初代大坂船奉行所跡
大阪府大阪市此花区梅香1丁目26-121620年、江戸幕府は四貫島村に船奉行所を設置した。
西国諸国から大坂に向かう船は、伝法川から逆川を経て大坂市中へ向かったため、幕府は諸船の通行を吟味し、西国諸侯の動向を当地で監視したとか。
1684年、河村瑞賢が安治川を開削した。
1685年、多くの舟は安治川を出入りするようになり、出入りする舟の数が減少したため、四貫島と木津川口にあった船番所を廃止、新たに九条村本田の北端に、「川口船手奉行所」を置いた。
2011、六軒家川に架かる朝日橋のたもとに、碑を建立した。