洲本城
兵庫県洲本市小路谷1272別名、三熊城。
1526年、三好氏の重臣・安宅治興が築城。
養子・安宅冬康(三好長慶弟)、長男信康、二男清康が受け継いだ。
1581年、淡路討伐の際、羽柴秀吉に降り、城は仙石秀久に与えられた。
秀久は九州征伐の際に軍律違反を犯して高野山へ追放され、脇坂安治が城主となった。
石垣の大改修の際、倭城での経験から「登り石垣」が築かれた。
江戸時代、姫路城主池田輝政の三男忠雄が領主になった際に廃城となり、岩屋城、由良成山城に居城。
大坂夏の陣後、徳島藩の蜂須賀氏の所領となり、筆頭家老の稲田氏一族が由良城代となるが、由良城を廃して洲本城に移した。