汐留は日本の鉄道発祥の地。日本の近代化に大きく発展した鉄道はここから生まれているのです。 今は汐留シオサイトとして再開発され、電通や日本テレビの本社やコンラッドホテル、タワーマンションが建ち並び、イタリア街やイタリア公園、さらに劇団四季も見られるカレッタ汐留など、多彩な顔を見せるエリアになりました。
銀座はいろいろな顔があります。ブルガリレストランやらシャネルのレストラン「ベージュ アラン・デュカス 東京」やらのブランドレストランも良いでしょうが、伝統に裏打ちされた古(いにしえ)の顔を楽しむってのもいいなぁと思います。
こんにちは。「くらしのきほん」編集室です。こちらではコンテンツに合わせたおでかけプランをご紹介させていただきます。今回、わたしたちが歩いたのは日本橋。日本橋の面白さは、細い路地裏にひっそりと佇む、老舗の名店がたくさんあることです。ここでは紹介しきれていませんが、ほんとうにすてきな店がたくさんあります。コンテンツのタイトルは「明日はおやすみ」。日本橋に今も残る江戸時代の文化に触れてみてはいかがでしょうか。
「兜町(かぶとちょう)」と言うと証券会社が多く観光地のイメージからかけ離れた雰囲気の方を想像される方も多いかと思います。 ・・・全くその通りです(笑) しかしそのような街にも今日までに築かれた歴史があり、ところどころでそれらを感じることが出来ます♪
最近は周辺に新たな観光スポットが開業し、一層の賑わいを見せるようになりました。 そんな地域の中心には日本の道路の原点である「日本橋」が日本橋川に架かっています。 今回は日本の交通の中心として活躍し続けてきた日本橋に的を絞って案内して参ります♪
江戸の真ん中、日本橋船着き場から「日本橋川~神田川~隅田川~日本橋川」と巡る1時間半のコースを体験してきました!しかも乗ったのは、地球にやさしい10人乗りの小さな電気ボート。 古地図×現在の地図をガイドに、東京の町をボートに乗って散策できる…まさにブラタモリ♪ いろいろなコースがあるので、ぜひ体験してみて!
築地案内人:本願寺の僧侶 南明/佃の渡し 荘吉 天明9年(1789年) 朝日が昇り、築地の寺の屋根を明るく染める。江戸湾に面したこの地からは、佃島の漁師たちが沖を行き来する様子や、上方からの菱垣廻船が隅田川へ入っていく様子を眺めることができる。 その光景に溶け込むように立ち並ぶ寺社から朝の読経の合唱が聞こえてくる。その声におされるように、付近の武家屋敷から江戸城や番所へ出勤していく武士が急ぎ足で歩いている。 江戸市中を旅するお彩は、この付近を案内してくれる人を探していた。 すると前方から一人の僧侶が檀家の法事を終えて帰ってきた。 お彩「お坊様、失礼いたします。築地御坊(築地本願寺)はどちらになりますか?」 南明「この道を二丁歩いて右に曲がったところでございます。あなたは旅のお方で?」 お彩「左様でございます。このあたりに不慣れなものでして」 南明「そうですか。では付近を少しご案内して差し上げましょう。私は本願寺の僧侶、南明と申します」 お彩「ありがたいことでございます」
日本橋案内人:魚河岸の棒手振り 茂吉/越後屋の奉公人 小太郎 天保12年(1841年) 午前4時。江戸の台所日本橋の商人たちの朝は早い。 日本橋のたもとにある魚河岸では今日も到着したばかりの魚が次々と卸されている。 まだ日が昇る前だというのに、良い魚を仕入れようと魚桶二つを棒に引っ掛けた棒手振りでごった返している。 茂吉「どいたどいた!小僧、橋の上でぼさっとしてるんじゃないよ」 小太郎「し、失礼いたしました。伊勢に帰る駄賃を数えていたもんでして・・・」 茂吉「越後屋の丁稚かい?」 小太郎「へぇ。主人から暇をいただいて里帰りするんでございます」 お彩「すみません、旅の者ですが、お二人は日本橋近辺にお詳しいですか?ちょっとこの辺を案内して頂きたいのですが」 茂吉「俺は急いでるから、この坊主に頼んでくんな」 小太郎「わたしは越後屋で奉公している小太郎という者でございます。これから伊勢へ向かいますが急ぐ旅でもございません。付近をご案内して差し上げましょう」 お彩「越後屋にお勤めの方がご案内下されば心強いです!」 こうして茂吉と別れ、小太郎と共に日本橋巡りをスタートしたのでした。
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