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お江戸商人と巡る【日本橋】~3千両が動く江戸の中心地~

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お江戸商人と巡る【日本橋】~3千両が動く江戸の中心地~

日本橋案内人:魚河岸の棒手振り 茂吉/越後屋の奉公人 小太郎 天保12年(1841年) 午前4時。江戸の台所日本橋の商人たちの朝は早い。 日本橋のたもとにある魚河岸では今日も到着したばかりの魚が次々と卸されている。 まだ日が昇る前だというのに、良い魚を仕入れようと魚桶二つを棒に引っ掛けた棒手振りでごった返している。 茂吉「どいたどいた!小僧、橋の上でぼさっとしてるんじゃないよ」 小太郎「し、失礼いたしました。伊勢に帰る駄賃を数えていたもんでして・・・」 茂吉「越後屋の丁稚かい?」 小太郎「へぇ。主人から暇をいただいて里帰りするんでございます」 お彩「すみません、旅の者ですが、お二人は日本橋近辺にお詳しいですか?ちょっとこの辺を案内して頂きたいのですが」 茂吉「俺は急いでるから、この坊主に頼んでくんな」 小太郎「わたしは越後屋で奉公している小太郎という者でございます。これから伊勢へ向かいますが急ぐ旅でもございません。付近をご案内して差し上げましょう」 お彩「越後屋にお勤めの方がご案内下されば心強いです!」 こうして茂吉と別れ、小太郎と共に日本橋巡りをスタートしたのでした。

  • 午前中だけで約一億円の取引高があったとされる日本橋周辺。日本橋の下を流れる日本橋川には毎日諸国からの船が発着し、様々な物資が集積する。また全国からやってきた商人、旅人、僧侶など様々な人が行き交っていた。 お彩「噂には聞いていましたが、だいぶ人が多いですね」 小太郎「この日本橋から全国に向かう五街道が延びているんです。色んな者がやってきますよ。特に伊勢や近江、大阪からの商人が多いですね」 お彩「向こうの橋のたもとには何があるのですか?」 小太郎「お上からのお触れが掲示されている高札場、それから罪人のさらし場です。人通りが多いんで設置されているのでございますよ」

    • 日本橋川下り

      日本橋川下り

      お彩「橋のたもとで魚の売買をしてるんですね」 小太郎「そうでございます。魚河岸と呼ばれております。先ほどの棒手振りさんも毎日ここへ来て魚を仕入れているんですよ」 大都会江戸のインフラを支えたのは水路。当時の河川には諸国からの物資を詰んだ「菱垣廻船」や「樽廻船」が走っていた。 明治以降、日本橋界隈の細かい河川のほとんどは埋め立てられた。 現在の日本橋川の桟橋には遊覧船が就航している。

    • 江戸時代の日本橋

      広重の名シリーズ「東海道五十三次」より『日本橋朝の景』。日の出前から活動する日本橋界隈の様子を描く。 橋の向こうからやってくるのは何人もの従者を抱えた大名行列。 左手前は棒手振りの商人たち。右手前は罪人のさらし場だが衝立で隠されている。これは広重が罪人を描き込みたくなかったからとされている。犬のお尻が描かれているのは「ここに隠れているのは犬よりも下等なもの」という意味があるのだとか・・・

  • お彩「この辺りで縁起のいい神社はありますか?」 小太郎「まあとにかく江戸市中には商売繁盛のお稲荷さんを祀る神社が多くございますが、歩いてすぐそこの小網神社にご案内しましょう。太田道灌も参拝した由緒ある神社なんですよ」 小網神社は大正時代・戦中のエピソードから「強運厄除け」のご利益でブレイクしたが、江戸時代は商売繁盛のために参拝する商人が多かった。当時は「江戸に多きもの…伊勢屋、稲荷、犬の糞」と言われたほど稲荷系の神社が多かったという。

    • お守り

      お守り

      お彩「お守りはどうやって持っていらっしゃるんですか?」 小太郎「いつもはこのように首から下げております。お侍さんは腰から下げていらっしゃる方が多いですね。鳶や火消しの連中は腕や胴に括りつけていますよ」 お彩「どこかの神社で買ったのですか?」 小太郎「中の護符は三囲神社で頂いたものですが、巾着は主人から用意して頂きました」 現在小網神社で売られているお守りは「強運厄除け御守」「まゆみくじ」が有名。

  • お彩「それにしても日本橋は大店が多いですね」 小太郎「ええ。中でも私が奉公する駿河町の越後屋は一番です。大名、旗本、大奥もお客様に持ちます」 お彩「奉公人は江戸の人を雇うのですか?」 小太郎「いえ、ほとんどが松坂から来ている者です。身元が主人の知り合いでないと江戸店で働くのは難しいのでございます。私は今年手代になりまして、初めての帰郷です。旅費も親への土産も持たせて頂けました」 お彩「小太郎さん、道案内どうもありがとうございました」 小太郎「とんでもございません。ご縁があったらまたお会いしましょう。」 小太郎は日本橋を渡って東海道への道を歩いて行った。

    • 江戸時代の越後屋

      現・三越本店。江戸時代の三越の屋号は「越後屋呉服店」で、多い時で従業員200人以上が働く一大商店だった。 1673年、伊勢の商人三井高利が江戸店を開業。端切れを安く売ったり、当日現金払いや広告チラシを出すなど当時としては画期的な商売方法を用いて大ブレイク。高級な反物を庶民の手の届くものにした。呉服だけでなく金融も営むようになり、その発展は後の三井財閥の基礎を築く。

  • 甘いものでも食べて一息入れようと、日本橋で人気のある甘味処「榮太樓」へ寄ってみた。朝の仕事が終わり、小腹を甘味で満たすためにやってきた魚河岸の商人で賑わう。 その中に、朝別れた棒手振りの茂吉がいた。 お彩「朝にお尋ねした者です。お仕事終わりですか」 茂吉「ああ、あんた朝会ったね。得意先に魚を持ってったんで一息入れてるんだよ。ここの菓子は大きくて味がいいって人気でね。とくに金鍔が有名だよ」 江戸時代末期からここに店を構える榮太樓の生菓子は、創業当時から創意工夫が凝らされている。「名代金鍔」のほか国産の大角豆を使った「甘名納豆」や歯切れのよい「西河岸大福」、三角形が特徴的な「梅ぼ志飴」が有名。

  • お彩「茂吉さん、この辺りで面白い場所はありますか?」 茂吉「面白いっちゃ街全体が面白いよ。とくに旅人さんにとってはね。この通りをぶらぶらしてみな。色んな店があるから。ただし物を強引に売ってきたりする連中もいるから気をつけなよ。じゃあ俺はもう一商売行ってくるよ」 お彩「お世話になりました!」 お江戸日本橋の賑わいを見たいのであれば、メトロ三越前駅の銀座線-半蔵門線をつなぐ通路にある「熈代勝覧」がおすすめ。日本橋の問屋街と行き交う人物が描かれている。 驚くのはその克明さ。当時の人物1671人が活き活きと描かれ、買い物客のほか路上の商人、僧侶、寺子屋に通う親子など様々な人を見ることができる。

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