日本橋案内人:魚河岸の棒手振り 茂吉/越後屋の奉公人 小太郎 天保12年(1841年) 午前4時。江戸の台所日本橋の商人たちの朝は早い。 日本橋のたもとにある魚河岸では今日も到着したばかりの魚が次々と卸されている。 まだ日が昇る前だというのに、良い魚を仕入れようと魚桶二つを棒に引っ掛けた棒手振りでごった返している。 茂吉「どいたどいた!小僧、橋の上でぼさっとしてるんじゃないよ」 小太郎「し、失礼いたしました。伊勢に帰る駄賃を数えていたもんでして・・・」 茂吉「越後屋の丁稚かい?」 小太郎「へぇ。主人から暇をいただいて里帰りするんでございます」 お彩「すみません、旅の者ですが、お二人は日本橋近辺にお詳しいですか?ちょっとこの辺を案内して頂きたいのですが」 茂吉「俺は急いでるから、この坊主に頼んでくんな」 小太郎「わたしは越後屋で奉公している小太郎という者でございます。これから伊勢へ向かいますが急ぐ旅でもございません。付近をご案内して差し上げましょう」 お彩「越後屋にお勤めの方がご案内下されば心強いです!」 こうして茂吉と別れ、小太郎と共に日本橋巡りをスタートしたのでした。
川越は、昔の街並みが残る観光地として、最も都心から近い地点に位置しています。 都心から手軽に行くことができる川越を歩いて、気軽に昔へタイムスリップしてみませんか?
今や当たり前のように使われる「昭和レトロ」は青梅が発祥の地。都心から電車で約1時間の距離にありながら、昔懐かしい雰囲気を至る所に残しているのが、青梅駅周辺。昭和を感じさせる道具、建築物は、どれだけ見ても飽きることがありません。
昔、足袋作りが盛んだった行田市、今は靴下に押されて規模が縮小してしまいましたが、職人の技を残すべく博物館が作られ、当時使われていた足袋作り専用のミシンなどの展示及び職人さんに依る製作の実演が見学出来ます。
素材として土ではなく桐の粉を使用している岩槻人形。 その為も有るのか、少し郊外に行くと桐の木が目に入ります。 今回の散策では、ちょうど桐の花が咲く時期(5月上旬)だったので満開の桐を見ることが出来ました。素材としての桐は有名ですが、その花を知っている人は意外と少ないと思うので興味のある人は花の時期に散策してみるのが良いと思います。 岩槻の駅を出ると、再開発が進んでいて一見すると良くある最近の街並みに見えてしまいますが、そういった中、残された懐かしい物を探し求めて散策してみませんか?
ログイン