
タマゴサンドが大人気!?聖徳太子と太子町・鵤(いかるが)
兵庫タマゴサンドが大人気!?聖徳太子と太子町・鵤(いかるが)
まいどまいど! 国民的有名な歴史上の人物といえば、聖徳太子が挙げられるのとちゃいますやろか。 聖徳太子とは、奈良県にある法隆寺にゆかりのある人物として全国的にも有名でっしゃろうけども、実は大阪で四天王寺、兵庫では斑鳩寺が有名でんな。 太古の昔に聖徳太子が立ち寄ったとされ、聖徳太子ゆかりの寺院仏閣が建立。 さらに地名も太子町っちゅうことで、町内には聖徳太子の像が点在。 かつての時代を偲びつつ、聖徳太子の足跡を巡ってみてはいかがでっしゃろか。 太子という名のついた太子山公園の山頂にも聖徳太子の像が建立されておますが、この山頂付近から眺める景色は圧巻。 晴れた日には遠くに山々。 自然豊かな景色と街並みを一望することができまんねん。 ほんでそれだけやなく、公園周辺には蒸気機関車(SL)が常設展示。 かつては遊園地があったとして知られ、公園として整備されておます。 その他、江戸時代には西国街道・山陽道の一部にあたるため、宿場町として発展してきた歴史も。 町内には本陣跡があり、見学することもできまっせ。 無人販売店タマゴサンドをお土産にドライブを楽しもう!
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天台宗の寺院。 新西国三十三箇所第32番札所。 606年、聖徳太子は推古天皇から播磨国揖保郡の土地を賜り、大和国斑鳩宮から移住して当地を斑鳩荘(鵤荘)と命名、伽藍を建立した。 以後、数十の坊庵を誇る大寺院とし隆盛を極めていた。 1541年、守護大名の赤松氏・山名氏の戦禍を受け、灰燼に帰した。 後に龍野城主・赤松政秀とその子赤松広英、中興の昌仙法師等の発願で復興し、法隆寺支院から天台宗へと改宗。 江戸時代、歴代将軍の御朱印地となった。
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境内
境内にも像が建立。
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古代、西国街道は山陽道とも呼ばれ、京都や奈良と朝鮮半島の玄関口であった九州の大宰府とを結ぶ幹線道路として発展した。 かつて、宿泊施設としての機能を果たした本陣があった。 ただし、人や荷物を運ぶ人足や馬を手配する問屋場がなく、機能面で問題を抱えていた。 また、本陣が山陽道から外れた場所に位置し、宿場町は衰退した。
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公園内には、播電鉄道によって1912年に開設された太子山遊園地が存在し、お化け屋敷やメリーゴーランドが開設され、西播地方随一のレジャーランドとしてにぎわっていたとか。
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蒸気機関車D51の345号機
現在、日立製作所で1940年に製造された蒸気機関車D51の345号機が展示。 1909年、龍野の醤油や播州素麺の運搬を目的に龍野電気鉄道が開設され、網干港と觜崎を結ぶ路線が開通。 後に播電鉄道となり、1934年までの35年間親しまれた。
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民俗資料館
1978年に開設された民俗資料館(旧尾野家住宅)がある。 江戸時代、太子町福地で民家が建設されたが、当地に移築した。 建物は芸州流(広島県西部を中心に見られる手法)で葺かれた茅葺き屋根の平屋が特徴。 土蔵は、1829年に建築された農家建築である。
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聖徳太子
太子山の山頂には兵庫県揖保郡太子町にゆかりがある聖徳太子の立像があり、滋賀大学によって原型製作された。
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眺望
山頂付近からは太子町内を一望することができる。
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眺望
山頂付近からは太子町内を一望することができる。
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眺望
山頂付近からは太子町内を一望することができる。
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眺望
山頂付近からは太子町内を一望することができる。
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祭神は奈良時代に活躍した舎人親王(崇道尽敬皇帝)。 建立時期など詳細は不明となっている。 「日本書紀」編纂の中心となった。 1838年、本殿が建立され、鯉に乗った琴高仙人をはじめとする中国の神仙の彫刻がある。 西播磨各地に絵馬が残る土井継信(鶴山)はこの神社の氏子であった。 1899年、本堂が再建された。 また、社殿左右に植えられた雌雄の松は夫婦松と呼んでいる。 宮本武蔵は当地で生まれたとされ、付近には井戸が現存している。 また、晩年に武蔵が著した「五輪書」には「生国播磨の武士」と記している。
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玉子のパック「産みたてたまご直売所」をはじめ、サンドイッチ「タマゴサンド」、「卵トッツオ」「なめらかプリン」「ラスク」などを販売する無人販売所。
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タマゴサンド
タマゴサンドなど使用されている卵は全て奥播磨カントリーファームで採れた新鮮なものであるといい、値段も数百円から。
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冷凍ラーメン自動販売機
「創業昭和25年。麺づくり一筋。成戸製麺所」の文字とともに、冷凍ラーメン自動販売機が併設され、和歌山中華そばをはじめ、横浜家系ラーメン、九州豚骨、こだわり餃子などが販売されている。
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763年、5本足の子牛が生まれた。 不吉に思い、朝廷が占わせたところ、異賊に攻撃されて戦乱が起こると託宣が出た。 764年、新羅の軍船2万余艘に攻められ、家島に陣をとった。 朝廷は、弓の名手の藤原貞国を将軍に任命し、異賊の追討を命じた。 貞国は、国分寺・太田寺・松原八幡・魚吹八幡などの寺社に戦勝を祈願し、魚吹津から出陣したところ、大風が吹いて多くの敵船が沈没。 貞国は鉄の鎧を纏った敵の大将を射抜いて勝利をおさめ、西播磨の領主となり、黒岡明神として祀られた。
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菅原道真
黒岡神社は藤原貞国を祭神都市、境内には貞国の塚(古墳)「貞国塚」を造成。 この他、神功皇后は朝鮮へ出兵した帰りに当地に立ち寄り、兵を集めて評議をした。 これをきっかけに八幡神を祭神とした。 平安時代、太宰府に左遷された菅原道真が当地に訪れて参拝し、一泊したことで祭神とした。
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