
徳川家ゆかりの帯解寺・安産祈願に天皇家
奈良徳川家ゆかりの帯解寺・安産祈願に天皇家
まいどまいど! 空海の師である勤操によって開かれた巌渕千坊の一つ帯解寺。 第2代将軍・徳川秀忠の正室・崇源院の安産も祈願に。 江戸幕府第3代将軍・徳川家光に世継ぎがなく、側室の御楽の方が当寺にて祈願、竹千代丸(4代将軍・徳川家綱)を安産。 以来、安産・子授け祈願の寺として信仰を集めた。 20世紀以降、美智子皇后、雅子皇太子妃、三笠宮、高円宮、秋篠宮などの皇族も安産祈願に訪れたという。 また付近の龍象寺は龍にまつわる伝説が色濃く残る。 一人の旅人が訪れて龍を退治すると言い、広大寺池の中央に矢を放った。 龍は天に昇って死んだが、生き返ってその後は仏様に仕え善い龍になったという。 夜な夜な天井の龍が絵から抜け出し、表の広大寺池で遊んで朝帰り、その折に髭から雫を落としたとも。
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宗派は華厳宗。 本尊は地蔵菩薩。 山号は子安山。 別名、霊松庵。 空海の師である勤操によって開かれた巌渕千坊の一つ。 長らく世継ぎに恵まれなかったが文徳天皇后の染殿皇后(藤原明子)が当寺に参詣に訪れ、惟仁親王(清和天皇)が生まれた。 858年、文徳天皇の勅願により伽藍が建立、勅命により帯解寺と名乗った。 以来、安産・子授け祈願の寺として信仰を集めた。 江戸時代、江戸幕府第3代将軍・徳川家光に世継ぎがなく、側室の御楽の方が当寺にて祈願、竹千代丸(4代将軍・徳川家綱)を安産。 家光は瑞祥記を当寺に下賜し、仏像仏具等も寄進。
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安産も祈願に
第2代将軍・徳川秀忠の正室・崇源院の安産も祈願に。 20世紀以降、美智子皇后、雅子皇太子妃、三笠宮、高円宮、秋篠宮などの皇族も安産祈願に訪れた。
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宗派は高野山真言宗。 山号は宝寿山。 本尊は地蔵菩薩。 730年、行基が地蔵菩薩を本尊として開創。 広大寺(光台寺)の奥の院にあたる。 昔々、奈良の帯解の地に大きな龍が棲んでいた。 時々、大水を出して暴れ、皆が困っていた。 その折、一人の旅人が訪れて龍を退治すると言い、広大寺池の中央に矢を放った。 龍は天に昇って死んだが、生き返ってその後は仏様に仕え善い龍になったという。 その龍の絵が龍象寺の本堂に描かれ、帯解龍として今日に至る。 龍象とは、大きな龍を意味し、広大寺池の龍を寺の名としている。
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天井の龍が絵から抜け出し
享保年間、当寺を中興した名僧百拙禅師が、朝になると本堂の畳がいつも雫で濡れているのに不思議と思っていた。 夜な夜な天井の龍が絵から抜け出し、表の広大寺池で遊んで朝帰り、その折に髭から雫を落としたとも。
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