東京の東側には、昔からある老舗のお店がたくさんあります。 特に和菓子屋さんは、浅草をはじめとし、東側に集中して美味しいお店がたくさんあります。 神社仏閣も町中にあるので、観光しながら食べ歩きするのに最適のエリアです。 ぜひ、次の休日は東京の東側で甘いもの巡りをしてみませんか? ※和菓子屋さんは日曜休みのお店がそこそこあるので、お出かけ前に営業日をご確認ください。
シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅。 その6橋目は台東区駒形と墨田区東駒形の間に架かる「駒形橋」です。 白鬚橋や言問橋のところでも出てきた「震災復興橋梁」9橋のうち内務省復興局が建造した6橋のひとつ。 都道463号線、通称「浅草通り」が上を通り、真っ直ぐ西へ進むと上野駅に突き当たります。 駒形橋界隈は水戸街道沿いにあったため、江戸時代の昔から繁華だった場所。 江戸中期までは蛍の名所としても知られていたとか。 浅草側にはどじょう料理、うなぎ料理、麦とろ飯の老舗が軒を連ね、江戸情緒を今に伝えています。 最寄りの鉄道駅は都営浅草線浅草駅で、ちょうど西詰の真下にあります。
シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅。 その4橋目は台東区花川戸と墨田区向島の間に架かる「言問[こととい]橋」です。 「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」 橋の名は平安時代の歌人在原業平が詠んだ、この和歌に因んだものとの説が有力です。 誕生のきっかけは大正12(1925)年の関東大震災。 隅田川に架かっていた木造橋の多くが崩落します。 復興計画の一環として「震災復興橋梁」という9つの鉄橋が造られました。 その9橋の中で言問橋は内務省復興局が建造した6橋(相生橋/永代橋/清洲橋/蔵前橋/駒形橋)のひとつです。 また、橋の両岸に広がる隅田公園も当時「震災復興公園」として造られました。 東へ行けば首都東京の新たなるシンボル「東京スカイツリー」。 西へ行けば昔ながらのマニアックな飲食店が軒を連ねる浅草観音裏。 過去と未来をつなぐ摩訶不思議な橋…それが言問橋なのです。
シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅。 その3橋目は台東区今戸と墨田区向島の間に架かる、隅田川唯一の歩行者専用橋「桜橋」です。 橋名は両岸の隅田公園が都内指折りの桜の名所であることに由来しています。 西詰は北に行くと“招き猫発祥の地”今戸神社、南に行くと“池波正太郎生誕の地”待乳山聖天。 橋の袂にある水門は山谷堀のもので、現在は暗渠化され上部は公園になっています。 江戸時代はお金持ちが小さな船で、この堀を通り吉原へ通っていたそうです。 東詰に広がるのは向島の料亭街。 とはいえ料亭はエクスペンシヴで、おいそれと立ち入ることなど能わず。 でも料亭街にありながらも気の置けない食べ物屋さんが、ひっそりと小径の陰に佇んでいたりします。 西詰も東詰も、落ち着いた下町情緒が味わえる大人の“橋”…それが桜橋なのです。
シリーズ「隅田川17橋クルージング」と題して、隅田川に架かる17の橋梁を一つずつ渡っていく旅を始めたいと思います。 その一橋目は荒川区汐入と墨田区鐘ヶ淵の間に架かる「水神大橋」。 鐘ヶ淵といえば池波正太郎の時代小説「剣客商売」の主人公、秋山小兵衛の隠居宅があった場所。 その名残は今も街の随所でシミジミ感じることができます。 また、汐入といえば「巨人の星」の主人公、星飛雄馬一家が暮らしていた場所。 星一徹がちゃぶ台をひっくり返していたあばら屋は、このあたりにある設定でした。 今では町の全域がひっくり返されたかのように再開発され、未来都市のようになっています。
現代美術専門の公立美術館、東京都現代美術館がある下町・深川にはギャラリーが集まっています。寺町としても知られており、新旧の文化が楽しめる地域です♪ 過ごしやすい気候の今、芸術に触れつつの下町散策をしてみてはいかがでしょうか?(^^)
蔵前ってなかなか行かないかもしれません。でも浅草も近いし、スカイツリーだって近い。両国もありますので相撲を観た後も近いのです。浅草やスカイツリーや大相撲観戦のデートやお出かけの帰りなどにお洒落なお茶したいとかBARで飲みたいってことだってあるでしょう。そんなとき、最近の蔵前はHOTです。いい感じの店が増えています。是非行ってみて下さい。
スカイツリーも良いですけど、あえてスカイツリーに向かわず月島を目指します。ガイドブックに良く出ている場所ばかり行ってもツマラナイですしねσ(^◇^;)
江戸時代の文化や花柳界のしきたりが色濃く残る向島をぷらぷら散策してみました♪この付近はスカイツリーの他にも魅力がたくさん。歩きやすい格好で探検するのがおすすめです。
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