東京スカイツリー周辺エリアの文化に関するおでかけプランを集めたページです。おすすめスポットを使った東京スカイツリー周辺エリアの文化についてのおでかけ情報がたくさんあります。自分に合ったおでかけプランを見つけて素敵な休日を過ごしてください!
…もっと見る
シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅。 その2橋目は荒川区南千住&台東区橋場と、墨田区墨堤の間に架かる「白鬚橋」を渡ります。 西側の南千住から橋場にかけては日本最大級のドヤ街「山谷」のある地域。 東側の東向島一帯は東京最大級の私娼窟「玉の井」が広がっていた地域。 現在の山谷からはスラムの面影が次第に薄れ、バックパッカー向けの安宿街に姿を変えつつあります。 一方の玉の井は私娼窟はおろか地名すら姿を消し、現在では単なるゴミゴミした下町の住宅街となりました。 かつて東京の暗黒街を結んだ美しい橋を渡り、博物館やグルメを堪能したいと思います。
江戸時代、庶民が春秋のお彼岸に花見や紅葉を楽しみながらお詣りしたのが、江戸六阿弥陀。一~六番と木余、木残のお寺が、隅田川をはさんで北区や足立区などに分布しています。 「六阿弥陀由来 聖武天皇の御時、この地方に足立少輔某というものがおり、その娘が近郷の豊島左衛門清光という長者に嫁したが、故あって離婚となり沼田川に身投げし、その侍女五人も殉死した。足立少輔某は悲嘆やるかたなく諸国の霊場を巡拝したおり、紀州熊野山において杉の霊木を得て、これを海に投じたところ当地に漂着した。たまたまそこへ行基が行脚されて、亡女等の菩提のために少輔某の請いによって、六体の阿弥陀仏像が造られたといわれている」(與楽寺の案内より) この言い伝えには、庶民に奉仕した実在の僧行基が登場します。東国にも赴き、隅田川などの河川工事に携わったかもしれません。 お彼岸=シルバーウィークの一日、万葉の時代の悲しい伝説と仏教の歴史がクロスする江戸六阿弥陀めぐりはいかがでしょうか。エリア的に、都バスの一日券などが便利ですよ。 http://teramachisampo.com/machisampo/detail/1007
「兜町(かぶとちょう)」と言うと証券会社が多く観光地のイメージからかけ離れた雰囲気の方を想像される方も多いかと思います。 ・・・全くその通りです(笑) しかしそのような街にも今日までに築かれた歴史があり、ところどころでそれらを感じることが出来ます♪
シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅。 その6橋目は台東区駒形と墨田区東駒形の間に架かる「駒形橋」です。 白鬚橋や言問橋のところでも出てきた「震災復興橋梁」9橋のうち内務省復興局が建造した6橋のひとつ。 都道463号線、通称「浅草通り」が上を通り、真っ直ぐ西へ進むと上野駅に突き当たります。 駒形橋界隈は水戸街道沿いにあったため、江戸時代の昔から繁華だった場所。 江戸中期までは蛍の名所としても知られていたとか。 浅草側にはどじょう料理、うなぎ料理、麦とろ飯の老舗が軒を連ね、江戸情緒を今に伝えています。 最寄りの鉄道駅は都営浅草線浅草駅で、ちょうど西詰の真下にあります。
シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅。 その3橋目は台東区今戸と墨田区向島の間に架かる、隅田川唯一の歩行者専用橋「桜橋」です。 橋名は両岸の隅田公園が都内指折りの桜の名所であることに由来しています。 西詰は北に行くと“招き猫発祥の地”今戸神社、南に行くと“池波正太郎生誕の地”待乳山聖天。 橋の袂にある水門は山谷堀のもので、現在は暗渠化され上部は公園になっています。 江戸時代はお金持ちが小さな船で、この堀を通り吉原へ通っていたそうです。 東詰に広がるのは向島の料亭街。 とはいえ料亭はエクスペンシヴで、おいそれと立ち入ることなど能わず。 でも料亭街にありながらも気の置けない食べ物屋さんが、ひっそりと小径の陰に佇んでいたりします。 西詰も東詰も、落ち着いた下町情緒が味わえる大人の“橋”…それが桜橋なのです。
シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅を始めたいと思います。 その一橋目は荒川区汐入と墨田区鐘ヶ淵の間に架かる「水神大橋」。 鐘ヶ淵といえば池波正太郎の時代小説「剣客商売」の主人公、秋山小兵衛の隠居宅があった場所。 その名残は今も街の随所でシミジミ感じることができます。 また、汐入といえば「巨人の星」の主人公、星飛雄馬一家が暮らしていた場所。 星一徹がちゃぶ台をひっくり返していたあばら屋は、このあたりにある設定でした。 今では町の全域がひっくり返されたかのように再開発され、未来都市のようになっています。
日本橋案内人:魚河岸の棒手振り 茂吉/越後屋の奉公人 小太郎 天保12年(1841年) 午前4時。江戸の台所日本橋の商人たちの朝は早い。 日本橋のたもとにある魚河岸では今日も到着したばかりの魚が次々と卸されている。 まだ日が昇る前だというのに、良い魚を仕入れようと魚桶二つを棒に引っ掛けた棒手振りでごった返している。 茂吉「どいたどいた!小僧、橋の上でぼさっとしてるんじゃないよ」 小太郎「し、失礼いたしました。伊勢に帰る駄賃を数えていたもんでして・・・」 茂吉「越後屋の丁稚かい?」 小太郎「へぇ。主人から暇をいただいて里帰りするんでございます」 お彩「すみません、旅の者ですが、お二人は日本橋近辺にお詳しいですか?ちょっとこの辺を案内して頂きたいのですが」 茂吉「俺は急いでるから、この坊主に頼んでくんな」 小太郎「わたしは越後屋で奉公している小太郎という者でございます。これから伊勢へ向かいますが急ぐ旅でもございません。付近をご案内して差し上げましょう」 お彩「越後屋にお勤めの方がご案内下されば心強いです!」 こうして茂吉と別れ、小太郎と共に日本橋巡りをスタートしたのでした。
ログイン