加藤嘉明公騎馬像
愛媛県松山市大街道3丁目8-22
安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した武将、大名。
豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍・七将の1人。
伊予松山藩および陸奥会津藩初代藩主。
1563年、愛知県西尾市で松平家康の家臣、加藤教明の長男。
三河一向一揆で父が一向一揆勢に加わって家康に背き、敗れて流浪の身に。
近江国で父は長浜城主・羽柴秀吉に仕えて馬の行商を手伝った。
幼少ながら優れた資質があると加藤景泰(加藤光泰の父)に見出され、秀吉に推挙。
秀吉は嘉明を養子羽柴秀勝の小姓として仕えさせるも播磨攻めで秀勝に従軍。
初陣前の主君を差し置いて小姓が初陣を遂げようとするとは何事かと激怒するも嘉明の意欲を逆に評価して直臣とした。