
木材産業の中心地・木場の面影
東京木材産業の中心地・木場の面影
まいどまいど! 現在の材木の中心地といえば、東京都江東区の新木場でんねんけど、材木の中心地である新木場の移転前までは木場におました。 そもそも木場とは材木の中心という意味を表し、当時の木場には貯木場で浮かべた木材に乗る伝統芸「木場の角乗」の姿があったとか。 時は流れ、材木の中心地は新木場に移転し、現在は公園として整備され、区民の憩いの場として親しまれてまんねやけど、園内は自然豊かな環境に恵まれ、ウォーキングやランニングを楽しむ来場者の姿も。 ほんでまた木場公園の南側には旧遊郭がおまして、名称を洲崎遊郭。 いずれも当時の姿は一切、残っておらず石碑だけが建立されておます。 そんな木場の今と昔を散策しに出かけまひょ。
-
東京都江東区内を流れる汐浜運河に架かる橋。 すぐそばにモニュメント「Persona抄(造形作家、松本哲哉氏)」が設置。 胴体の前方から手が生えて仮面を支え、まるで仮面を被ったようなデザインに。 江東区ではパブリックアートは計82点あり、そのうちの一つ。 モニュメントは1993年に設置。 「想像上の海中生物」とし、「生命体が海中から時間をかけて陸に上がり、進化していく」過程をイメージしたものであるとか。 作品名ともなっている「ペルソナ」とは仮面や人体像を表す言葉で、仮面の部分は「国籍不明」。 地元では人面魚とも呼ばれ、人間の顔と魚の胴体を持ったゲームキャラクター「シーマン」とも噂されるとか。
-
1700年前後の元禄年間に埋め立てられた土地で、古くは「深川洲崎十万坪」と呼ばれた。 1888年、東京帝国大学校舎の建設に伴い、風紀上の観点から東京都文京区にあった根津遊郭から移転。 全盛期には約300件がひしめき、吉原と並ぶ都内の代表的な遊廓として人気を集め、吉原の「北国」と同様、「辰巳」の異名を持つほどに発展。 1945年、洲崎遊廓の閉鎖令が下され、跡地は軍需工場等となった。 東京大空襲で洲崎はほぼ完全に灰燼に帰し壊滅した。 戦後、復興し、「洲崎パラダイス」の名で遊客に親しまれた歓楽街となった。 1958年、売春防止法が成立され、衰退。
-
餃子やラーメンを中心とする専門店。 店内はカウンター席、テーブル席がある。 日本橋餃子
-
店先の看板には「名物 もんじゃグラタン」。 東京発祥のもんじゃ焼きとは聞いたことがあっても、もんじゃグラタンとは、いったい、どんなものなのなんやろか。 早速、入ってみることにした。 店内は、カウンター席とテーブル席。 カウンター席に座っていると、店員さんに話しかけられ、数分後には一見さんであっても話が弾む親しみやすさがここにある。 いつも常連客でにぎわっている雰囲気。 店員さんは、旅行が趣味。 なので、北海道から沖縄までの旅先で見つけたご当地グルメをメニューにしているとか。 また、ご飯ものはなく、お酒のつまみに合うものがテーマであるとか。
-
もんじゃグラタン
「もんじゃグラタン」とは、ここのオリジナル。 もんじゃ焼きの上に、チーズを乗せて焼いたもので、ビールとの相性は抜群。
-
うどんぎょうざ
大阪府高槻市のご当地グルメ。 うどんと餃子が一つになったもので、全部で4枚。 酒のつまみにもぴったり。
-
-
精肉店直営の焼肉専門店。 店内は座敷やカウンター席、テーブル個室など。 メニューは、カルビ、ロース、ハラミ、豚カルビなど。 また数量限定で販売されている牛ほほ肉弁当も。
-
波除碑。 別名、自然災害伝承碑。 1791年、深川一帯で高潮の被害を受け、甚大なる被害を受けた。 江戸幕府は洲崎弁天から西側一帯を買い上げて、空地とした。 1794年、後世に伝えるため、その空地の両端に碑が建立。 当時、海岸線に位置していたが、現在は埋め立てが進み内陸部に所在している。
- アプリで地図を見る
-
新鮮なまぐろを味わうことができる居酒屋。 店内はテーブル席のみ。 メニューはマグロの刺身や丼など。
-
まぐろ
特にマグロの様々な部位を使用した刺身盛り合わせ「まぐろ祭り」が人気。
-
-
マグロやサーモンなどを中心とする刺身、寿司などを中心に味わうことができる大衆居酒屋。 目印は酒蔵の軒先で吊るされる杉玉。 店内はカウンター席とテーブル席がある。
-
メニュー
メニューは刺身、天ぷら、寿司など。
-
-
元弁天社と称した。 厳島神社の御分霊を祭神市杵島比売命を斎祀。 1700年、桂昌院(徳川五大将軍綱吉公の生母)が崇敬した江戸城中紅葉山の弁財天を、護持院(現護国寺)隆力の進言により遷座して創建。 当地は海岸に位置し絶景、潮時には城下の貴賎袖を連ねて真砂の蛤を捜り楼船を浮べて妓婦の絃歌に興を催す文人墨客の参詣を集めた。 1791年、津波が発生し、周辺は甚大な被害を受けた。 江戸幕府は当地を東北、平久橋の袂を西南とした一帯を買い上げ、居住禁止区域とした際の波除碑(津波警告の碑)が残された。
-
玉の輿たまちゃん
境内には玉の輿たまちゃん。 桂昌院の旧名称は「お玉」であったことが玉の輿という言葉の由来にもなったとか。
-
-
東京都江東区にある地名の一つ。 江戸時代、材木商は日本橋付近に集中し、材木河岸を形成。 1657年、明暦の大火により幕府は寺社仏閣や大名屋敷等を移転させ、江戸の町を整備。 材木河岸は墨田川の対岸に位置する深川に移転。 明治時代、周辺の埋め立てが進み、木場は内陸となった。 1969年、沖合の埋立地に貯木場を設置して新木場となったことにより、従来の貯木場は埋め立てられ、木場公園として整備。 毎年10月に開催される江東区民祭りで木場の伝統芸「木場の角乗」が行われ、見物できる。 紫陽花の時期には7色の紫陽花が咲く。
-
木場の角乗
園内では、貯木場で浮かべた木材に乗る伝統芸「木場の角乗」の像が設置。
-
-
カツや天ぷら、魚などを味わうことができる飲食店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 ランチタイムには定食も。
- アプリで地図を見る
-
東京都江東区にはかつて洲崎川が流れていた。 1887年、海岸線を残す形で埋め立てられて整備された河川の一つ。 1982年、洲崎界隈にかつて存在した遊郭・洲崎遊郭やその周辺を囲む形で埋め立てられ、緑道として整備された。 また、付近には架かっていた洲崎橋の石碑が建立。
-
ホルモンをはじめ、マルチョウ、シマチョウ、トロミノなどの牛を中心とした焼肉を味わうことのできる飲食店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。
-
テイクアウト
メニューはホルモンをはじめ、タン、ミノ、カルビ、豚ハラミなど。 テイクアウトも可能。
-
-
トマトラーメンやトマトカレーなどが味わえる飲食店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 コンセプトは、イタリアンとラーメンの融合。
-
トマトカレー
太陽のラーメンやトマトカレーなどが人気でトマトによる味を楽しむことができる。
-
-
カレーライスの専門店。 店内はカウンター席のみ。
-
ジャンカレーなど
メニューは、ジャンカレー、カツカレー、エビカレー、コロッケカレー、メンチカツカレーなど。
-
チキン
チキンと一緒に。
-
-
豚肉や鶏肉などを販売するテイクアウト専門店。 メニューはとんかつ弁当や豚ひれかつ弁当、チキンカツ弁当、デミグラスハンバーグなどがある。
-
冬季限定 カキ・チキン弁当
冬季限定 カキ・チキン弁当
-
- アプリで地図を見る
-
精肉をはじめ、焼鳥やサラダ、コロッケ、ハンバーグなどの総菜、弁当を販売する専門店。 総菜は量り売り。
-
野菜炒め、チキン、餃子
メニューは野菜炒め、チキン、餃子など。
-
-
本格的な焼肉を楽しむことができる。 店内はテーブル席のみ。 2019年、東陽町店が開店。 創業者は、韓国人家庭に育った韓永紀氏。 小学生の頃、父は葛飾区内で親戚が経営していた高砂の味道園に務め、葛飾区亀有に焼肉店を開業、米沢亭の前身となる味道園が誕生。 屋号をうしくろに改称。
-
テイクアウト
テイクアウトもあり。
-
-
タンメン専門店。 2009年、開業。 店内はカウンター席のみ。 厚生労働省推奨「成人1日当たりの野菜摂取量」と同じ量(約350g)の野菜にこだわっているとか。 メニューは辛激タンメン、餃子、唐揚げなど。
-
唐揚げ弁当
一部のメニューはテイクアウトも可能で、今回は唐揚げ弁当。 できたての唐揚げとたっぷりの野菜、ライスも。
-
-
つけ麺の専門店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 小麦の風味の中太麺、魚介出汁に豚や鶏の旨味を加えたスープにつけて味わえる。
-
味玉つけめん
毎日、食べられるがコンセプト。 味玉つけめん。
-
-
にぎり寿司、巻き寿司、海鮮丼などを味わうことのできる専門店。 店内はカウンター席、テーブル席があり、テイクアウトも可能。
-
海鮮丼など
メニューは各種にぎり寿司や巻き寿司、トロ・いくら・ウニなどを使用した海鮮丼など。
-
- アプリで地図を見る
-
都立公園の一つ。 かつて当地には材木業関連の倉庫や貯木場などが集中していた。 1969年、付近に埋立地が完成し、材木業者などほとんどの機能が新木場へと発展。 1975年、昭和天皇在位50年の記念公園として位置付け。 江東区の防災都市計画(住宅などが密集していることによる火災や地震被害を抑えるため)の一環として、公園が整備。 1992年、開園。 木場(貯木場)の故地であることを後世に伝えるため、毎年10月に開催される江東区民祭りで木場の伝統芸「木場の角乗」を開催。 また、紫陽花を観察できる。
-
テーマは、木場の風景。 江戸時代に発展した木場の風景を再現。 園内にはモニュメントの絵巻、石積みの掘割、木製の太鼓橋、岸辺の燈籠、筏を操る川並の像、和船などが展示。 夏にはじゃぶじゃぶ池も開設され、子供たちで賑わう。
-
木場二丁目公園内にある碑。 1776年、四代目市川団十郎は隠居して深川木場島田町(木場2丁目)に邸宅を構えて以来、七代目団十郎まで市川家代々が島田町内(木場2丁目)に居住。 七代目団十郎は荒事(あらごと)・実事(じつごと)・和事(わごと)・実悪(じつあく)・色悪(いろあく)等、多彩な役柄をこなして人気を博し、四代目鶴屋南北の作品なども演じた。 また、初代以来の当たり役を調べ、「歌舞伎十八番」を選定するなど、歌舞伎の発展に貢献。
-
木場二丁目公園内
1842年、当時の老中水野忠邦が推進した天保改革における奢侈禁止令に違反したとして江戸を追放。 その理由は、邸宅や家財道具が豪華で贅沢であるというもので、追放の申渡書によると、天井を金泥で塗り、桐紋をあしらった豪華な箪笥を用い、庭に御影石の燈籠などを置いていた。 以後、邸宅は取り壊された。
-