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田蓑神社
大阪府大阪市西淀川区佃1丁目18-14祭神は、表筒男命、中筒男命、底筒男命、神功皇后である。 869年、田蓑嶋神社として鎮座した。 1868年、田蓑神社へと改称する。 1586年、この地に立ち寄った徳川家康は、多田神社(大阪府池田市)に参詣した。 1631年、田蓑嶋神社内に、徳川家康公が奉られることになった。
大物川緑地
兵庫県尼崎市東大物町1丁目18-125 南城内287昭和時代、九州や山口県で貨物列車として活躍していた蒸気機関車D51が展示されている公園。 春になると、桜が満開を迎え花見客でにぎわうとか。 また、謡曲「船弁慶」のゆかりの地として知られ、源義経と静御前の別れの場として登場する。 毎年8月には野外能舞台で「尼崎薪能」が開かれる。
ユニチカ記念館
兵庫県尼崎市東本町1丁目501900年、「尼崎紡績会社(現在のユニチカ)」の本社事務所として建設。 設計は日本人によるもの。 赤煉瓦はイギリスからの輸入品であるとか。 また、尼崎市は、兵庫県の一部として知られているが、市外局番は大阪市と同じ「06」を使用、通話料金も大阪府扱い。 ただし、西日本電信電話の事業区域では兵庫県扱い。 この理由は、尼崎市も大阪市内と同じ通話料金で利用できるようにとの配慮で、日本電信電話公社に、工事費の一部として電信電話債券を引き受け、大阪市と同じ市外局番になった。 また、大阪市までしか通っていなかった電話を「どうしても尼崎まで通してほしい」とユニチカは、自費で電話線をひいたとか。
住吉神社
大阪府大阪市西淀川区大和田5丁目20-20祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命、気長足姫尊。 1320年、勧請。 付近の漁民や舟行安全の守り神として信仰を集めた。 1910年、沢の宮の八幡神社を合祀。 1911年、1688年の出来島開発の際に勧請された皇大神宮社を合祀。
残念さんの墓
兵庫県尼崎市杭瀬南新町4丁目9-13 杭瀬東墓地内長州藩士山本文之助の眠る墓。 1864年、文之助は禁門の変(蛤御門の変)に従軍するも、薩摩・会津の軍勢によって長州藩が敗北。 京都からの敗走途中、大物の城下町北の口門で尼崎藩に捕らえられ、取調中に自決。 墓は尼崎藩が建てたが、当時の「長州びいき」の流行から大坂からの参詣人が押し寄せた。 死に際に「残念、残念」と叫んだと言うので、「残念さん」と呼ばれるようになったという。 長州藩と取引のあった尼崎の商人油屋喜平(長尾家)の世話で建立。 今では「1つだけ願いを叶えてくれる」と言われ、近隣の信仰を集めている。
小田南公園
3chome-3 Kuiseminamishimmachi, 3丁目-3 杭瀬南新町 尼崎市 兵庫県 日本軟式野球場や多目的広場などがある総合公園。 2025年、プロ野球・阪神タイガース二軍は兵庫県西宮市内にある阪神鳴尾浜球場の老朽化に伴い、本拠地球場及び練習場が移転。
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