今回は山口セントラルパスという周遊パスを使い、山口県の秋吉台、秋芳洞と萩の町を巡ってきました!今回の移動はほぼバス🚌バス旅も良いですね〜とっても楽しかったです☺️ そして山口はとにかく海鮮が美味しい!新鮮なお魚を贅沢に食べてきたのでそこにも注目です🐡 ※掲載されている情報・価格は変動する可能性があります。
今回は、新山口駅でレンタカーを借りて、角島と長門を観光してきました〜!🚗天気はあいにくの雨だったのですが、それでも綺麗だった絶景スポットたち。次は晴れた日に行って、もっともっと満喫したいと思います!! ※掲載されている情報・価格は変動する可能性があります。
3日目💡 山の方から広島へ到着。 この時期、山側へ行くメリットはもちろん紅葉が見られること。 どこも綺麗だったけど、寂地峡の紅葉は雰囲気もあいまって、とてもとても素敵でした🍁 筒賀の大銀杏はあと1週間早ければ。。💦
山口2日目! かなりの距離運転していますが、色んなスポットで休憩がてら気分転換しているので、あまり苦にならず。 防府市~周南市~熊毛~大島~岩国のルートです。 生まれて初めて瀬戸内海を眺望してきました! 正直、山を登り続けるようなスポットが多いので、運動不足の人は間違いなく筋肉痛になれるコースです。 (もちろん私も筋肉痛)
11月に新幹線で山口へ行き、そこからいろいろな場所をレンタカーで巡るドライブの旅🚙 1日目は山口市~防府市。初の山口県! 庭園に神社に、どこへ行っても紅葉🍁ちょっとだけ、心が綺麗になったような気がする。。かも?! 足湯で仲良くなったおばあちゃん達が、山口の良いところを教えてくれたりしてほっこり☀ 神社でも話しかけてくれる人が多くて、山口の人は温かいな~と感じた1日目。
今年のGWに当てもなくロングドライブをしてきました。 いつもの様に行き当たりばったり。。。 まぁ、一人なのでOKですね! 京都からだと、高速を使わなくても北九州までなら楽々行ける事を学んだ旅でした。(個人的な感想) ご参考になる事があれば是非!
まいどまいど! 瀬戸内海沿いに位置し、山口県の玄関口の一つである新山口駅から日本海側に向けて走る西日本旅客鉄道(JR西日本)山口線の停車駅「津和野駅(島根県鹿足郡津和野町)」。 休日のみ運行されるというD51蒸気機関車(SLやまぐち号)に乗ってゆっくりゆったりと揺られながら辿りついた。 津和野駅はD51蒸気機関車(SLやまぐち号)の終着駅となっており、駅のすぐそばには蒸気機関車が回転するための転車台が設置され、現役でんねん。 この日もカメラや携帯電話で撮影する観光客が集まり、大いににぎわってはりました。 また、駅周辺では江戸時代から続く古い町並みが現存し、「山陰の小京都」との異名を持ってまんねん。 実際に街をぶらぶら歩いてみると、趣のある昔ながらの雰囲気が残る酒蔵や津和野町津和野庁舎、藩校養老館、太鼓谷稲成神社などがあり、見どころも満載。 その他、イタリア生まれの卵とバターを使ったパンの中に、ジェラートアイスを挟んだ「焼きアイス」というご当地グルメも味わいつつ、山陰の小京都を満喫する。 かつては津和野城の城下町としての賑わいを見せた津和野の街並みをゆっくりゆったりと歩いてみまへんか?
まいどまいど! 1989年以降、長らく親しまれてきた元号「平成」は2019年より「令和」となり、新しい時代を迎えた。 せやけど、皆さんは今から約3億年前~2億年前の世界を見たことはありまっか? 3億年前や2億年前など、そんなはるか昔の世界を実際に見るやなんて、ドラえもんの「タイムマシン」でもあらへんかったらできまへんな。 まあ、せやけど、太古の昔からのタイムカプセルのように3億年前から2億年前の世界を見て感じることのできる場所がおまっせ。 それが、山口県美祢市。 ここには、自然豊かな高原が広がる秋吉台があり、そんなはるか昔そのままの世界を見ることができまんねん。 また、大きな洞窟の秋芳洞があり、じっくりゆったりと見学することもできまっせ。 一説によると、この地には河童が住んでいたといい、最寄りのバスターミナルから秋吉台へと向かう途中にあっぱと禅師による像も建立。 果たしてどんな言い伝えがあるのか、ほんでまた、3億年前にはどんな世界が広がっていたのかをのぞきにいきまひょ!
2016年8月に山口県萩市に観光に行きました! 萩は観光地、城下町、商店街、周辺地域などそれぞれに特色があって皆で一つになる事は無いけど、それぞれがそれぞれの考えで萩の良さを発信しているとても面白い場所でした。 過去の萩の良さ、現在の萩、街の未来を想像出来る素敵な街でした。 今回は一泊二日の行程でしたが、二泊だとさらにゆっくり回れるとても思います。
NHK2015年大河ドラマ『花然ゆ』は吉田松陰の妹をテーマにしていますが、その舞台の萩。日本海側の小さな街で交通の便も良くないため幕末がそのまま残っています。関ヶ原後、徳川が毛利を防長二州に押し込め、居城も日本海側の萩を指定した結果なのですが、山陰の閉じた場所で育まれた倒幕の思いが明治維新→明治新政府に繋がって行きます。総理大臣が山口からやたらとでているというのもこのつながりといえるかもしれません。 やっぱり山陰の閉じた場所ということで、おとろくほど萩には幕末のまんまの建物が沢山あります。同じく日本のはじっこの薩摩と比べるとそのまんまっぷりにホントにびっくりします。 幕末の長州のことをあまり知らない方は是非、吉田松陰のこちら(http://bakumatsu.org/blog/2012/05/syoin.html)と高杉晋作のこちら(http://bakumatsu.org/blog/2013/06/takasugi.html)を読まれてから行って下さい(本当は司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読んで行ってください。)。 幕末のまんまの萩を是非一度。
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