、2010年に難波駅前にあった新歌舞伎座の移転とともに開業した上本町YUFURA、そして、NHK大河ドラマ「真田丸」で注目を集めた真田幸村(真田信繁)ゆかりの地として注目を集め続ける上本町界隈。 1614年から1615年に勃発した大坂冬の陣と大坂夏の陣では豊臣軍と徳川軍による熾烈な戦いを繰り広げ、真田幸村による真田丸を築き上げた他、三光神社で今も残る抜け穴の入り口や産湯稲荷神社の抜け穴など真田幸村に関する史跡がぎょうさん残ってはりまんな。 また、お笑い文化も根強く残り、上方落語発祥の地として知られ、上方落語の祖にあたる米沢彦八はんや井原西鶴はん、そして織田作之助はんゆかりの生國魂神社では毎年、彦八まつりが開催され、明石家さんまはんや笑福亭鶴瓶はん、桂文枝はんなど落語会ゆかりの大御所タレントがゲストとして登場することも。 さらに、幕末以降に活躍した新選組の存在など興味深い歴史がぎょうさんありまんねん。 大阪の歴史を語る上で上本町は外せまへん。 そんな上本町のおもろいとこをご案内していきまひょ!
-
大阪市天王寺区にある複合型商業施設。 1925年、大阪電気軌道による大軌ビルが開設された。 そのビルの敷地内には、近鉄百貨店の前身となる三笠百貨店がオープンした。 地下1階は飲食店街となっている。 地上では、オフィス事務所や医療施設などが入居。
-
顔出しパネル
2016年に放送されたNHK大河ドラマ「真田丸」で注目を集めた真田幸村(真田信繁)。 大阪城を守ろうとする豊臣軍と、敵対する徳川軍によって繰り広げられた2度の壮絶な戦い大坂冬の陣と大坂夏の陣。 大阪市や堺市、藤井寺市、柏原市など多方面に及び、各地で、鴫野の戦い、道明寺の戦いとして語り継がれている。 その中でここでは、真田幸村を中心とする十勇士の撮影用パネルがあちこちに展示されている。
-
顔出しパネル
2016年に放送されたNHK大河ドラマ「真田丸」で注目を集めた真田幸村(真田信繁)。 大阪城を守ろうとする豊臣軍と、敵対する徳川軍によって繰り広げられた2度の壮絶な戦い大坂冬の陣と大坂夏の陣。 大阪市や堺市、藤井寺市、柏原市など多方面に及び、各地で、鴫野の戦い、道明寺の戦いとして語り継がれている。 その中でここでは、真田幸村を中心とする十勇士の撮影用パネルがあちこちに展示されている。
-
中田明正
1915年、大阪府東大阪市生まれ。 幼少期、積極進取の気性に富んでいた。 後に観光事業に専念し、業界の発展に大きな足跡を残した。 上六商店街振興組合の理事長に就任し、「うえほんまちハイハイタウン」をはじめとする再開発事業に取り組んだ。 以後、大阪府知事、大阪市長より賞状が贈られたとか。
-
-
ここは、本格的な讃岐うどんを味わえるお店として人気で、入り口の看板にはA定食(学生A)、B定食(学生B)、C定食(学生C)があり、思わず入店。
-
チキン南蛮とミニうどんのセット
チキン南蛮とミニうどんがセットになったメニューを注文。 安くてボリュームたっぷりで、何よりもうどんの麺は硬くなく、柔らかすぎずほどよい腰があり、だしも美味しい。 チキン南蛮もチキンは大きくてボリュームがあり、タルタルソースの美味しさに病みつきも。
-
-
式内社で、旧社格は官幣大社。 別名、難波大社とも呼ばれている。 生島大神、足島大神、大物主大神を祀る。 神武東征の時、神武天皇が難波津に上陸した。 国土の神である生島神・足島神を現在の大阪城付近に祀った。 1583年、大阪城築城の際、豊臣秀吉が現在地に遷座させた。 1615年、大坂夏の陣で炎上し、徳川秀忠が再建した。
-
上方落語発祥の地の碑
関西地域の落語は主に「上方落語」と呼ばれている。 それに対して、関東地域の場合は、「江戸落語」と呼ばれる。 落語の文化は大阪や京都で発祥した。 その後、落語という文化が江戸にも伝わった。 また、米沢彦八さんの功績を称えようと石碑も建立。 彦八まつりでは毎年、上方を拠点に活動する若手から大御所までの落語家が集まり、芸を披露。 また、落語家の皆さん自ら出店を構え、直接、ふれあうこともできる。
-
井原西鶴
江戸時代、上方を拠点に活躍した浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師の井原西鶴さんの像。 井原さんは難波の生まれ。 浮世草子の代表作は、「好色一代男」。 近年、代表作の「西鶴一代女」「大阪物語 」「好色一代男」などは映画化され、再び、注目を浴びた。
-
織田作之助
大正時代から昭和時代にかけて、上方を拠点に活躍した小説家・織田作之助さんの像。 天王寺区の生まれ。 幼少時代から生國魂神社付近で過ごし、難波に店を構える老舗「自由軒」の「元祖・混ぜカレー」が好みであったとか。 代表作は、「青春の逆説」「土曜夫人」など。 井原西鶴さんに憧れ、小説家を目指し、飲食店が集まる法善寺横丁に店を構えていた老舗「夫婦善哉」を舞台にした短編小説「夫婦善哉」は人気となった。
-
ひこはちくん
生国魂神社のマスコットキャラクター「ひこはちくん」。 米沢彦八氏がモチーフ。 米沢彦八氏とは、江戸時代に活躍した落語家。 彦八くんは、上方落語発祥の地「生國魂神社」で活躍。 漫才、落語などの上方文化をPR。 生国魂神社「彦八まつり」など漫才、落語のイベントに登場!
-
彦八まつり
上方落語協会主催の彦八まつりは、江戸時代に活躍した米沢彦八の功績を称えるもので、1991年から始まった。 今年、米沢彦八の没後から300年を数え、例年以上の盛り上げを見せた。 いくたまさん本殿前には、生國魂神社のマスコットキャラクターの彦八くんを記念撮影。
-
彦八まつり
境内では、上方落語協会の感謝祭として、多くの落語家の皆様が集結。
-
彦八まつり
1991年からこれまでに、笑福亭仁鶴さん、笑福亭鶴瓶さん、キダタローさん、明石家さんまさんら芸能界で活躍する多くの有名人が登場した。
-
彦八まつり
「彦八まつり」のメイン会場では、特設ステージが組まれ、舞台上では、「彦八くん」と、天満天神繁昌亭で活躍する「てんてんちゃん」の2人が登場。 会場をさらに盛り上げます。 そして、さらに、お笑いの渦が巻き起こりました。
-
-
季節になると、桜の名所としてにぎわう。 また、生國魂神社のそばに位置している生玉公園には、地下壕がある。 戦時中に使用されたとされ、現在もその面影がある。 1996年、大阪市により、看板が設置された。 地下壕の内部の構造は、アーチ状で鉄筋コンクリート造りとなっている。 当時は、2階建てとして建設された。 1889年、浪花富士山跡は上町大地西縁の高台に建築された木造漆喰塗りの富士山型をした高さ18mの展望台。 登頂路には、東海道五十三次の風景が再現されていたとか。
-
高野山真言宗。 山号は如意山。 本尊は、如意宝珠融通尊(宝生如来)、脇侍は、金剛幢菩薩・金剛宝菩薩・弘法大師・不動明王。 800年代、平安時代に活躍した歌人で大判事・左衛士大尉を歴任した藤原冬嗣の発願により、甥の任瑞上人が開基。 藤原家の安泰を願って建立。 当初、藤原家を治める寺であったため、藤冶寺と称した。 明治時代、生玉十坊の一つ地蔵院を合併し、藤次寺と改称。 1600年頃、加藤清正が大檀主となり、金堂、伽藍、堂宇などを建立。
-
大阪の融通さん
中興憲遵阿闍梨の時には、如意宝珠融通尊への信仰が盛んとなり、「大阪の融通さん」という愛称で親しまれた。 1764年、中興清範和上の時、九条尚実が家運長久を祈るため、永代不易の祈願寺として改めて、旨辞を授けた。 江戸時代、藤原兼実を祖とする五摂家の一つであった九条家の祈願寺であった。 また、「花のれん」や「ぼんち」、「大地の子」、「運命の人」などの作品で知られる作家の山崎豊子の墓所も。
-
-
天王寺区の生玉町、下寺町界隈は歴史ある寺社が多く点在することから、寺町と呼ばれている。 1594年、前田利家の弟、前田次郎兵衛利信と僧開導によって開創。 本尊は、阿弥陀如来。 1863年、新撰組の大坂駐屯地となった。 1867年、大坂相撲力士との乱闘、町奉行与力内山彦次郎暗殺などの事件が勃発した。 1865年、本堂裏の納屋は牢として利用され、漢詩人・藤井藍田を拷問、絶命させた。 その他、多くの志士が牢内に捕らえられたとか。
-
新撰組駐屯地
1863年、新撰組の大坂駐屯地となった。
-
- アプリで地図を見る
-
宗派は本門法華宗。 本尊は南無妙法蓮華経。 また、吉本興業所属で活躍する今田耕司氏の実家として知られている。
-
地上12階、地下2階建となっている。 12階は、飲食店を中心としたレストラン街となっている。 そのほか、美と健康を中心としたフロアやスカイガーデンなどがある。
-
スカイガーデン
ここの最上階である13階には、スカイガーデンがある。 花や緑に関するショップやドッグパークがあり、夏になるとビアガーデンの会場として人気を集める。
-
スカイガーデン
晴れた日には大阪平野を一望することができる。
-
-
YUFURAとは、「ゆらりふらりと何度でも立ち寄りたくなる気持ちよい場所、心地よい空間」という意味が込められている。 2010年、地上13階、地下1階として開業。 近鉄劇場の跡地となるこの場所に新歌舞伎座を誘致した。 オフィスビルや飲食店が主に入居する。 地下1階や4階、5階は、近鉄百貨店上本町店との連絡通路がある。 2階には、上本町駐車場、バスセンターなどとの連絡通路がある。 1958年、千日前にあった大阪歌舞伎座の後継劇場として建設・経営。 1966年、新歌舞伎座を設立。 「大阪新歌舞伎座」は、歌舞伎を上演していない。
-
近鉄上本町駅改札のすぐ横にあり、隣接する上本町YUFURA・新歌舞伎座に向かうとき、帰るときなどに気軽に立ち寄れるお店。 また付近には、近鉄百貨店大阪上本町店、飲食店街が集まる「うえほんまちハイハイタウン」、上方落語発祥の地(米沢彦八氏、井原西鶴氏ゆかりの地)として知られる生國魂神社、古典落語「高津の富」の舞台にもなった高津宮、真田幸村ゆかりの地として知られる真田丸公園、かつては仁徳天皇の皇居であったとの説が残る東高津宮など、歴史、文化がいっぱい詰まった上本町界隈。 近鉄、地下鉄千日前が走り抜け、何かと便利なエリアである。
-
「歌舞伎」など
ひとつひとつが手作り。 手作りの味が堪能できるとあって、この日は、長い行列ができていた。
-
-
1614年、大坂冬の陣が勃発。 1615年、大坂夏の陣が勃発。 1614年に勃発した大阪冬の陣では、豊臣軍と徳川軍による熾烈な争いを繰り広げ、豊臣秀頼方の戦国武将の一人、真田幸村(信繁)は出城「真田丸(現在の大阪市天王寺区餌差町)」を築城し、徳川家康方を圧倒させた。 当地は、真田幸村が緒戦にて勝利を収めた場所として石碑が建立されている。
- アプリで地図を見る
-
世の中にぎょうさんのうどん専門店がある中で、なぜ、興味を持ったかというと、いつもお店探しにはお世話になっておます食べログにて、こちらのお店がなんと、うどん百名店2017年と2018年の2年連続、選出されていたからでんねん。 こちらのお店、どれぐらいごっついのか。 47都道府県の中からたったの100店舗しか選ばれへんという、かなり厳しい条件の中から、選出され、 いっぺん行ってみなあきまへんな っちゅうことで、訪れてみたきっかけとなりました。 ほんでまた、えらい人気でんねん! 店内はカウンター席とテーブル席とがありますが、16席なので、早めがおすすめでんねん。
-
ぶっかけ
メニューはぶっかけ、かれーうどん、かけうどん・天ぷらうどん、にくうどん、天ざるうどん、おにぎりセット、卵かけご飯セット、ミニ天丼セット、サービス定食では鶏天丼定食、ミニ天丼定食、その他、単品など。 今回は一番人気「ちく玉天ぶっかけ」を味わってみることに。 ちく玉天ぶっかけでは、ちくわ天、半熟玉子天のせ。 ぶっかけ用としての出汁が添えられている。
-
-
大阪市天王寺区に鎮座する神社。 かつて、仁徳天皇社とも称していた。 創建時期など詳細は不明である。 1932年、上本町駅拡張工事時、現在地に遷座。
-
境内の雰囲気
地名の由来は、高津宮。 高津宮に合祀された北高津宮に遷座したからとも言われる。 1967年、戦災で社殿を焼失していたが、復興した。
-
-
明治維新後、インフラ整備の必要性が高まり、測量技術者の育成を開始。 灯台建設のために来日した英国人ブラントンは、技術教育やその基礎となる数学の必要性を説いた。 1871年、測量技術者養成を目的とした民間の学校として福田金塘氏、福田復氏、福田理軒氏、福田治軒氏らにより「順天求合社」が開設。 土御門家の塾である齋政館で天文暦学を学び、麻田剛立の流れを汲む武田真元が開設した「真空館」に入門。 旧麻田剛流宅に私塾「順天堂」を開設(蘭方医学塾の順天堂(順天堂大学)とは無関係)。 1871年、東京に移り、順天学園の前身・順天求合社を開設。
-
歴史
大学天文暦道御用掛や星学局御用掛になり、日本初の学会で、現在の日本数学会、日本物理学会の前身にあたる東京数学会社設立の一員。 現在、戦災で焼失した傳光寺に建立されていた石碑を当地に移転。 また、近松門左衛門の浄瑠璃「冥土の飛脚」にも登場した「梅川・忠兵衛」の墓も。 福田理軒の奉納した算額は清水寺(大阪天王寺区)、大阪天満宮(大阪市北区)にある。
-
-
大阪市天王寺区にある寺院。 また、浪華仮病院があったことでも知られている。 1868年、大阪の地に本格的な医学専門教育学校と病院建設が計画された。 学校として舎密局が発足した。 1869年、明治天皇の御下賜金がもととなり、大福寺の境内を借りて緒方惟準院長により開設された。 主席教授はオランダ出身のボードウィンとなり、医学教育にもあたった。 ここに半年間置かれていたが、現在の大阪大学医学部の前身である。
-
1690年、「圓珠庵」として創建された。 国文学者として知られる契沖は「鎌八幡」に居を構えた。 周辺には、真田幸村が大阪冬の陣の時、この地一帯に陣地(真田出丸)を構えた。 そのとき、この樹霊に鎌を打ちつけ戦勝祈願をされたといわれて以来、「鎌八幡」と呼ばれている。
- アプリで地図を見る
-
1614年、1615年に大坂冬の陣、大坂夏の陣が勃発。 1614年、大阪冬の陣では、豊臣軍と徳川軍による熾烈な争いを繰り広げ、豊臣秀頼方の戦国武将の一人、真田幸村(信繁)はこの地に、出城「真田丸」を築城し、徳川家康方を圧倒させた。 顕彰碑は、大阪城の石垣にも使用された岡山県犬島産の自然石花崗岩。 豊臣家と真田家の家紋を配し、大阪城天守閣が所有する「大坂三郷町絵図」、「大坂冬夏陣立図」のうち「冬の陣図」、東京国立博物館が所有する「大坂冬の陣図屏風」などが展示。 ここでは、大坂冬の陣で奮闘した真田幸村と「真田丸の戦い」「真田丸」について解説。
-
1614年、1615年に大坂冬の陣、大坂夏の陣が勃発。 1614年、大阪冬の陣では、豊臣軍と徳川軍による熾烈な争いを繰り広げ、豊臣秀頼方の戦国武将の一人、真田幸村(信繁)はこの地に、出城「真田丸」を築城し、徳川家康方を圧倒させた。 1615年、大阪市天王寺区の安居神社で休息時、徳川軍に攻撃され、討ち死にした。 1622年、真田幸村(信繁)とその子大助の供養の為、真田家の祖先滋野氏が創建、白牟和尚が、堂舎を創建。 寺の定紋は真田家の六文銭と定められ、山号は真田山。 当時、大坂は江戸幕府の直轄地であったため、豊臣方の武将であった幸村の墓をつくることは許されなかったとか。
-
大阪市天王寺区の宰相山公園にある神社。 天照大神・月読尊・素戔鳴尊を祀る。 400年頃、創建された。 1661年、鎌八幡の隣に遷座したが、1706年に現在地へ戻ったと言う。 かつては姫山神社と称し、一帯は姫の松原と呼ばれていた。 中風封じの神として知られる青麻神社(宮城県仙台市)を勧請した。 1908年、姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、社名を「三光神社」とした。 3柱の神を祀ることから三柱神社や、日月山神社とも呼ばれている。
-
真田幸村
鎮座地の丘は宰相山とも真田山とも呼ばれ、かつては大坂城の出城が置かれていた。 真田幸村は、大坂の陣のとき、大坂城から当地までの抜け穴を掘ったと言われている。 その跡が社殿の下に残っており、境内には真田幸村の像がある。
-
-
公園内には、球場やプールがあり、市民の憩いの場となっている。
-
祭神は、宇賀魂命、下照比賣命、大小橋命、豊国明神。 創建時期など詳細は不明となっている。 当社は比売許曽神社の旧社地にあり、現在は御旅所で末社。 当地の開拓神である大小橋命は天児屋根命の十三世の後胤で、13代成務天皇の御代、ここ味原郷に誕生した。 その時、境内の玉の井の水を汲んで産湯に用いたので、この地を「産湯」という。 父は神功皇后の近臣中臣雷大臣、母は紀氏清夫と言い、3人兄弟の長男である。 大化の改新で活躍した藤原家の祖、中臣鎌足の先祖にあたり、誕生のときの胞衣を埋めたと伝わる胞衣塚が比売許曽神社の近くにあるとか。
-
桃山跡
織田信長は、石山本願寺への攻撃の際、兵火に遭い、消失。 比売許曽神社は境外摂社であった牛頭天王社を現在の社地に遷し奉ったが、後年当神社の旧知に再び奉祀せられた。 第二次世界大戦の戦災により焼失。 1948年、再建。 大阪市の都市計画により境内隣接地に公園が整備された。 明治時代、産湯稲荷神社が鎮座する場所は俗に桃山といわれ、大阪屈指の大桃林があったとか。
-
玉の井
大阪城から続く真田の抜け穴と言われた跡があったとか。 1919年、隣接していた「味原池」は、比賣許曾神社の祭神下照比売命が天の磐船に乗って天降られた霊地とされているが、都市開発により、埋め立てられた。
-
- アプリで地図を見る