沼島
おのころ神社
おのころ島神社
絵島
淡路島
四国
隠岐の島
九州
壱岐島
対馬
佐渡島
富士山
宮浦
小豆島
屋代島(周防大島)
姫島
生月島
男女群島
畝尾都多本神社
揖夜神社
黄泉比良坂
江田神社
小戸大神宮参詣道石碑
伊弉諾神宮
天安河原
宗像大社沖津宮遙拝所
宗像大社中津宮
宗像大社
沖ノ島
七本杉(天岩戸神社東宮)
天岩戸神社
天安河原
天香久山
須我神社
八岐大蛇公園
天が淵
白兎海岸
赤猪岩神社
大谷古墳
黄泉比良坂
城名樋山城跡
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諏訪大社上社前宮
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美保神社
鹿島神宮
皇大神宮 正宮(伊勢神宮 内宮)
伊勢神宮外宮(豊受大神宮)
佐那神社
春日大社
天太玉命神社
高千穂峰
国見ヶ丘展望台
高祖山
英彦山・望雲台登山口(高住神社参道)
神代聖蹟 瓊瓊杵尊駐蹕之地
荒立神社
阿射加神社(大阿坂)
阿射加神社(小阿坂)
都萬神社
無戸室
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石貫神社
大山祇塚
可愛山陵
可愛山陵(えのさんりょう)
女狭穂塚古墳
男狭穂塚古墳
枚聞神社
青島
潮嶽神社
鵜戸神宮
狭野神社
吾平山上陵
霧島神宮元宮
宮浦宮
立磐神社
妻垣神社
柁鼻神社
宇佐神宮
神武東征と一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)
岡田宮
神武天皇社
多家神社
高嶋神社
明石海峡
大阪天満宮 鳥居
〒579-8001 大阪府東大阪市善根寺町6丁目7−67
大阪湾
水門吹上神社(湊本ゑびす)
竃山神社
神武天皇上陸之聖跡碑 遺構
熊野本宮大社
那智の滝
熊野速玉大社
十津川村
谷瀬の吊り橋
八咫烏神社
八咫烏神社
宮滝遺跡
. 神武天皇東征 忍阪の大室(おさかのおおむろ)
橿原神宮
石上神宮
鹿児島神宮
神武天皇陵
綏靖天皇葛城高丘宮跡
綏靖天皇陵
石園座多久虫玉神社
安寧天皇陵
懿徳(いとく)天皇 大和の輕の境岡の宮伝承の地
懿徳天皇陵
大和の葛城の掖上の宮跡
孝昭天皇掖上博多山上陵
大和の葛城の室の秋津島の宮跡
孝安天皇 玉手丘上陵
孝霊天皇黒田廬戸宮跡碑
吉備津神社
吉備津彦神社
孝霊天皇 片丘馬坂陵
牟佐坐神社
孝元天皇陵
率川神社
開化天皇 春日川坂上陵
崇神天皇磯城瑞籬宮趾
祈祷殿 儀式殿 参集殿
崇神天皇陵
垂仁天皇纒向珠城宮跡
狭山池
垂仁天皇 菅原伏見東陵拝礼所
垂仁天皇皇后日葉酢媛命 狹木之寺間陵
景行天皇纒向日代宮跡碑
浦賀水道
熊襲の穴
出雲大社
伊勢神宮
熱田神宮
焼津市
走水神社
足柄峠
酒折宮
香取神宮
鹿島神宮
息栖神社
筑波山神社
神坂峠 頂上
伊吹山
関ヶ原鍾乳洞
養老公園
杖衝坂
能褒野神社
能褒野神社
白鳥陵古墳(日本武尊白鳥陵)
景行天皇陵
高穴穂神社
成務天皇陵
忌宮神社
香椎宮
香椎宮
香椎宮
宮地嶽神社
小戸公園
鎮懐石八幡宮
宇美八幡宮
鎮懐石八幡宮
玉島神社
琵琶湖
気比神宮 大鳥居
史跡金ヶ崎城跡
仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)
五社神古墳(神功皇后陵 狭城盾列池上陵)
法輪寺(軽寺跡)
菟道稚郎皇子墓
応神陵古墳
仁徳天皇難波高津宮跡
茨田堤
広大寺池
依網池址
中之島公園
住吉大社
御津八幡宮
大住車塚古墳
倉橋
門僕神社
姫嶋神社
等乃伎神社
御井の清水
友ケ島水道
大仙(仁徳天皇陵)古墳
稚櫻神社
石上神宮
履中天皇陵
柴籬神社
反正天皇陵
明日香村
允恭天皇 恵我長野北稜拝礼所
軽皇子と妹の軽大郎女の墓と伝わっている
石上神宮
安康天皇菅原伏見西陵拝所
雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地
脇本遺跡(雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地)
春日神社
宮滝遺跡
葛城一言主神社
隼人塚古墳(雄略天皇陵陪塚い号)
河内大塚山古墳
御厨子神社
角刺神社
清寧天皇陵古墳
顕宗天皇近飛鳥八釣宮跡
雄略天皇 丹比高鷲原陵(島泉平塚古墳)
顯宗天皇 傍丘磐坏丘南陵
姫丸稲荷大明神
仁賢天皇 埴生坂本陵
恵比寿神社・十二柱神社
武烈天皇陵
継体天皇磐余玉穂宮跡
国指定史跡 岩戸山古墳
継体天皇 三嶋藍野陵(太田茶臼山古墳)
金橋神社
安閑天皇古市高屋丘陵
於美阿志神社
宣化天皇陵
欽明天皇磯城島金刺宮跡
欽明天皇陵
大和戒重陣屋跡
敏達天皇 河内磯長中尾陵
石寸山口神社
用明天皇河内磯長陵
崇峻天皇倉梯柴垣宮伝承地
崇峻天皇陵(倉梯岡陵)
推古天皇豊浦宮跡
古宮遺跡(伝推古天皇小墾田宮跡)
三十八柱神社、小墾田宮跡としての有望地
推古天皇陵
古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
兵庫古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
古事記上の卷 一、イザナギの命とイザナミの命 天地のはじめ 島々の生成 古事記によると、 “イザナギの命・イザナミの命御二方に、「この漂つている國を整えてしつかりと作り固めよ」とて、りつぱな矛をお授けになつて仰せつけられました。それでこの御二方の神樣は天からの階段にお立ちになつて、その矛をさしおろして下の世界をかき𢌞され、海水を音を立ててかき𢌞して引きあげられた時に、矛の先から滴る海水が、積つて島となりました。これがオノゴロ島です。その島にお降りになつて、大きな柱を立て、大きな御殿をお建てになりました。” なお、オノゴロ島伝説がある場所は、この沼島を含めて三箇所あります。
上立神岩(かみたてがみいわ)
イザナギ・イザナミの二神が、周囲をまわり、夫婦の契りを結んだ天の御柱がこの上立神岩だといわれている。 この地にはかつてこの男性のシンボルの他に女性のシンボルもあったとの事。少なくとも縄文時代からこのシンボルが人々から崇められていた。その話が古事記の国産みの話の原点であると言われている。 残念ながら女性のシンボルは地震などの影響で崩れ跡形もない。
オノゴロ島伝説は淡路島に三箇所ある。 候補地1: 沼島 候補地2: おのころ島神社 候補地3: 絵島 ここは候補地1の沼島にあるおのころ神社
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オノゴロ島伝説は淡路島に三箇所ある。 候補地1: 沼島 候補地2: おのころ島神社 候補地3: 絵島 ここは候補地2のあるおのころ島神社
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オノゴロ島伝説は淡路島に三箇所ある。 候補地1: 沼島 候補地2: おのころ島神社 候補地3: 絵島 ここは候補地3の絵島
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古事記によると、 “かように言い終つて結婚をなさつて御子の淡路のホノサワケの島をお生みになりました。次に伊豫の二名の島(四國)をお生みになりました。(中略)次に隱岐の三子の島をお生みなさいました。この島はまたの名をアメノオシコロワケといいます。次に筑紫の島(九州)をお生みになりました。(以下省略)” 写真は、淡路のホノサワケの島です。鳴門海峡越しに撮った淡路島です。
古事記によると、 “次に伊豫の二名の島(四國)をお生みになりました。(以下省略)” 写真は、祖谷渓谷のかずら橋。ここまでのドライブが好きです。
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次に隱岐の三子の島をお生みなさいました。この島はまたの名をアメノオシコロワケといいます。 境港から隠岐西ノ島別府港へ向かうフェリーから撮影。
次に筑紫の島(九州)をお生みになりました。 関門海峡越しに北九州を眺めた写真。
次に壹岐の島をお生みになりました。この島はまたの名を天一つ柱といいます。 写真は、一支国(いきこく)遺跡にて。
次に對馬をお生みになりました。またの名をアメノサデヨリ姫といいます。
次に佐渡の島をお生みになりました。 写真は、フェリーからの眺め。
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次に大倭豐秋津島(本州)をお生みになりました。またの名をアマツミソラトヨアキツネワケといいます。この八つの島がまず生まれたので大八島國というのです。 写真は、朝霧高原からの眺め。
それからお還りになつた時に吉備の兒島をお生みになりました。またの名をタケヒガタワケといいます。 小豆島行きのフェリーが、ここ新岡山港フェリー乗り場から出ています。 対岸が吉備の兒島。かつては島でしたが今は埋め立てられ半島になっています。 小豆島の土庄港から新岡山港へのフェリーに乗りました。
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次に小豆島をお生みになりました。またの名をオホノデ姫といいます。 1969年の秋に小豆島へ渡ったことがあります。 半世紀ぶりに小豆島の土庄港から新岡山港へのフェリーに乗りました。
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次に大島をお生みになりました。またの名をオホタマルワケといいます。 写真は、遠崎港から周防大島と大島大橋を遠望しています。
次に女島をお生みになりました。またの名を天一つ根といいます。 写真は、島に向かうフェリーから眺めた姫島です。
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次にチカの島をお生みになりました。またの名をアメノオシヲといいます。 チカの島とは、平戸島、生月島そして五島列島を含めているとの話があります。 写真は、生月島がわから生月島大橋越しに平戸島を眺める。
次に兩兒の島をお生みになりました。またの名をアメフタヤといいます。 吉備の兒島からフタヤの島まで合わせて六島です。 写真は、兩兒の島(男女群島)写真は、by Google
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(うねおつたもとじんじゃ) 畝尾都多本神社は、「哭澤の神社」(なきさわのもり)とも言います。祭神の哭澤女神(なきさわめのかみ)は、「古事記」によると国生みの最後の段階で、伊邪那美神(いざなみのかみ)が火の神である火之迦具土神(ひのかぐちのかみ)を生み亡くなったのを、父の伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が悲しんで泣いた涙から生まれた女神だと言われています。 “イザナギの命の仰せられるには、「わたしの最愛の妻を一人の子に代えたのは殘念だ」と仰せられて、イザナミの命の枕の方や足の方に這い臥してお泣きになつた時に、涙で出現した神は香具山の麓の小高い處の木の下においでになる泣澤女の神です”
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黄泉の國 古事記によると、 “このお隱れになつたイザナミの命は出雲の國と伯耆の國との境にある比婆の山にお葬り申し上げました。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 写真にある揖夜神社の拝殿が、イザナミが葬られた比婆の山に向かって建てられています。
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黄泉津比良坂/伊賦夜坂 古事記によると、 “最後には女神イザナミの命が御自身で追つておいでになつたので、大きな巖石をその黄泉比良坂に塞いでその石を中に置いて兩方で對い合つて離別の言葉を交した時に、イザナミの命が仰せられるには、「あなたがこんなことをなされるなら、わたしはあなたの國の人間を一日に千人も殺してしまいます」といわれました。そこでイザナギの命は「あんたがそうなされるなら、わたしは一日に千五百も産屋を立てて見せる」と仰せられました。こういう次第で一日にかならず千人死に、一日にかならず千五百人生まれるのです。かくしてそのイザナミの命を黄泉津大神と申します。”
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身禊(みそぎ) 古事記によると、 “イザナギの命は黄泉の國からお還りになつて、「わたしは隨分厭な穢い國に行つたことだつた。わたしは禊をしようと思う」と仰せられて、筑紫の日向の橘の小門のアハギ原においでになつて禊をなさいました。” 伝説の地として「筑紫の日向の橘の小門のアハギ」 1つは、宮崎の大淀川です。 2つ目は、福岡の小門 宮崎市の「阿波岐原」町がその場所であると梅原猛が指摘している。日向で最も古い弥生時代初期の稲作が発見されている。まさにイザナギ(男)からアマテラス、スサノウとツキヨミが生まれたことは、縄文から弥生への時代、文化、イデオロギーの変化であったことを示している。
身禊候補地2:小戸神宮 福岡の小門=小戸
イザナギの命は身禊の後 古事記によると、 “このイザナギの命は、淡路の多賀の社にお鎭まりになつておいでになります。” とあります。その地に、今は伊奘諾神宮が祀られています。
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二、天照らす大神とスサノヲの命 誓約(うけい) 古事記によると、 “そこで天照らす大神は、「それならあなたの心の正しいことはどうしたらわかるでしよう」と仰せになつたので、スサノヲの命は、「誓約を立てて子を生みましよう」と申されました。よつて天のヤスの河を中に置いて誓約を立てる時に、”
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“ここに天照らす大神はスサノヲの命に仰せになつて、「この後から生まれた五人の男神はわたしの身につけた珠によつてあらわれた神ですから自然わたしの子です。先に生まれた三人の姫御子はあなたの身につけたものによつてあらわれたのですから、やはりあなたの子です」と仰せられました。その先にお生まれになつた神のうちタギリヒメの命は、九州の宗像の沖つ宮においでになります。次にイチキシマヒメの命は宗像の中つ宮においでになります。次にタギツヒメの命は宗像の邊つ宮においでになります。” タギリヒメの命を参拝するための大島にある沖津宮の遥拝所。ここから沖ノ島(沖津宮)を望み参拝するために建立されています。
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イチキシマヒメの命を祀る宗像大島にある宗像大社中津宮です。 この神社の入り口の向かって左には、七夕伝説発祥の地となっています。
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タギツヒメの命がおいでになる宗像の邊つ宮である宗像神社。
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沖ノ島の沖津宮には、タギリヒメの命を祀っています。
天の岩戸 古事記によると、 “天照らす大神が田を作つておられたその田の畔を(スサノヲの命が)毀したり溝を埋めたりし、また食事をなさる御殿に屎をし散らしました。” 写真は、天照らす大神の御殿があったとの伝説がある天岩戸神社東宮の裏からの眺めです。
古事記によると、 “(スサノヲの命)その機織場の屋根に穴をあけて斑駒の皮をむいて墮し入れたので、機織女が驚いて機織りに使う板で陰をついて死んでしまいました。そこで天照らす大神もこれを嫌つて、天の岩屋戸をあけて中にお隱れになりました。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 写真は、天岩戸神社(西本宮)の拝殿です。西本宮の拝殿は、岩戸川を挟んで天岩戸に向かって建てられています。
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天安原(あまのやすかわら)天岩戸神社(西本宮) アマテラスが身を隠して世界が真っ暗闇になった時、八百万の神々が集まって相談したとされる安の河の河原です。
天香山 “アメノコヤネの命とフトダマの命とを呼んで天のカグ山の男鹿の肩骨をそつくり拔いて來て、天のカグ山のハハカの木を取つてその鹿の肩骨を燒いて占わしめました。次に天のカグ山の茂つた賢木を根掘ぎにこいで、上の枝に大きな勾玉の澤山の玉の緒を懸け” 抜粋: 古事記: 現代語譯 古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 写真は、藤原宮跡にある大官大寺から眺めた天香山。
三、スサノヲの命 八俣の大蛇 古事記によると、 “スサノヲの命は逐い拂われて出雲の國の肥の河上、トリカミという所にお下りになりました。この時に箸がその河から流れて來ました。それで河上に人が住んでいるとお思いになつて尋ねて上つておいでになりますと、(中略)かくしてスサノヲの命は、宮を造るべき處を出雲の國でお求めになりました。そうしてスガの處においでになつて仰せられるには、「わたしは此處に來て心もちが清々しい」と仰せになつて、其處に宮殿をお造りになりました。” トリカミは現在の八岐大蛇公園。 肥の河(ヒノカワ)は現在の斐伊川。 写真は、その住居跡との伝説がある須我神社。
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肥の河上、トリカミ “スサノヲの命は逐い拂われて出雲の國の肥の河上、トリカミという所にお下りになりました。この時に箸がその河から流れて來ました。”
天が淵 ヤマタノオロチが住んでいたと言われる場所。“コシの八俣の大蛇が毎年來て食べてしまいます。”
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四、大國主の命 兎と鰐 古事記によると、 “この大國主の命の兄弟は、澤山おいでになりました。しかし國は皆大國主の命にお讓り申しました。お讓り申し上げたわけは、その大勢の神が皆因幡のヤガミ姫と結婚しようという心があつて、一緒に因幡に行きました。時に大國主の命に袋を負わせ從者として連れて行きました。そしてケタの埼に行きました時に裸になつた兎が伏しておりました。” 抜粋:: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
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赤貝姫と蛤貝姫 古事記によると、 “兎の言つた通り、ヤガミ姫は大勢の神に答えて「わたくしはあなたたちの言う事は聞きません。大國主の命と結婚しようと思います」と言いました。そこで大勢の神が怒つて、大國主の命を殺そうと相談して伯耆の國のテマの山本に行つて言いますには、「この山には赤い猪がいる。わたしたちが追い下すからお前が待ちうけて捕えろ。もしそうしないと、きつとお前を殺してしまう」と言つて、猪に似ている大きな石を火で燒いて轉がし落しました。そこで追い下して取ろうとする時に、その石に燒きつかれて死んでしまいました。” 抜粋:: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
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