兵庫県で観光客を呼び込む活動をしている地域がいくつかありますが、この篠山市は特に若い人が観光客を呼び込む取り組みを積極的に行っており、魅力的なお店や観光地が多いと思います。大人になると良く分かる篠山市の魅力を伝えたいプランを作ってみました。他のプラン篠山市リノベーションプランも参考にして下さいね(篠山市郊外のプランは後日作ります)
二人で手を繋いで朝から明治神宮のお散歩から始まるデートプランです。その後はカフェにランチに美術館巡り。素敵な時間を共有できて、ゆっくり話せる付き合い始めのカップルにオススメの大人デートです。
城というのは全国的に数多く建造されましたが、現在その多くは「城跡」として名前を残すのみとなっています。 ところが名古屋を中心とする地域では、名古屋城を筆頭に現在でも形となっている城が数多く存在します。 その多くは「再建城」であり、「資料館」に姿を変えてしまっていますが、正統派の「本物」も残っています。 今回は名古屋とその周囲地域の「形として城になっている建物」を探索します。 なお。今回は石垣のみや石碑があるだけの「城跡」は除外させて頂きます。 ※実際に行った時の写真等はリンク先(筆者Holidayプラン・筆者「猫耳」ブログ)でお楽しみ下さい。
名古屋城は終戦の年の5月まで家康モデルが健在だったのに名古屋の空襲で焼けてしまった勿体無いお城です。しかし、それ故写真も図面もたくさんあって建物の詳細がわかっていたことから極めて精緻な復元が可能とも言われています。そして現在、総工費150億円をかけて復元中の本丸御殿が話題です。すでに3部工事の2部までが完成し、2016年6月からは対面所が公開され話題です!
神楽坂、その地名通り坂が非常に多いです👀🐾その理由としてかつて江戸幕府が川を外堀に利用したことで外堀の両側が高台になったからだそう。そんな歴史ある坂を巡りつつ、坂付近にあるお店を巡ってみました❤️
初春に夫婦2人で、北京都の福知山市・綾部市から兵庫県の丹波・篠山まで旅行に行ってきました。派手さはありませんが、しっとりした落ち着いた感じの旅でした。今回のプラン近くをお出かけでしたら参考にしてみて下さい。(篠山プランは別ブランで詳しく載せてます)
大分県と福岡県の県境にある海沿いの町、中津。 2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の舞台の一つとなりました。 その黒田“如水”官兵衛が開き、後を受けた細川“三斎”忠興が築き、奥平家が150年にわたって治めた町。 シンボル中津城に登れば、黒田官兵衛が描いた天下統一への夢が見えるよう。 また、中津は蘭学と医学の町でもあります。 市内には医学の史料館が2つもあり、日本の近代医学が花開いてゆく過程が学べます。 そして中津といえば(?)福沢諭吉。 彼自身は中津に思い入れがあったどうか知りませんが、中津側は熱烈ラブコール! 少年時代を過ごした旧居が保存され、隣には業績を一望できる記念館が立ってます。 さらに中津の名物料理といえば鱧(はも)と唐揚げ。 戦国ロマンと維新の息吹に触れ、ご当地グルメを味わう…そんなプランを作ってみました。
京都と言えば歴史や伝統ですが、円山から清水そして五条河原町と流れて行く散策の中で、伝統の工芸品に触れながら思い出とお土産が増えて行くってなかなかよい体験ですよ。特にエイジング茶筒はやばいです。
まいど! ものの始まりなんでも堺。 日本のものづくりにおける製造業の歴史は、堺から始まったと言っても過言ではあらへんほど、様々なものを生み出してきた。 例えば、現在でも国産自転車製造のシェアは約4割を占め、市内には工場が点在、博物館まで存在する。 かつて、中国やポルトガル、スペインなど海外との貿易(日明貿易・南蛮貿易)が盛んで、海外の文化をいち早く取り入れてきた。 戦国時代、線香、傘、鉄砲など「ものづくり」としての礎を築き、その時に訪れた宣教師ザビエルらは堺の隆盛ぶりに驚き、「東洋のベニス」と絶賛。 また、堺は日本の工場として発展してきただけでなく、「君死にたまふことなかれ」で知られる与謝野晶子、豊臣秀吉に仕えた千利休、千利休の師匠にあたる武野紹鴎らを輩出、今でも先人たちの偉業は語り継がれている。 さらに、日本最大の前方後円墳として知られる大仙陵古墳はエジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓の一つに数えられ、周辺の羽曳野市、藤井寺市を含めた地域に点在する百舌鳥・古市古墳群はユネスコの世界遺産登録に向けて動き出した。 大阪・堺はホンマええとこやさかい。
湘南ってのは逗子も葉山も鎌倉も茅ヶ崎もありますし、実は大磯が発祥でもあったりするのですが、このプランは「湘南に行こう!」ではなく「江ノ島に行こう!」というプランです。江ノ島という極めて珍しい地形を満喫するとともに、その地形故の女神と龍に起因する歴史、伝説などもついてもひも解きながら、しっかり縁結びもしてしまいましょう。カップルで行くとバッチリ半日この島で楽しめます。
まいど! 今回は、経営の神様として今も注目を浴びる松下幸之助翁の足跡をたどる。 「こけたら、立ちなはれ」。 松下幸之助の名言の一つである。 和歌山で生まれて中学校を卒業し、大阪へ出てきてから、電気関係の職についた。 大阪のシンボルタワーとして知られる二代目の通天閣建設にも携わった。 その後、独立して、大阪市東成区で創業し、大阪市福島区で起業した。 二股ソケットの開発で成功し、松下のもとで働いていた井植敏男も喜んだ。 井植は、淡路島出身。 松下から独立して三洋電機を創業、自転車の発電ランプの開発を行った。 ある日、松下は、拠点を移すと決めた。 しかし、大阪市から見た方角で北東にある、守口市や門真市、寝屋川市、枚方市などを含めた地域は、鬼門と言われ、町の開発が遅れていた。 松下はこう言った。 大阪市から見たら日本の国土は、ほとんどが鬼門や! そして、門真市への移転を決めた。 常に松下は、非常識を常識へと変えた。 松下幸之助の斬新な才能で成功へと導いたのか、大阪と言う地域性や土地柄がそうさせたのか。 答えは誰もわからない。
まいど! 西日本最大の経済都市である大阪市の南に位置する大阪府堺市では多くの偉人を輩出しています! 「君死にたまふことなかれ」で知られる与謝野晶子氏は堺市に生まれ、これまでの功績を「さかい利晶の杜」で保存、展示を行っています。 博物館の2階では実際に、与謝野晶子氏が過ごした実家の一部が再現されてまして、かつての時代をしのばせまんな。 また、茶人として知られる千利休氏のゆかりの地としても知られ、多くの資料を保存、展示してまんねん。 千利休を訪ねるねんやったら、博物館のすぐ目の前に屋敷跡。 ここがおススメでんな。 なぜなら、かつてはここに屋敷があったっちゅうて、今は安全のために封印されてんねやけど、井戸もまた残されてまんねん。 ほんで、それだけやおまへんねん。 千利休の師匠にあたる武野紹鴎の屋敷跡があるなど、偉人の出身地が密集してんねん、これが。 堺は古くから環濠都市、つまり、川に囲まれた安全な場所として発展し、独自の時代を築いて、今でも由緒正しき寺院、仏閣が数多く残り、その歴史の深さを改めて感じることができる。 堺のことをもっと知るならここで決まり。 堺市の中心部で楽しむ充実した一日を!
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