
工場夜景を見に行こう!山陽網干で見つけた観光・グルメ
兵庫工場夜景を見に行こう!山陽網干で見つけた観光・グルメ
まいどまいど! 兵庫・神戸市と姫路市とを結ぶ山陽電気鉄道。 その山陽電気鉄道は姫路市内にある飾磨駅で分岐して、飾磨区と網干区とを結ぶ単線。 そんなローカル線に揺られて訪れたのは兵庫県姫路市の網干区。 西日本旅客鉄道(JR西日本)の網干駅は有名かもしれまへんが、山陽電気鉄道の終着駅・山陽網干駅周辺はどんな街並みで観光・グルメ・名物があるねんやろ?と散策してみることにしました。 まず訪れるべきなのは観光案内や地域の情報発信を行っているあぼしまち交流館。 ここでは地域の交流活動や文化的活動を目的に開設された施設として知られ、ぎょうさんの人でにぎわってまんねん。 ほんで、やっぱり網干区を代表する観光名所といえば旧網干銀行やおへんでっしゃろか。 モダニズム建築をそのままに旧銀行をレストランに改装したという店内はまさにおしゃれ。 貴方だけの特別な時間を過ごすことができまんねん。 その他、丸亀藩網干陣屋門、秋季例祭「提灯祭り」で有名な魚吹八幡神社、新鮮な魚介類を味わうことのできるなぎさなど、いっぱい。 海沿いでは工場夜景が美しいと評判で、なぎさ公園やその周辺ではカメラを持って歩く見物客の姿も。
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地域の交流活動や文化的活動を目的に開設された施設。 施設内では展示会・会議・研修・講習・講義等、産業活動の拠点として使用できる。 1階では網干地区を中心とした名産や特産物の販売、観光案内、情報発信などを行っている。 毎週土曜日にはあぼしまち朝市と題して、新鮮な野菜や総菜、和菓子、豆腐などが販売。 その他、網干観光レンタサイクルとして、レンタサイクルが可能。
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祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命、猿田彦明神 713年、揖保郡字津伎津の湊は、神功皇后の御船渡り宿し給いし泊と陳書する。 神功皇后はこの時、風波を静めようとして天神地祇祭祀し、御神楽を奏せられ、故にこの処を神楽江と伝え、船渡八幡神社として魚吹八幡神社の若宮と称す(播磨国風土記)。 境内には、神功皇后がお神楽の時に腰掛けた石がある。
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近世には運送業、明治時代は醤油醸造などを手がけた加藤家。 1862年、住宅として建築。 木造平屋建一部2階建、東西棟の入母屋造、本瓦および桟瓦の錣葺。 西寄りを土間とし、床上部は九間取系で正面中央に式台を構える。 角座敷である「上ノ間」と土間後方の屋根を落棟として、重厚で変化のある外観をつくる。
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加藤家住宅横に建つ初代網干町長・県会議員加藤邦太郎の顕彰碑。 碑の上文擷秀碑の3文字は勝海舟の揮毫。 加藤邦太郎の顕彰碑を建立するにあたり、網干出身の元勤皇志士河野東馬に依頼し、旗本時代勝海舟の部下だった赤松則良(海軍中将、播磨守護赤松氏傍流石野氏の末裔)経由で実現したとか。
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屋根はうろこ状に葺かれ、銅板でできたドーム、天井や壁には漆喰、床は寄木張りが特徴。 1922年、網干銀行の網干町支店として竣工。 網干銀行の本店は旭陽村高田(網干区高田)にあった。 1930年、網干銀行は三十八銀行に買収。 1936年、三十八銀行は合併により神戸銀行として発足。 1970年、銀行は移転し、婦人服店として開業。 2019年、レストラン 旧網干銀行湊倶楽部としてリニューアルオープン。 現在も店内には銀行で使用されていた壁や金庫、部屋をそのままに2階も開放。 一部、改装されるも当時の雰囲気を楽しむことができる。 姫路市の都市景観重要建築物に指定。 姫路市都市景観重要建築物。
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山陽電気鉄道網干線の停車駅の一つ。 1941年、網干線が電鉄天満駅(山陽天満駅)から延伸、電鉄網干駅として開業。 1990年、現在地に移転。 1991年、山陽網干駅に改称。
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ダイセル網干工場の一角に現存する2棟の異人館の総称。 ダイセルとは大阪府大阪市北区大深町に本社を置く日本の大手化学品メーカー。 1910年、設楽貞雄設計により竣工。 旧日本セルロイド人造絹糸株式会社 外国人技師住宅(クラブハウス)。 旧図書館。 現セルロイド資料館。 兵庫県「ひょうご住宅百選」、姫路市都市景観重要建築物等、経済産業省「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」(近代化産業遺産群・続33)、近代化産業遺産「姫路市の化学工業関連遺産」の構成遺産「ダイセル化学工業網干異人館」として認定。
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1580年、三木城の落城で播磨国の平定を終えた羽柴秀吉は、黒田官兵衛に揖東郡1万石を与えた。 黒田官兵衛はお礼にと当地に招待。 松が茂る揖保川河口の沖之浜洲の陣屋で大茶会を催したところ、羽柴秀吉の席の近くの大松に鶴が見事な巣をかけており、秀吉が陣屋の名を「鶴松亭」にするように命じたという。 羽柴秀吉の陣屋、別邸(鶴松亭)を建てた。 江戸時代、姫路藩領の後、龍野藩領となった。 龍野藩主京極高和は四国の丸亀藩へ移封、京極家は丸亀藩に転封。 以後も京極家領となり、飛び地として領有した丸亀藩陣屋となった。
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御茶屋鶴松亭跡(丸亀藩網干陣屋跡)
御茶屋鶴松亭跡(丸亀藩網干陣屋跡)。 丸亀藩は代官・奉行などを支配。 明治維新で建物の多くは取り払われたが、門だけが現存。 1870年、当地に移築、興浜の壇尻庫として利用された。
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江戸時代、「元禄の四俳女」の一人と称えられた俳人の田ステ女。 6歳で詠んだ句「「雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡」で知られる。 兵庫県丹波市柏原町出身。 5男1女に恵まれたが夫に先立たれ、後半生は仏の道を選んだ。 出家後、姫路の網干出身の盤珪和尚に師事、龍門寺(姫路市網干区)で修行を重ねた。 その後、「貞閑」と改名。 「女性のための寺」として禅寺の不徹寺を創建。
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明治時代、元網干町長である山本真蔵氏により竣工。 洋館は1918年に建築。 山本真蔵はマッチ工場やメリヤス工場で財を成し、銀行を開業。
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宗派は臨済宗妙心寺派。 山号は天徳山。 1661年、「不生禅」を説いた盤珪国師の根本道場として創建。 開創に当たり、丸亀藩主の京極高豊候が用地を寄付。
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刺身や丼、定食などが味わうことのできる飲食店。 店内はカウンター席とテーブル席、座敷がある。
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刺身盛り合わせ
メニューはお造りや刺身盛り合わせ、天ぷら盛り合わせ、親子丼、玉子丼、うどんなど。 刺身定食では新鮮な魚介類を使用した刺身やご飯、汁物、小鉢など。
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市民の衛生的な生活環境を維持するため、ごみの焼却や資源ごみを効率的にリサイクルするための再資源化を行っている施設。 施設内では、ごみ・環境問題について学び体験することができる「網干環境楽習センター」、ごみ焼却の過程で生じる余熱を利用した健康づくりの温水プール「網干健康増進センター リフレ・チョーサ」、グランドゴルフ場、芝生広場、遊歩道などを併設。
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めぐりん
兵庫県姫路市にある環境啓発施設「網干環境楽習センター」とごみ処理施設を回遊する見学ルート「めぐりルート」を案内するために誕生したマスコットキャラクター。
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別名、津の宮。 祭神は応神天皇、神功皇后、玉依比賣命。 神功皇后の三韓征伐のおり、神託により創建。 祭事は武神祭(姫路市指定無形民俗文化財)、招魂祭、千燈祭、秋季例祭など。 魚吹八幡神社の秋季例祭「提灯祭り」では屋台、檀尻、獅子檀尻が参加、播州地区では最大の氏子数を抱える。 祭りの由来は、三柱の祭神が乗り移った3基の神輿が、御旅所に渡御する道中の御神灯にと、御旅提灯を差し出したのがはじまり。 徐々に過激になり、宮入前に激しい練りを見せるようになったとも。
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チョーサ
宵宮には長さ約3mの青竹の先に下げた提灯を練り合って叩き潰す提灯練りが有名。 昼宮には御旅所に集結し、練り合わせ。 午後より神輿及び金幣が神社に戻り(還御)、屋台等も神社へ移動。 「チョーサ」の掛け声で屋台を高く差し上げる屋台練りや獅子舞、檀尻芸などの奉納芸が見物。
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三ノ宮卯之助
三ノ宮卯之助(江戸時代の力持ち・曲持ち)が持ち上げたという力石が現存。
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かつてこの地に8世紀の「播磨国風土記」揖保郡大家里の条に記す「上筥岡」に比定される 「小山」 があり、山上には須賀神社があった。 与富等の開墾作業中、天秤棒の前の筥を落とした地がかつての「小山」 とされ、後の筥を落とした下筥岡は熊見の「箱山」 とされる。 西土井が位置する大家里は、応神帝が重要な法令を発布したという大法山(現京見山)の南側にあり、帝の巡行時の仮宮があったことから、もと大宮、次いで大宅里、さらに 大家里に改められたと記され、古くから開墾された地であった。