三島2丁目13
大阪府摂津市三島2丁目13明善寺(三島2丁目)4代目・馬場崎右衛門正義は武勇・知謀共に群を抜き、本願寺側の軍師となった。
石山合戦の戦いで、本願寺と織田信長による和睦が成立した。
その後、信長は顕如の子・教如の檄文に呼応した正義を討伐するために、丹羽五郎左衛門長秀の率いる3千騎を明善寺のある味舌に向かわせた。
それを知った正義は、止々呂美村(箕面市)に逃げ、家臣の木下勘兵衛が正義の身代わりとなって戦い、討ち死にした。
難を逃れた正義は、後に味舌に戻った。
これを知った本願寺の教如は、木下家に本尊を贈った。
木下家では「身代わり本尊」と呼んでいる。