江戸時代「橋場の渡し」の記憶を今に伝える美しき橋梁-白鬚橋
東京江戸時代「橋場の渡し」の記憶を今に伝える美しき橋梁-白鬚橋
シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅。 その2橋目は荒川区南千住&台東区橋場と、墨田区墨堤の間に架かる「白鬚橋」を渡ります。 西側の南千住から橋場にかけては日本最大級のドヤ街「山谷」のある地域。 東側の東向島一帯は東京最大級の私娼窟「玉の井」が広がっていた地域。 現在の山谷からはスラムの面影が次第に薄れ、バックパッカー向けの安宿街に姿を変えつつあります。 一方の玉の井は私娼窟はおろか地名すら姿を消し、現在では単なるゴミゴミした下町の住宅街となりました。 かつて東京の暗黒街を結んだ美しい橋を渡り、博物館やグルメを堪能したいと思います。
骨太の鉄筋で構成された優雅な曲線というアンビバレントな美しさを見せる白鬚橋。 橋名は隅田川東岸にある白鬚神社に由来しています。 大正3(1914)年に完成した初代の木橋は、なんと近所の住人が設立した株式会社が運営。 当初は通行料を徴収してましたが渡し船との競争で苦境に陥り、同14(1925)年に東京府が買収。 同12(1923)年に発生した関東大震災の復興事業の一環として架け替えられることに。 現在の鉄橋は昭和6(1931)年8月8日に完成。 昭和20(1945)年の東京大空襲でも被害を受けることなく、市民と避難に大きな力を発揮しました。
明治維新の元勲三条実美の別邸「対鴎荘」跡
かつての白鬚橋西詰一帯は風光明媚な土地で、著名人の屋敷が軒を連ねていました。 そのひとつ対鴎荘は三条実美の別邸です。 征韓論を巡り政府内で対立が続いていた頃のこと。 太政大臣の三条は心労で倒れ、この別邸で静養していました。 この碑は三条を気遣った明治天皇が見舞いに訪れたのを記念して建立されたものです。 ちなみに対鴎荘は白髭橋架橋工事に伴い、昭和3(1928)年に多摩聖蹟記念館へ移築されました。
天暦5(951)年、滋賀県高島市の琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社総本社から分祀されたのが起源です。 墨田区の旧寺島町…現在の東向島、墨田、堤通、京島、八広、押上…の氏神として信仰されてきました。 主祭神の猿田彦大神は高天原から降臨してきた天孫瓊瓊杵尊を道案内した神。 そこから旅立安全、交通安全、商売繁昌、方災除の神として崇められています。 ちなみに白“ヒゲ”は髭(くちひげ)ではなく鬚(あごひげ)です。
セイコーが設立した時計に関する国内有数の博物館。 白鬚橋東詰から墨堤通りを右に曲がった少し先にあります。 ウオッチやクロックなど時計類の展示品は約650点を数えます。 1階は「時の進化」をテーマに日時計、機械式時計、クオーツ時計といった、時間を計測する道具を紹介。 2階は日本有数の和時計コレクションや、セイコーが過去に発売した時計を時代区分ごとに展示。 3階では時と時計に関する一般文献などが閲覧で きます。
白鬚神社の門前から真東に延びる路地を道なりに進むと姿を見せる「向島百花園」。 江戸時代の文化文政期(1804~1830年)に造られた庭園です。 ここの最大の特徴は幕府や大名、神社仏閣とは無関係な、単なる一町人の手による「民営庭園」だということ。 骨董商人の佐原鞠塢が交遊のあった文人墨客の協力を得て、旗本屋敷の跡に作り上げたものです。 民間での営業は、なんと昭和13(1938)年まで続いたそう。 戦後、復興が進む中で廃園になりかけましたが、なんとか存続。 昭和53(1978)年10月には国から名勝と史跡に指定されました。
向島百花園から明治通りを渡って直進し、東武線東向島駅の南側高架下にあります。 日本で2番目に大きい私鉄の東武鉄道が創立90周年を記念し、平成元(1989)年に開業したもの。 東武鉄道の歴史や文化などの紹介はもとより、蒸気機関車など12両の実車も展示。 また、シミュレータや実物機器を設置し、運転体験を通じて運転士気分にひたれます。 さらに高架下の立地を活かし、真上を走行する車両を至近距離から観察できる「ウォッチングプロムナード」も人気です。
白鬚橋東詰から墨堤通りを左に曲がって少し先にあるステーキハウス。 ピーク時に行列が店先に収まり切れず、数軒隣に待合所を設置したほどの人気店です。 牛肉は国産和牛と輸入オージー・ビーフの二本立てで、懐に合わせてチョイス可能。 もちろん牛ステーキだけでなく豚生姜焼きやオムライスなどの食事メニューも充実しています。 なかでも鉄板に厚切りステーキとオムライスが同居した「オムライステーキ」は珍しいメニューですね。
名物「駄敏丁カット」はスジ肉を美味しいステーキに変身できる魔法?
カタヤマの名物は「駄敏丁カット」という、特許も取得してるオリジナルカットです。 「らんいち」と呼ばれるモモ肉のランプ部から筋を取り除き、50~60gのブロック状に処理し、整形してステーキ肉にするというもの。 肉の味は上等でもスジが多くて食べにくかった「らんいち」が、普通のステーキ並に食べやすくなったのだとか。 ちなみに「駄敏丁」とは食肉用語ではなく、店主のペンネームだそうです。
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白鬚橋東岸を少し南へ下ったところ。 首都高速6号向島線の出口横にあります。 「志”満ん草餅」と書いて「じまんくさもち」と読みます。 創業は明治2(1869)年といいますから、150年近い歴史を誇る老舗です。
一年を通じて生のヨモギだけを使用した下町ならではの頑固な味わい
草餅とはヨモギの葉を刻んで練り込んだ和菓子です。 種類は餡入りと餡なし(きなこ、蜜付)の2つ。 餡も北海道十勝産の小豆だけを用いるなど、原材料にこだわってます。 1つずつ手造りのうえ、添加物も使用していないので保存は効きません。
「日本一きびだんご」を謳うお団子屋さん、吉備子屋。 東武線曳舟駅から地蔵坂通りを抜けた辺りにあります。 志”満ん草餅と、ちょうど墨堤通りを挟んで向かい側ですね。 きびだんごは戦前、下町の子供たちに大人気のおやつでした。 売りに来る屋台に子どもたちが群がる光景が、よく見られたそうです。 この吉備子屋も当時の屋台をイメージした小さな造作になってます。
店内で食すもよし!百花園で賞味もよし!もちろんテイクアウトでも!
ビー玉ぐらいの大きさに丸められた団子が一串に四玉、刺さっています。 団子は高栄養価のタカキビで作られ、きな粉と黒蜜で頂きます。 ちなみに志”満ん草餅と同様、添加物は一切使用していません。
「地蔵坂通り」の由来は子育て地蔵尊から
吉備子屋と地蔵坂通りを挟んだ向かい側にあるのが子育て地蔵尊。 ここと白鬚神社を結ぶ小径は「墨堤の道」と呼ばれ、江戸時代から風流な場所として有名でした。