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ユニバが目的の旅行でしたが、大阪出身の先輩にたくさんオススメスポットを教えてもらいました!! ユニバ・たこ焼き・串カツ・お好み焼き・カフェ・散歩と大満喫の大阪旅💪 その中でも私のお気に入りは堀江! たくさん可愛いお店がありもっと開拓したかったー!🏃🏻♀️
まいど! 天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の死後、豊臣方と徳川方による大阪の陣が1614年と1615年の2度勃発した。 1614年を大阪冬の陣、1615年を大阪夏の陣と呼び、戦後400年を迎えた2014年と2015年は、大阪城でイベントが開催された。 また、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」により、真田幸村が再び注目を浴びることとなり、真田幸村が歩んだ場所と軌跡を取り上げる。 大阪の陣と大阪の陣に登場する人物のゆかりの地としては、大阪城や茶臼山、三光神社、志紀長吉神社だけでなく、遠くは茨木市、堺市、柏原市、交野市など広範囲に及ぶ。 激戦が繰り広げられた古戦場から真田幸村の終焉。 そして、戦によって焼け野原となった大阪の地、焼け野原からの復興で立ち直った大阪の軌跡をギュギュギュっと凝縮し、まとめました。 古跡ファンの皆さん、戦国時代のファンの皆さんもぜひ参考にしてみてください。 1614年、1615年に、天下分け目の戦いともいうべき、豊臣家と徳川家の激戦。 まずは、大阪城を出発しましょう。
大河ドラマ史上最高傑作との声もある「真田丸」が終わってしまって真田丸ロスな日々をすごしているみなさん。嘆いていても仕方がないので真田丸にでもいって色々思いを馳せてしまいましょう。
ブラタモリの「#53 大阪」の回がすごく面白かったです!大阪が日本一の商都になる歴史を解明するルートを、番組で取り上げられた内容を踏まえながらプランにしてみました。発端は大阪を「日本一の境地なり!」と織田信長が言ったところ。実は戦国あたりの大阪のほとんどは海の中で、大阪城を突端とした上町台地だけが半島のように陸地になっていたそうです。その北は淀川の堆積湿地で西は海。そんな非常に興味深い地形を踏まえた商都大阪の散策歴史探索プランです。しかしブラタモリ最高です。
2016年の大河ドラマ「真田丸」がいよいよ最終章に突入!舞台は「大坂の陣」へと移ってまいりましたね! 私の大好きな武将の一人でもある真田幸村こと信繁。彼の人生の終焉の地となった大阪ゆかりの地を改めて歩いてみました。現在、街はすっかり変ってしまって当時を偲ばせるものはなくなってしまいましたが、地域の方々が、豊臣家に忠義を誓い散った信繁の武士としての誇りを今なお守り、敬愛している様子はそこかしこで感じられます。 「真田丸」とは、慶長19年に勃発した大坂冬の陣の際に信繁が築いた大坂城南にあった出城(砦)。 難攻不落と言われた大坂城でしたが、唯一の弱点である城の南…上町台地と言うところに東西180mの三日月形の出城が築かれ、これを<真田丸>と呼んだのだそうです。攻め寄せて来た徳川勢の先鋒隊に鉄砲で迎え撃ち、大打撃を与えたのちに追撃し見事、勝利を勝ち取ります。この武功により、真田信繁の名を天下に知らしめることになったそうです。 「真田、日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と称された大坂の陣での信繁の足跡をご一緒に感じていただければ幸いです。
歴史好きにとって司馬遼太郎記念館はどうしても行きたい場所です。その数々の作品を書くためにどれだけの資料にあたっていたかを体感できます。今回は、同時に司馬遼太郎作品に登場する大坂の中心的舞台「大坂城」「真田丸」「適塾」を組み合わせてプランにしてみました。
まいどまいど! たこ焼き・お好み焼きに代表される大阪名物。 大阪はそれだけやのうて、お笑いや商人の町でもあるんやね。 毎年1月10日になると、十日戎っちゅうて、9日から11日にかけての3日間、関西各地でお祭りが開催されますねん。 笹を持ち歩き、商売繁盛を願って、恵比須様のいてはる神社へ集まりまんねやけど、恵比須様のことを関西では、「えべっさん」と呼び、古くから親しまれてきました。 「えべっさん」は今宮戎だけやのうて、堀川戎、野田戎などが有名でんねんけど、もう一つ、全国に広まったものがありまんな。 それが、恵方巻。 節分の日に神様のいる方角を向いて食べると願いが叶うとされ、元々は、商売繁盛を願った大阪・船場で働く商人からはじまりましてん。 っちゅうことで、あれやこれやと歴史がありまんねやけど、十日戎や節分以外にも、楽しみ方がいろいろおまして、七福神をめぐってみるのも、どないですやろ? 大阪市内では恵比須様の他にも、大黒天様、毘沙門天様、弁才天様、福禄寿様、寿老人様、布袋尊様の七福神が宿っています。 大阪がこれまで発展してこれたのも七福神のおかげ。 七福神のご利益にあやかりまひょ!
まいど! 冠位十二階、十七条の憲法を制定した皇族で政治家の聖徳太子。 「ホンマは架空の人物では?」との説もあるが、大阪市内では、日本最古の仏教寺院として知られる四天王寺の建立に携わり、周辺の勝鬘院や全興寺、堂島薬師堂の社伝にも聖徳太子という名が刻まれ、大阪府下では河内三太子、関西地域では太子建立七大寺と呼ばれる寺院仏閣が残るなど、広い範囲に影響力を持っていた。 また、実際に大阪市内を歩くと、戦勝を祈願するために訪れたとの説が残る神社が今も鎮座していたり、桃ヶ池大蛇を退治し、舎利尊勝寺で子供を助けたなど、興味深い数多くの素顔を見ることができる。 聖徳太子は、皇族で政治家であったため、地域住民から意見を聞く機会があった。 一般的には、豊聡耳を特技として、多くの人から多くの意見を聞き、後に的確な回答を行った為、機転がきく性格と考える。 さて、これだけ数多くの伝説を大阪の地に残し、大阪府南河内郡太子町の叡福寺で古墳を築造させて埋葬されたことから、奈良県の斑鳩で法隆寺を創建した以上に、大阪を愛し、大阪との縁を深めたと推測される。 今も謎多き聖徳太子の伝説をあなたの目で確かめてみませんか。
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