高杉晋作のひょうたん井戸
山口県下関市伊崎町1丁目8-7長州藩は幕府の征討軍に屈した(第一次長州征伐)後、親幕府派の俗論党が政権を握った。
1864年、高杉晋作は乾坤一擲の武力による奇襲攻撃によって政権を奪い返し、再び倒幕路線に。
高杉は下関を開港させ、横浜港ような港を目指して、対幕府戦に向けて経済力を高めようとした。
藩内には攘夷に固執する勢力が存在し、この計画が洩れた途端、高杉を討つべく暗殺団が結成され、高杉やその一派である伊藤俊輔、井上聞多らに狙いを定めた。
高杉は下関で潜伏生活を強いられ、愛人おうのを連れて長州を脱出。
琴平の日柳燕石を頼り、四国で過ごした。
ひょうたん井戸は下関潜伏中に丸1日、刺客から身を隠すために潜んでいた井戸である。