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京阪百貨店 守口店
大阪府守口市河原町8-31918年、網島より、守口車庫と車両工場を移設、竣工。 1972年、守口から寝屋川までの信号所間の複々線高架化に伴い、車庫と車両工場を寝屋川市へ移設し、撤去した。 跡地には、京阪百貨店、駅前広場「カナディアンスクエア」が整備された。
太子橋中公園
大阪府大阪市旭区太子橋2丁目7-8季節になると桜が満開となり、花見客でにぎわっている。 また、1日限定で「太子橋さくらまつり」が開催される。 かつてこの付近は、豊里町・橋寺町と呼ばれていた。 聖徳太子(豊里太子)が寺院を建立するため、この地に立ち寄り、休息したと伝わる。 一説によると、この付近には橋寺が建立されていたという説があり、聖徳太子ゆかりの地として注目を浴びる。
守口宿本陣跡
大阪府守口市竜田通1丁目7-5江戸時代、宿場「守口宿」として栄えていた。 守口宿は、大坂を出て最初の宿場であり、東海道五十七次の57番目に数えられる。 1616年、大名・幕府役人・勅使・宮門跡等が宿泊する公認の宿舎に指定された。 守口宿から枚方宿へは馬継ぎ、舟運等、移動手段がなく、徒歩で移動していた。 淀川の舟運が発展していくにつれ、宿場は衰退したが、清滝街道(現在の国道163号)の分岐点であったため、旅籠や茶屋が建ち並んだ。 特産物は、守口漬。 周辺は淀川左岸の堤防「文禄堤」など宿場町の名残を今に伝える。
難宗寺
大阪府守口市竜田通1丁目5-21477年、蓮如上人が「守口御坊」を創立。 1611年、本願寺掛所となり西御坊となった。 1810年、石清水八幡宮護国寺仮堂の古材を利用して再建した。
盛泉寺
大阪府守口市浜町1丁目2-61606年、教如上人を開基として、創建。 大坂夏の陣の兵火に遭って焼失し、本堂を再建。 大塩平八郎が大阪西町奉行所与力「内山彦次郎」に宛てた手紙が保存。 大政奉還後、王政復古の大号令。 鳥羽伏見の戦いが勃発、薩長軍が勝利を収め、大久保利通氏は、大阪を首都とする大坂遷都白書を提出。 京都府から猛反対に遭い、大坂御幸に変更。 京都から大阪に移動した明治天皇は難宗寺(大阪府守口市)にて一泊、盛泉寺にて内侍所(賢所)を置き、大阪府が首都となる。 日本の近代郵便制度の創設者で政治家・前島密氏が東京遷都論を提出。 天皇は大阪から東京へと移動したが、京都府は反対し、東京遷都論は、正式に採用された。
高瀬神社
大阪府守口市馬場町1丁目1-11祭神は、天之御中主神。 聖武天皇の勅願により行基が高瀬里に鎮座した。 行基は高瀬付近で高瀬川(旧淀川)に架けた高瀬大橋とその橋を管理する高瀬橋院を建立。 高瀬川は、古歌にもうたわれ、平安時代には高瀬の淀、江戸時代には守口川とも呼ばれていた。 南北朝時代、足利氏と楠木氏の戦場となった。 応仁の乱では畠山氏、三好氏などの同族争いの場となった。 1570年、三好3人衆が四国より侵入、織田信長に味方した三好義継、畠山昭高らを攻めた。 1574年、佐久間信盛が河内の三好氏、一向一揆勢と戦った。 高瀬神社、高瀬寺が荒廃する。 江戸時代中期、高瀬神社が再興。
パナソニックミュージアム 松下幸之助 歴史館
大阪府門真市門真1006歴史館からリニューアル。松下幸之助と松下電器(パナソニック)の歴史に触れる「松下幸之助歴史館」と過去から現在までのパナソニック製品が展示されている「ものづくりイズム館」。いろんな企画展示や子供が楽しめるワークショップなどの企画もあったりしますし、スーベニアショップではナショナル坊やのグッズなどもあるのでこれまた欲しくなったりします。
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