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まいどまいど! 空海の師である勤操によって開かれた巌渕千坊の一つ帯解寺。 第2代将軍・徳川秀忠の正室・崇源院の安産も祈願に。 江戸幕府第3代将軍・徳川家光に世継ぎがなく、側室の御楽の方が当寺にて祈願、竹千代丸(4代将軍・徳川家綱)を安産。 以来、安産・子授け祈願の寺として信仰を集めた。 20世紀以降、美智子皇后、雅子皇太子妃、三笠宮、高円宮、秋篠宮などの皇族も安産祈願に訪れたという。 また付近の龍象寺は龍にまつわる伝説が色濃く残る。 一人の旅人が訪れて龍を退治すると言い、広大寺池の中央に矢を放った。 龍は天に昇って死んだが、生き返ってその後は仏様に仕え善い龍になったという。 夜な夜な天井の龍が絵から抜け出し、表の広大寺池で遊んで朝帰り、その折に髭から雫を落としたとも。
まいどまいど! 兵庫・神戸市と姫路市とを結ぶ山陽電気鉄道。 その山陽電気鉄道は姫路市内にある飾磨駅で分岐して、飾磨区と網干区とを結ぶ単線。 そんなローカル線に揺られて訪れたのは兵庫県姫路市の網干区。 西日本旅客鉄道(JR西日本)の網干駅は有名かもしれまへんが、山陽電気鉄道の終着駅・山陽網干駅周辺はどんな街並みで観光・グルメ・名物があるねんやろ?と散策してみることにしました。 まず訪れるべきなのは観光案内や地域の情報発信を行っているあぼしまち交流館。 ここでは地域の交流活動や文化的活動を目的に開設された施設として知られ、ぎょうさんの人でにぎわってまんねん。 ほんで、やっぱり網干区を代表する観光名所といえば旧網干銀行やおへんでっしゃろか。 モダニズム建築をそのままに旧銀行をレストランに改装したという店内はまさにおしゃれ。 貴方だけの特別な時間を過ごすことができまんねん。 その他、丸亀藩網干陣屋門、秋季例祭「提灯祭り」で有名な魚吹八幡神社、新鮮な魚介類を味わうことのできるなぎさなど、いっぱい。 海沿いでは工場夜景が美しいと評判で、なぎさ公園やその周辺ではカメラを持って歩く見物客の姿も。
まいどまいど! 国民的有名な歴史上の人物といえば、聖徳太子が挙げられるのとちゃいますやろか。 聖徳太子とは、奈良県にある法隆寺にゆかりのある人物として全国的にも有名でっしゃろうけども、実は大阪で四天王寺、兵庫では斑鳩寺が有名でんな。 太古の昔に聖徳太子が立ち寄ったとされ、聖徳太子ゆかりの寺院仏閣が建立。 さらに地名も太子町っちゅうことで、町内には聖徳太子の像が点在。 かつての時代を偲びつつ、聖徳太子の足跡を巡ってみてはいかがでっしゃろか。 太子という名のついた太子山公園の山頂にも聖徳太子の像が建立されておますが、この山頂付近から眺める景色は圧巻。 晴れた日には遠くに山々。 自然豊かな景色と街並みを一望することができまんねん。 ほんでそれだけやなく、公園周辺には蒸気機関車(SL)が常設展示。 かつては遊園地があったとして知られ、公園として整備されておます。 その他、江戸時代には西国街道・山陽道の一部にあたるため、宿場町として発展してきた歴史も。 町内には本陣跡があり、見学することもできまっせ。 無人販売店タマゴサンドをお土産にドライブを楽しもう!
まいどまいど! 京都の向日市の南に位置する阪急京都線の西向日駅周辺には何があるのか、早速、散策してみました。 向日市では隣接する長岡京市と同様、都・長岡京の史跡がぎょうさん点在し、古の時代を散策することもできまんねん。 長岡京跡の遺跡を公園として整備され、現在は市民の憩いの場として親しまれている長岡宮朝堂院公園。 大極殿や朝堂院など長岡京内の建物は築地や回廊で囲まれていたといい、中央の柱筋が窓付きの土塀になり、外側と内側が吹き放ち通路となる複廊。 通路は儀式の際、参列者が列席とする場ともなった。 朝堂院の南面回廊は南門の両側に鳥が羽を広げた形に取り付き、豪華さを醸し出していたとか。 かつての時代を偲ばせつつ、散策してみるのもおすすめだっせ。 向日神社に隣接する向日天文館では天体観測室やプラネタリウムなどが設置。 プラネタリウムでは地球から見た星空や太陽系の姿、遠くの宇宙をめぐるリアルな映像を投影し、宇宙から見た星空やオーロラ・雨・雪などの自然現象も再現することができるというから凄い。
まいどまいど! 日本の首都は平城京や平安京が有名でんねんけど、ここ長岡京市も実は都が置かれたという歴史がおます。 そもそも、日本最古の本格的な首都は大阪府大阪市中央区に2度、置かれ、名を難波宮。 大阪城公園からほど近く、桜の名所としても人気を集めてまんねん。 さて、長岡京市にも都が置かれ、現在は長岡京跡として市内各所に点在。 実際に街を散策してみると城址の多さに驚きました。 ええ!ここも城址!? 場所は勝竜寺城。 細川幽斎や明智光秀、細川ガラシャ、織田信長、羽柴(豊臣)秀吉など歴史上の有名人がぎょうさん出てきます。 その他、光明寺は法然上人ゆかりの地として知られ、念仏の法門を説いたとも。 また京豆腐のお店が点在し、豆腐から作られたドーナツをおやつに頬張りつつ、ビール工場でビールを味わい、楽しむのもおすすめ。 帰り道に見つけた秀吉(備中)大返し力水は飲むと不思議と、力が湧いてくるかも・・・。 まずは阪急電車京都線の長岡京駅前にある観光案内所で情報収集。 レンタサイクルも可能なので、まずはお申し込みから。
まいどまいど! 関西を代表する素麺っちゅうたら兵庫県では播州素麺、揖保乃糸、淡路素麺、大阪府では河内素麺などが挙げられまんねんけど、奈良県っちゅうたら、やっぱり三輪素麺でんな。 三輪素麵のおひざ元・桜井市を中心とする三輪地方は素麺の発祥地として知られ、市内各所には素麺を製造販売するお店がぎょうさんおます。 素麺は奈良時代、遣唐使により小麦栽培・製粉技術などが伝えられたとされ、唐菓子の一つ索餅(和名「麦縄」とも)が原型ともいわれてはりまんな。 索餅とは乾麵で奈良時代には米の端境期を乗り越える夏の保存食として重宝。 大和三輪において紀元前91年に大物主命の五世の孫・大田子根子命が大神神社の大神主に任ぜられ、その十二世の孫・従五位上大神朝臣狭井久佐の次男穀主が飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願、神の啓示を賜り三輪の地で小麦を栽培、素麺を初めて作ったとも。 大神神社祭神は素麺作りの守護神、生産者と卸業者の初取引の卸値の参考価格を神前で占う「卜定祭」が営まれているという。 そんな三輪では醸造安全祈願祭(酒まつり)が有名。 拝殿に杉玉が吊るされ、これが各地の造り酒屋へと伝わったという。
まいどまいど! 学校の教科書にはほぼ必ず取り上げられる「邪馬台国」「卑弥呼」「聖徳太子」というキーワード。 これらすべてのキーワードは奈良県桜井市でも見ることができますねん。 まず桜井市は邪馬台国ゆかりの地としても知られておまして、ここに邪馬台国があったんちゃうの?という有力な情報も。 また卑弥呼の墓では?とされる古墳もあり、何かと歴史を感じることができますねん。 ほんでまた聖徳太子ゆかりの地としても知られ、芸能の始まりとされる土舞台も現存。 なんやえらいごっついおもろい場所でんな。 市内中心部を伊勢神宮の参詣道(別名、伊勢参宮街道、伊勢本街道、参宮街道)が通り抜け、古くから参詣道として賑わいを見せてきたとも。 その他、仏教の始まりの地としても知られておまして市内には「仏教公伝の地」も。 奈良県桜井市の特産品の一つ「三輪そうめん」だけやない桜井市の魅力をほんの一部ですが、ご紹介していきまひょ。
まいどまいど! 本能寺の変を受け、摂津国と山城国の境に位置する一帯で、備中高松城の攻城戦から引き返してきた羽柴秀吉の軍と、織田信長を討った明智光秀の軍勢が激突した天王山の戦い。 現在では山崎古戦場として知られ、市内各地に史跡が点在する。 羽柴軍は前夜に中川・高山ら摂津衆が山崎の集落を占拠し最前線に着陣、池田恒興らが右翼に、黒田孝高、羽柴秀長、神子田正治らが天王山山裾の旧西国街道に沿って布陣し、秀吉の本陣は宝積寺に置かれた。 明智軍は斎藤利三、阿閉貞征(貞秀)、河内衆、旧幕府衆らが東西に渡って防衛線を張るように布陣し、迎え撃つ構えを取った。 光秀は勝龍寺城を脱出して居城坂本城を目指して落ち延びるが殺害された。 山崎合戦古戦場のPRを目的に自動販売機が設置された。 山崎合戦古戦場は羽柴秀吉と明智光秀が対決した場所として知られ、石碑も建立。
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