星飛雄馬と秋山小兵衛を結ぶ真新しい架け橋-水神大橋
東京星飛雄馬と秋山小兵衛を結ぶ真新しい架け橋-水神大橋
シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅を始めたいと思います。 その一橋目は荒川区汐入と墨田区鐘ヶ淵の間に架かる「水神大橋」。 鐘ヶ淵といえば池波正太郎の時代小説「剣客商売」の主人公、秋山小兵衛の隠居宅があった場所。 その名残は今も街の随所でシミジミ感じることができます。 また、汐入といえば「巨人の星」の主人公、星飛雄馬一家が暮らしていた場所。 星一徹がちゃぶ台をひっくり返していたあばら屋は、このあたりにある設定でした。 今では町の全域がひっくり返されたかのように再開発され、未来都市のようになっています。
1989(平成元)年3月に建造された比較的新しい橋。 その名は東岸の隅田川神社に由来します。 東岸の東白鬚公園と西岸の汐入公園は都の防災拠点。 双方を結ぶために架橋されました。 青いアーチと橋桁に白い高欄がマッチした美しい橋です。
水神大橋東詰から少し下流にある、橋の名の由来となった神社。 鎮座の年代は不明ですが、一説には治承(1177~1181)の時代。 源頼朝が暴風雨に遭った際、当社に祈願したと伝わっています。 古くから「水神様」と崇められてきた隅田川の守り神。 同時に地域一帯の鎮守として祀られてきました。 水神様だけに水運業者や船宿、水商売の人々からも深く信仰されていたそうです。 明治5(1872)年、現在の隅田川神社と改称されました。
水神大橋と隅田川神社の間に立つ梅柳山木母寺。 平安時代中期の開基と云わる名刹です。 ここは能楽「隅田川」に謳われた梅若伝説ゆかりの寺。 平安中期、吉田少将惟房の子「梅若丸」が人買いに誘拐されます。 関東へ下る途中、隅田川のほとりで12歳の生涯を閉じました。 その後、一人の狂女が泣き叫びながら姿を現します。 京の都から梅若丸を探しに遥々やってきた母親でした。 天台宗の高僧忠円が供養のため築いた塚で法要を行うと、梅若丸の亡霊が現れました。 母が抱きしめようとすると、亡霊は腕をすり抜けて霧のように消えてしまいました。 この梅若塚が今も残るほか、浄瑠璃塚や落語家三遊亭円朝が建てた三遊塚もあります。
梅若公園に立つ“最後の幕臣”榎本武揚の銅像
木母寺と団地を挟んだ東側、墨堤通り沿いにある小さな公園。 ここ梅若公園には大正2年に建立された榎本武揚の銅像があります。 木母寺も梅若塚も元はここにあったのですが、防災団地建設のため現在地に移転し、銅像だけが残されました。 榎本は戊辰戦争で最後まで官軍に抵抗した幕臣。 晩年は向島に隠棲し、墨堤で馬を走らせる姿が時々見かけられたそうです。
平成18年4月に開園したばかりの真新しい都立公園。 南千住八丁目付近の白鬚西地区市街地再開発事業により整備されました。 災害発生時には約12万人を受け入れる広域避難場所に指定され、公園の東側、南北約1kmの区間はスーパー堤防になっています。 再開発される以前、この一帯には木造住宅が密集していました。 「巨人の星」で星一徹一家が暮らしていたのは、このあたりだったと伝わっています。 というのも原作者の梶原一騎が、このあたりの出身だったからだそう。 梶原の別名である高森朝雄原作の「あしたのジョー」で冒頭、矢吹丈が泪橋へ姿を現したのも汐入の方角からでした。
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水神大橋へ鉄道で行くのなら東武スカイツリーライン鐘ヶ淵駅から。 駅前の道を右に折れると一本道で水神大橋に到着します。
秋山小兵衛の隠居宅は旧鐘淵中学校があったあたり?
池波正太郎の時代小説「剣客商売」。 主人公の秋山小兵衛が隠居して居を構えたのが鐘ヶ淵。 木母寺から北へ向かった、旧鐘淵中学校のある辺りだと思われます。
鐘ヶ淵は化粧品や食品の「カネボウ」発祥の地
鐘淵中学校と墨堤通りを挟んだ向かい側。 KCロジスティックスのビルが立つ辺りが「カネボウ」創業の地です。 1887(明治20)年創業の「東京綿商社」が2年後、鐘ヶ淵に紡績工場を建設。 1893(明治26)年に社名を「鐘淵紡績」に改称し、世界有数の紡績会社に成長します。 その後さらにカネボウと改称し、化粧品や食品などに進出。 鐘ヶ淵の工場は1969(昭和44)年に操業を停止しました。