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まいどまいど! 関西地域を代表する大手私鉄っちゅうたら、阪急電車の他に、阪神電車、山陽電車、近畿日本鉄道、京阪電車、南海電気鉄道などでんな。 関西地域では古くから鉄道王国として知られ、西日本で一番の発展を遂げてきました。 阪急電車の創業者として知られる小林一三さんは京都線、宝塚線、神戸線のそれぞれ、路線を梅田駅に集中させ、日本最大のターミナル駅を築き上げました。 今でも阪急梅田駅は全国最大規模。 梅田に訪れる目的をとの思いから、梅田駅前に日本で初めてとなる鉄道系の百貨店「阪急百貨店」を創業。 また、兵庫県内では瀬戸内海側を走る庶民的なイメージの阪神電車とは対照的に阪急電車は山側=高級感という独特のイメージが定着。 阪急電車梅田駅周辺には阪急系のビルが集中しているため、俗に阪急村と呼ばれてまんねん。 阪急村ではおしゃれなレストランからカフェ、ファッション、エンターテインメントまで何でも揃ってまっせ。 阪神村や近鉄村、南海村にはあらへん阪急村だけの贅沢を一日中、とことん楽しみまひょ!
まいどまいど! 現在の材木の中心地といえば、東京都江東区の新木場でんねんけど、材木の中心地である新木場の移転前までは木場におました。 そもそも木場とは材木の中心という意味を表し、当時の木場には貯木場で浮かべた木材に乗る伝統芸「木場の角乗」の姿があったとか。 時は流れ、材木の中心地は新木場に移転し、現在は公園として整備され、区民の憩いの場として親しまれてまんねやけど、園内は自然豊かな環境に恵まれ、ウォーキングやランニングを楽しむ来場者の姿も。 ほんでまた木場公園の南側には旧遊郭がおまして、名称を洲崎遊郭。 いずれも当時の姿は一切、残っておらず石碑だけが建立されておます。 そんな木場の今と昔を散策しに出かけまひょ。
まいどまいど! 日本国内で本格的な中華料理っちゅうたら、神奈川県横浜市にある横浜中華街、長崎県長崎市にある長崎新地中華街、そして関西地域では兵庫県神戸市にある神戸南京町が有名でんねんけど、大阪でも本格的な中華の味を堪能できるお店が難波にありまんねん。 場所は、大阪を代表する繁華街の一つ「ミナミ」の中心地。 周辺には南海電車・近畿日本鉄道・阪神電気鉄道、地下鉄などがひしめく難波駅と戎橋筋・心斎橋・道頓堀・宗右衛門町などに囲まれ、ぎょうさんの観光客が行き来してはりまんねん。 ここに関西地域のコマーシャル「豚まん(肉まん)があるとき!ないとき・・・」でおなじみの蓬莱の本店がありまんねん。 1945年、台湾・嘉義出身の羅邦強、郭文沢、蔡水池、頼来陣とともに「蓬莱食堂」を創立したといい、「蓬莱角店(551蓬莱)」、頼来陣が「蓬莱中店(蓬莱本館)」、蔡水池が「蓬莱別館」として独立・暖簾分け。 今でも地元・大阪で愛される名店になりました。 その他、地下街・なんばウォークでショッピングを楽しみ、織田作之助ゆかりの自由軒でライスカレーを味わうのもおすすめ。 難波で楽しむグルメたびにレッツゴー!
まいど! 大阪を代表する繁華街っちゅうたらキタ、ミナミに代表されまんねん。 キタは主に大阪・梅田・中之島とその周辺のことを指し、ミナミは心斎橋や道頓堀、日本橋などを指しまんねん。 特にミナミはグリコやかに道楽、づぼらやなどの看板やくいだおれ人形に代表されるように日本最大の繁華街として有名でんな。 日本橋は、「にっぽんばし」と読み、東京の秋葉原に並ぶ繁華街でおまっせ。 そんなにぎやかな繁華街を南に行くとなんばシティややなんばパークスなどの大型商業施設が。 ここはかつて、南海ホークスグランドであったこととしても知られ、南海ホークスに関する記念艦も開設され、今でもファンが訪れることも。 その周辺には閑静な住宅街に囲まれ、静かな雰囲気漂う神社や体育館が見えてきまんねん。 その中の一つが難波八阪神社。 「なんやねん!?これ!」 大きな獅子が印象に残って、思わず写真撮影を楽しむ観光客・参拝客の姿も。 大阪府立体育館でスポーツまたはスポーツ観戦もよろしおますな。 大阪ミナミの繁華街を歩いてみて食べて楽しめるスポットを中心にご案内いたします! ほな、まいどおおきに!
まいどまいど! くいだおれのまち大阪を代表する日本最大の繁華街・ミナミ。 ミナミは、南船場、心斎橋、難波、道頓堀、法善寺などを含めた一帯のことを指し、グリコの大きな看板、カニが動く看板、太鼓を叩く人の看板などが名物でんな。 っちゅうことで、今回は、全国的に有名な道頓堀を中心にご案内していきまひょ! かつては、天下の台所として栄えた大阪のまち。 江戸時代の船場には、長堀川、道頓堀川など市民の力で多くの川を掘削、全国から北前船を代表する多くの船が行き交い、商売してはったんやて。 まちには多くの船着場。 この意味から、船場と言う地名になったとか。 大阪市内を東西にはしり抜ける道の一つに数えられる本町通を境に、船場界隈の北半分を北船場、南半分を南船場と呼び、その南船場の範囲が広まって、心斎橋、難波、道頓堀などを含めたこの界隈もミナミと呼ばれるようになったんやて。 道頓堀川は安井道頓氏らが中心となって掘削。 今では東横堀川と西横堀川とを結び、木津川を経由して大阪湾へと注ぎまんねん。 大阪を代表する有名な川に架かる戎橋など、いろんな大阪・ミナミのいろんな顔を詳しくご紹介していきまっせ~!
まいどおおきに! 時代はさかのぼり、日本経済が高度経済成長のころ。 1970年に日本では初めてとなる国際博覧会「日本万国博覧会(通称、大阪万博)」が大阪府吹田市で開催された。 そして、そのころの高度掲載成長期を支えた大阪駅前の高層ビル群。 今でも大阪マルビルをはじめ、大阪駅前第1ビル、第2ビル、第3ビル、第4ビルがあり、平日は多くのビジネスマンが行き交っているビジネス街の中心地。 また、大阪駅前ビルの地下はJR西日本の大阪駅、北新地駅、阪急電車梅田駅、阪神電車梅田駅、地下鉄御堂筋線梅田駅、地下鉄谷町線東梅田駅、地下鉄四つ橋線西梅田駅に直結しているため、ビジネスマンだけでなくぎょうさんの観光客でにぎわってはります。 また、それぞれのビルの地下には飲食店街がおまして、昼間は主にお腹を空かせたビジネスマン、夜間はお酒を楽しむ人を中心に賑わいを見せてはりまんな。 そんな大阪駅前の今と昔を徹底解剖。 地元の人でも知らないような穴場中の穴場を中心にご紹介していきまひょ!
まいどまいど! 平安時代、付近を交野ヶ原と呼ぶ七夕伝説の発祥地。 奈良時代、七夕伝説は中華人民共和国の行事の一つであったが、日本に伝来、交野市に鎮座する機物神社には織姫が、枚方市に位置する観音山公園には巨石「牽牛石」が年に1度、天の川(天野川)に架かる逢合橋で出会い、逢瀬を楽しむという。 「交野ヶ原」と呼ばれる台地でかつ丘陵地は、耕作には適さなかったものの、鳥獣が多く棲息していた。 京の都からも近いことから貴族の狩場となっていて、桓武天皇の時代には離宮が置かれていた。 また枚方は旧宿場街。 1600年頃、淀川左岸の堤防「文禄堤」が、京街道として利用された。 これは、大阪・京橋付近から京都府にある伏見まで続く街道で、別名、大坂街道とも呼ばれる。 1601年、徳川家康によって、枚方をはじめ、伏見、淀、守口にそれぞれ、宿場町として指定した。 現在もその一部が現存し、枚方神屋資料館が開館。 「餅くらわんか、飯くらわんか」。 三十石船では、と客に勧めることから通称「くらわんか舟」とも呼ばれていた。 「くらわんか」とは、標準語の「食べないのか」を挑発的かつ乱暴な言い方で表現した河内弁。
まいどまいど! 「ひらパー兄さん」という愛称で知られるアイドルグループ「V6」の岡田准一はん。 以前、お笑いコンビのブラックマヨネーズはんが務めてはりましてん。 せやけど、ひらかたパークは、西日本を代表するテーマパークの一つとして知られ、ユニバーサルスタジオジャパンに次ぐ絶大な人気を誇ってはりまんな。 そして、奇抜なデザインが目を引く枚方T-SITE。 ここは、本の販売やレンタルを中心に、全国展開するTSUTAYAが運営する商業施設で、最上階からは大阪平野を一望することができまっせ。 元々、TSUTAYAは蔦屋として、大阪府枚方市で一号店を開店した歴史を持つなど、枚方市はすごい! その他、自動販売機も充実しておまして、駅構内にはあちこちに設置されてまんねん。 ほんでなにやら珍しい自動販売機もあるねやて? 早速、探しに出かけまひょ。
12年前の家族旅行以来の沖縄✈️今回は夫婦2人旅❣️ あれから月日がたち海に入りたいわけでもなくなり笑 台風が絶対来ないであろう11月、結婚25周年の記念に計画しました🌺 テーマはホテルと食事を楽しむ大人旅 といいつつ、なんだかんだ詰め込んだ3泊4日です笑 (2024.11.20〜23 )
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