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落ち着いた下町情緒が味わえる、大人のための人道橋-桜橋

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落ち着いた下町情緒が味わえる、大人のための人道橋-桜橋

シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅。 その3橋目は台東区今戸と墨田区向島の間に架かる、隅田川唯一の歩行者専用橋「桜橋」です。 橋名は両岸の隅田公園が都内指折りの桜の名所であることに由来しています。 西詰は北に行くと“招き猫発祥の地”今戸神社、南に行くと“池波正太郎生誕の地”待乳山聖天。 橋の袂にある水門は山谷堀のもので、現在は暗渠化され上部は公園になっています。 江戸時代はお金持ちが小さな船で、この堀を通り吉原へ通っていたそうです。 東詰に広がるのは向島の料亭街。 とはいえ料亭はエクスペンシヴで、おいそれと立ち入ることなど能わず。 でも料亭街にありながらも気の置けない食べ物屋さんが、ひっそりと小径の陰に佇んでいたりします。 西詰も東詰も、落ち着いた下町情緒が味わえる大人の“橋”…それが桜橋なのです。

  • 桜橋は昭和60(1985)年に完成した歩行者専用橋。 上から見るとX(エックス)の形をした珍しい橋です。   昭和50(1975)年に隅田公園が東京都から墨田区と台東区に移管されたのを記念し、両区の姉妹提携事業の一環として造られました。   桜橋は隅田公園の連絡を目的に架橋されたせいか、交通のインフラというより公園内の一施設的な感じで存在しています。

    • 橋の両端に立つオブジェの彫刻は故・平山郁夫画伯のデザイン

      「X」字のクロス部分にある2基(一対)の大きなオブジェ。 平成 7(1995)年に架橋10周年を記念して設置されたもの。 日本画壇の大家である故・平山郁夫画伯の原画を細井良雄氏が彫刻にしたもので、タイトルは「双鶴飛天の図」といいます。

  • 桜橋の西詰を少し下流へ行くと、右側にこんもりとした小山があります。 その上に立つお寺さん「待乳山本龍院」…というより「待乳山聖天(まっちやましょうてん)」の呼び名が有名でしょう。 推古天皇3(595)年9月20日、突然この土地が小高く盛り上がり、金龍が舞い降りました。 これが浅草寺の山号「金龍山」の由来となったと伝えられています。 本尊は十一面観音菩薩を本地仏とする大聖歓喜天。 境内地や諸堂が整備されたのは江戸時代の元禄華やかなりし頃。 関東大震災や東京大空襲などを乗り越え、現在に至っています。

    • 「大川(隅田川)の水と待乳山聖天宮は、私の心のふるさとのようなものだ」…そう池波先生は言いました。

      水神大橋のところで触れた「剣客商売」や「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」などの作品で知られる時代小説の巨匠、故・池波正太郎は大正12(1923)年、旧東京市浅草区聖天町で生まれました。 現在の住所で言えば東京都台東区浅草7丁目、待乳山聖天の南側に当たります。 一帯は関東大震災で焼失し、生家は残されていません。 が、平成19(2007)年11月、隣接する待乳山公園内に生誕地碑が建立されています。

    • 池波正太郎に関する資料約3万点を収録した文学館

      台東区立中央図書館に併設されている「池波正太郎記念文庫」は、池波正太郎の資料約3万点を収録しています。 復元した書斎、人気シリーズ、エッセーなどを揃えた常設展示。 3か月単位で内容を入れ替える企画展示。 そして池波作品以外の時代小説約1万冊を揃えた時代小説コーナーも。 台東区立中央図書館は浅草、言問通りと合羽橋道具街通りの交差点近くにあります。

  • 桜橋の西詰にある運動場をグルリと回り込み、三叉路を左手に入って少し行った先にある神社。 ここは招き猫発祥の地にして、新選組一番隊長の沖田総司が終焉を迎えた地。 そしてなにより“縁結びの神様”として、良縁を求める婦女子から絶大な人気を集めるパワースポットでもあります。 どれほどのパワーがあるのかというと…「誰か良い人いませんか?」と相談を持ちかけられ過ぎて「縁結び会」という出会いの場を立ち上げたほど。 良縁に巡り逢いたい! と切望する老若男女は、今戸神社のホームページから「縁結び会」の詳細へアクセス!

    • 良縁を求めて婦女子が殺到? 都内最強クラスの縁結びスポット!

      “縁結び”のご神徳は伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)の夫婦神を祀っていることに由来します。 絵馬は他の神社では見られない「真円形」のデザイン。 これは「縁」と「円」の語呂合わせから来たそうで、とてもモダンです。

    • 今は昔「今戸焼」という陶器があったそうな…それが「招き猫」発祥の地の由来に

      この一帯は昔から陶器「今戸焼」の産地。 今も一軒だけ窯元が現存してるそうです。 江戸時代“型物”といって力士や稲荷の狐など、焼き物の人形が人気を呼んでました。 その中で“招き猫”だけが今でも残った…それが“発祥の地”の由来とか。 ただし世田谷の豪徳寺もまた、招き猫発祥の地と称しています。 ここは近江国井伊家の菩提寺。 井伊家といえば彦根城。 といえば…ひこにゃん! でも招き猫じゃありませんから!

    • 新選組一番隊長、沖田総司終焉の地でもあります

      肺を病んだ沖田総司は江戸に引き上げると、御殿医松本良順の医学所(和泉橋…秋葉原駅の近所)で治療を受けていました。 でも官軍が江戸に来たので、総司を含む患者たちは今戸神社に移されました。 松本良順も一緒に転居し、患者の治療に当たっていたそうです。 総司は良順の自宅で治療を受けていたので、ここが終焉の地ということに。 でも、匿われていた千駄ヶ谷の植木屋で亡くなった…との説が一般には根強いようです。

  • 今戸神社と道を挟んだ向かいにある、とあるお店。 参拝に来た女性たちが続々と吸い込まれていきます。 精巧な飴細工が巷で噂を呼んでいる店、アメシン。 店内には喫茶スペースも併設されています。

    • 飴なのでもちろん食べられますけど…なんかモッタイナイ!

      店内の工房では飴細工の製造販売のほかにも製作実演、オーダーメイド製作、体験教室の開催などを行っています。 飴細工の彩色には天然由来の色素を使用し合成着色料は使っていないので、もちろん食べられるそうですが…なんかもったいないですね。

  • 西詰を下流へ行くと少し先に水門が見え、その右側が広場になってます。 江戸の昔、ここから吉原遊郭にかけて「山谷堀」という水路が通じていました。 御武家様や御大尽は「猪牙舟(ちょきぶね)」という小船で通っていたそうです。 堀は昭和50(1975)年までに全て埋め立てられ、暗渠化されて下水道に。 その上には緑道型の長い公園が整備されました。 桜や紫陽花など多彩な花々を愛でながら、東京スカイツリーが望めるビュースポットです。

    • 「ひやかす」の語源はココ、山谷堀に架かる紙洗橋にあった!

      山谷堀には九つの橋が架かっていました。 そのうち紙洗橋は「浅草紙」というチリ紙の生産地だったことに由来します。 原料の紙屑を水に晒す工程を「ひやかす」と呼びました。 その間、職人達は暇つぶしに吉原へ遊女を見に行くのですが。 仕事の途中なのですぐに戻らなければならず。 遊女を買わずに見るだけの客は「ひやかし」と呼ばれるようになり。 これが買う気もないのに見るだけの客を「ひやかし」と呼ぶ語源です。

  • 東詰から少し上流へ歩いたところにある首都高向島線の料金所。 高速の高架下をくぐり、言問団子の前を過ぎると現れる少年野球場。 それが日本で最初に出来た少年野球用グラウンド「隅田公園少年野球場」です。 昭和24(1949)年、地元の住民や子どもたちが荒れ地を整備して造成した由。 そして昭和時代の野球小僧にとっての昔話、王貞治少年と荒川博選手が出会った“伝説の場所”でもあります。 ただ地元の古老が言うには元は別の場所にあったそうな。 それが高速道路建設のため現在地へ移転してきたとのことです。

    • ゲートの左柱に掲げられたレリーフこそ“世界のホームラン王”王貞治選手の“フラミンゴ打法”!

      昭和の世では本塁打数世界一になり最初の国民栄誉賞に輝き、平成の世では侍ジャパン初代監督として第1回WBCで優勝し日本中を沸きに沸かせた、福岡ソフトバンクホークス王貞治会長。 ここは中学生だった王少年がプロ野球選手の荒川博に見出された伝説の場所。 その後、巨人に入団した王選手は荒川コーチから鬼のような指導を受けて一本足打法を完成させていく…。 という“伝説”を耳にタコができるほど聞かされたものです。

    • 錦糸町の墨田区総合体育館内にある名誉区民顕彰コーナー「王貞治のふるさと墨田」

      錦糸町駅前の墨田区総合体育館内に墨田区出身の王会長を讃えたコーナーがあります。 福岡ヤフオク!ドーム内にある「王貞治ベースボールミュージアム」と比べたら、とてもこじんまりしていますが。 それでも「下町が生んだ世界のホームラン王」を称えた矜持が感じられる心地よい施設です。 また、王会長の実家が「五十番」という中華料理店だったのは有名な話。 その名を受け継ぐ2軒の店を紹介しましょう。

    • 実家の系譜を受け継ぐ吾嬬町(八広)の第一「五十番」

      ひとつは京成押上線八広駅近くにある「洋食五十番」。 昭和3(1928)年、王会長の両親は中華料理店「五十番」を屋号ごと居抜きで買い取り、初めて店を開きました。 同13(1938)年、表通りに二階建ての店を新築し、ここで王会長は誕生します。 同21(1946)年暮れに業平橋二丁目へ移転。 こちらの「五十番」は叔父夫妻が後を受けました。 現在では王会長の従兄弟が店を継ぎ、洋食屋として営業中です。

    • 実家の系譜を受け継ぐ業平橋(押上)の第ニ「五十番」

      もうひとつは業平橋へ移転した先の、2番目の「中華料理五十番」。 東京スカイツリーのお膝元、押上駅近くにあります。 昭和37(1962)年に「五十番」は新宿へ移転し、同40(1965)年に店を閉じました。 こちらの五十番は王夫妻の下で働いていたお弟子さんが暖簾を受け継いだもの。 気の置けない街のラーメン屋さんとして今も健在です。

    • ヤフオクドーム内「王貞治ベースボールミュージアム」にある、実家を再現した本家「五十番」

      本家本元「五十番」の味が、なぜか東京から遥か彼方の福岡で味わえます。 先出の「王貞治ベースボールミュージアム」内に往年の店舗を復元。 看板メニューだった「肉そば」を再現、提供しています(並800円/ハーフ600円)。 王貞治少年も愛した「肉そば」は、あっさりしたスープに野菜の旨みが溶け込んだ、昔懐かしいラーメンとのことです。

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  • 江戸時代の末期、植木職人の外山佐吉が創業したお団子屋さん。 向島は江戸期から明治大正にかけて風光明媚な観光地として栄えました。 それゆえ、幸田露伴、野口雨情、竹久夢二ら多くの文人墨客が訪れ賞味したそう。 店内には、ここを訪れた作家の皆さんが色紙にサインを残しております。 中にはNHK連続テレビ小説「花子とアン」でおなじみ村岡花子の署名も。 ちなみにここは「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」でおなじみ、TBS外山惠理アナウンサーの実家でもあります。

    • 店内で賞味するもよし!テイクアウトして川べりで堪能してもよし!

      お団子は白玉を小豆餡、白餡で包んだものと、クチナシ由来の粉で青黄色に外側を彩色して中に味噌餡を入れたものの3種類。 櫛に刺さっておらず、丸いままコロンと提供されます。

  • 桜餅は関東と関西で大きく異なりますが、関東風桜餅の元祖がこちら。 創業は享保2(1717)年…ちなみに大岡越前守忠相が江戸(南)町奉行に就任した年とのこと。 創業者の山本新六が隅田堤に散った桜の葉を樽の中で塩漬けにし、試しに作った和菓子が元祖。 向島の名跡「長命寺」の門前で売り始めたところ、花見客から大いに受けたのが世に広まるきっかけでした。 一般的な桜餅は桜葉が一枚なのに対し、二枚の葉で重ねるように包んであるのが特徴です。

    • 江戸の「長命寺」と京都の「道明寺」…関東と関西で異なる桜餅

      桜餅は関東と関西で大きく異なります。 関西は京都「道明寺」。 水に浸して蒸したモチ米を干して粗めにひいた「道明寺粉」を用い、餅に米粒の食感が残り、ちょっとピンク色なのが特徴。 一方の関東は江戸「長命寺」。 薄く伸ばして焼いた生地で餡を包んであるのが特徴です。 なお、どちらも塩漬けにした桜の葉で包んであるのは共通です。

  • 向島にある一風変わった蕎麦屋を紹介しましょう。 ここ「美舟音」の名物は「筏(いかだ)流し蕎麦」。 注文すると手打ち蕎麦が筏に乗って運ばれてきます。 蕎麦は信州産蕎麦粉を毎朝手打ちした八割蕎麦。 筏に乗ってやってくるスタイルはキワモノっぽいですが、蕎麦そのものは江戸前で真っ当です。 なお、筏スタイルは1階カウンターのみ。 2階は座敷になっていて、先代の店主が描き上げたという巨大な日本画が掲げられているそうです。

    • 中央にデンと構える大きな岩山、その周囲を緩やかに流れる川、そして筏に乗った手打ち蕎麦!

      席には「伊那渡し」「追分渡し」「木曽渡し」など、川に因んだ名が付けられてます。 で、到着すると目の前のランプが点灯し、名札の付いた筏から注文の品をピックアップするというシステム。 回転寿司ではないので、筏を手で抑えても何の支障もありません。 ただ到着まで時間が少々かかるみたいなので、その間は酒とアテで凌ぐのが粋かも。

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