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道明寺天満宮
大阪府藤井寺市道明寺1丁目16-40祭神は、菅原道真公、天穂日命と、覚寿尼公である。 覚寿尼公は、菅原道真の叔母にあたる。 真言宗の尼寺「道明寺」が隣接する。 この地は、菅原氏・土師氏の祖先に当たる野見宿禰の所領地でった。 野見宿禰の遠祖である天穂日命を祀る土師神社が鎮座し、土師寺が建立された。 900年代、菅原道真公が当寺を訪れ、覚寿尼公との別れを惜しんだ。
玉手山公園
大阪府柏原市玉手町7-1玉手山公園では春になると桜が見ごろを迎え花見客でにぎわい、秋には紅葉が楽しめる。 展望台からは柏原市内はもちろん、大阪平野を一望できる。
後藤又兵衛基次之碑
大阪府柏原市玉手町7 後藤又兵衛基次之碑1614年、道明寺一帯は後藤基次(後藤又兵衛)率いる豊臣方と徳川方による大坂夏の陣の激戦地となった。 後藤氏は玉手山に陣を敷いたが、討ち死にし、現在は供養塔が建立、後藤又兵衛しだれ桜が植樹。 黒田如水、豊臣秀頼に仕え、「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。 摩利支天の再来と称され、徳川家康も恐れていたとか。
大坂夏之陣小松山古戦場跡
大阪府柏原市玉手町25-73後藤又兵衛が国分村にすでに徳川が進軍していることを知って決死の覚悟で陣を立てたのがこの小さな小松山という小山です。石川をわたってくる前の最後の食い止めの要所足りうるこの地を決死の又兵衛は最後の陣地としたわけです。 ここから打って出て最後は玉手山のふもとで戦死します。真田ら後続の到着に一縷の期待をしながらも戦死の覚悟で打って出た又兵衛の気概を感じてください。
玉手山公園 ふれあいパーク
大阪府柏原市玉手町7-11999年、玉手山丘陵地帯に開園した。 1908年、河南鉄道(近鉄南大阪線)によって開設された西日本で最も古い遊園地である近鉄玉手山遊園地。 1988年、90年の歴史を閉じた。 1999年、柏原市立玉手山公園「ふれあいぱーく」として開園した。 昭和30年代の最盛期には年間数万人の来園者が訪れた。 春には桜並木が見ごろを迎え、花見客でにぎわう。
安福寺
大阪府柏原市玉手町7-21奈良時代、行基によって建立するも衰退。 1600年代、浄土宗の僧珂億上人がこの地を訪れ、安福寺を再建。 尾張大納言徳川光友が「山水蒔絵硯箱」「牡丹蒔絵硯箱」「菩提樹蒔絵香筥」を寄進。 明治時代、玉手山3号墳(勝負山古墳)から「割竹型石棺蓋」が出土、保管。 安福寺横穴群があり、石棺、陶質棺、陶器などが派遣、保存されている。
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