鉄道ファン必見!満開の桜と一緒に記念撮影しよう!
大阪鉄道ファン必見!満開の桜と一緒に記念撮影しよう!
まいどまいど! 春が来た! 今回は、鉄道ファン必見! 満開の桜と新幹線が一枚になった写真を撮影しまへんか? 場所は、大阪府門真市と大阪国際空港がある大阪府豊中市とを結ぶ大阪モノレールの「摂津」または「南摂津」が最寄駅。 大阪モノレールは現在、日本最大。 2011年まで世界最大の営業距離を持つモノレールとしてギネス世界記録に認定されてたんやで♪ この他にも、鉄道との縁は深く、東海道本線または阪急電車が走り抜ける。 そんな中、摂津市には、東京と新大阪を結ぶ東海道新幹線の鳥飼車両基地があり、その車両基地の隣には、自然豊かな新幹線公園が整備されてまんねん。 なんと、車両が展示され、一部では一般開放。 桜が満開を迎える時期になると、記念撮影を楽しむ人でにぎわう。 そして、新幹線公園周辺では、ツール・ド・大阪せっつウォーキングコースで摂津市を楽しもう! ここではウォーキングコース「北コース」と「南コース」が設定され、淀川に面した摂津市ならではの緑と川を意識した内容が魅力となってまんねん。 この他にも、ここでは、伝えきられへん魅力がいっぱい! ほな、これからゆっくり皆さんにご案内しまひょ!
新幹線公園では、新幹線車両と電気機関車が展示されている。 また、付近には、季節になると桜が咲き、花見客などでにぎわう。 新幹線車両は、1969年に製造され、東京―福岡間を走り、1984年にその役目を終えた。
電気機関車
1954年に製造され、貨物用として稼働し、1983年に廃車となる。
鳥飼車両基地
目の前には現役の車両が並ぶ。
900年代、当時の牧は皇室の科馬を供給する御牧(勅使牧)、兵馬・用役牛の飼育を目的とする諸国牧(官牧)、都(京都)の周辺に設けた近都牧の3種類に分けられていた。 牛馬は、ひき牛や乗馬用として利用され、都では大宮人にとって牛や馬は重宝されていた。 鳥養牧は六牧あった近都牧の一つで諸国から運ばれた牛馬を飼育し、必要に応じて都にひいてこさせるために設けた牧である。
一津屋渡し跡
別名、宮ノ下渡し跡。 江戸時代、この周辺には、「上の渡し」「中の渡し(五尺渡し)」「下の渡し(仁和寺渡し)」「西の渡し(三本松渡し)」「一津屋渡し(宮ノ下渡し)」があった。 1937年頃、手漕ぎ船から発動機船に代わった。 1947年以降、木造の橋が完成し、「渡し」は廃止。 1954年、鳥飼大橋は、ゲルバートラス形式の鋼橋となった。
古くから鳥飼農地帯は浸水しやすく、大雨に悩まされてきた。 農地を悪水から守るため越石米の負担など大変な苦労を重ねてきた。 明治時代、、堤防工事が施工。 当時、堤防工事には沿岸の農民が労働者として参加した。 主に男性はトロッコ押し、女性は千本つきを行った。 千本つきとは地固め作業の一つで、長さ約1m半に棹をもって堤防上に並び、棹をおろしてつき固めていく。 「調子がござる 足と手と口 三拍子」。
古くから淀川を渡るための治歩多渡しと願正寺渡しが運航。 1614年、片桐且元が、大坂冬の陣を前に家臣とともに大坂城を退き茨木城(茨木市)へ入った。 その時に、この鳥養の渡しを利用したと伝えられる。 大正時代、鳥養の渡しとして合併。 明治時代、民間が運営。 昭和時代、大阪府が管理運営したが、1954年に鳥飼大橋の完成、1975年に淀川改修工事を介したことに伴い、休航。 淀川最後の渡しとなった。
1992年、厚生労働省の国民健康保険健康対策モデル事業として始まった。 生活習慣病予防と健康づくりのため、ウォーキングコースを大阪府内に設置。 摂津市では、川辺とわがまち「北コース」と「南コース」の2つに分かれている。
北コース
かわべとわがまち北コース。
目で楽しむ。
足元には、ウォーキングコースの目印として、埋め込まれている。
古くから周辺の鳥飼農地帯(約400ha)は浸水しやすく、大雨に悩まされてきた。 淀川右岸低湿地にあたり、大雨のたびに湖のようになった。 村人たちは農地を悪水から守るため越石米の負担など大変な苦労を重ねてきた。 1651年、悪水を排除するための治水事業を開始した。 1922年、「三ツ樋」の改築。 1927年、悪水路の改修を行った。 「三ツ樋」とは、悪水の排除路の総称である。 各地域から集まってきた悪水を樋門4ヶ所から放水し、鳥飼悪水井路、摂津市別府、吹田市岸辺を経て神崎川に流していた。
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祭神は、舎人親王、菅原道真。 舎人親王を京都府に鎮座する藤森神社より勧請した。 周辺の鳥飼農地帯(約400ha)は浸水しやすく、大雨に悩まされてきた。 淀川右岸低湿地にあたり、大雨のたびに湖のようになった。 ある年神輿が吹田市に流れたことから、御旅所を高浜神社の境内に置いたという。 1577年、社殿を建築。 明治時代に合祀した旧三本松天神社は太宰府に左遷された菅原道真が赴任の途中、鳥飼の地に船を着けた。 食後、自ら楊枝松を植え、「もし若葉を生ぜばこれ帰洛の兆なり」と言われた。 後に生育して3本の幹に分かれ、里人がここに社殿を造営して菅公を祀った。
大正時代から昭和時代にかけて活躍した漫才師の一人。 摂津市出身として知られる砂川捨丸氏は、「漫才の骨董品」と呼ばれた。 1923年、砂川捨丸・中村春代としてコンビを結成した。 舞台では、ハリセンを用い、中村春代氏が砂川捨丸氏を叩き、演じ続けた。 また、串本節を取り入れ、全国に広めた功績を持っている、 上方漫才大賞特別賞、大阪府民劇場賞を受賞した。
1960年代まで、湿田地帯で、周囲には、井路(いじ)と呼ばれる水路が張り巡らされていた。 刈り取った稲などを載せた舟が行き交い、農道の役目を果たしていた。 井路を行き来していた「井路舟」は、肥料や収穫した稲などの運搬に使用されていた。 船底は浅く平らであるのが特徴で、乗船の場合は、櫂棒で水路底や土手を押して進み、荷を載せる時、人は乗船せず、綱をつけて水路わきの畔から引っ張っていたと言う。 その後、道路が整備され、やがて、姿を消した。 現在、展示されている井路舟は長さ680cm、幅140cm。
明善寺(三島2丁目)4代目・馬場崎右衛門正義は武勇・知謀共に群を抜き、本願寺側の軍師となった。 石山合戦の戦いで、本願寺と織田信長による和睦が成立した。 その後、信長は顕如の子・教如の檄文に呼応した正義を討伐するために、丹羽五郎左衛門長秀の率いる3千騎を明善寺のある味舌に向かわせた。 それを知った正義は、止々呂美村(箕面市)に逃げ、家臣の木下勘兵衛が正義の身代わりとなって戦い、討ち死にした。 難を逃れた正義は、後に味舌に戻った。 これを知った本願寺の教如は、木下家に本尊を贈った。 木下家では「身代わり本尊」と呼んでいる。
水循環再生下水道モデル事業として、利水や治水の役割を終えたガランド水路に下水処理水を流すことで、かつての「せせらぎ」を復活させたもの。 また、水路を整備しただけでなく、植栽や遊歩道、四阿(あずまや)などを設置した。 ガランドとは、その昔、この水路の上流にあったお寺の伽藍に由来し、「伽藍堂」とした。
井戸跡
付近にはかつて利用されていた井戸の跡がある。
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1570年、本願寺(大阪市中央区)と織田信長による石山合戦が勃発。 本願寺の末寺である勝久寺の住職頓恵や百姓らは、摂津・河内・和泉の僧俗と、石山本願寺にたてこもった。 1580年、本願寺と織田信長は和睦により終結した。 顕如の石山本願寺退去に伴い、戦いに加勢した住持・門徒も帰村した。 顕如の子、教如が徹底抗戦を呼びかけ、勝久寺門徒はこれに呼応した。 安堵の思いで勝久寺に集まり、法話や読経を行っていたところ、不意に信長軍が来襲、本堂を焼き払い、多数の門徒たちを殺害した。 寺の前方を流れる境川は古戦場「流れの馬場」として伝えている。
1504年、三宅出羽之守國政が三宅城を築城。 1547年、細川晴元は総勢力を投入、三宅城を包囲。 三宅出羽之守國政は降伏。 城の広さは、東西約576m、南北約540m。 防御施設である逆茂木を設置、大手・二の木戸を構えていた。 1562年、城主の香西元成が三好長慶との争いに破れ、落城。 三宅氏は、国人(その地域一帯を実力で支配する地侍。守護大名の家臣となり、手下の足軽(雑兵)を率いて、戦争の実働部隊となるが、三宅国村・長清の兄弟は、主従関係を次々と変えた)であった。 三宅城の落城の際、国村・長清は自害、国村の子供達は、出家した長女は康阿比丘尼と名乗り、草庵「防風庵」で暮らしていた。
700年代、行基が紫雲霊光を目指してこの地に訪れた。 老翁から「精舎を建てなさい」と言われ、行基自ら薬師如来を彫刻、放光山昧舌寺と号した。 賊徒の蜂起に村民が悩まされていたとき、殿内より数千の蜂が出現して退治した。 これにより霊蜂山蜂前寺と改称した。
境内の雰囲気
別名、味舌寺、蜂前寺とも呼ばれる。
1986年、摂津市が市政施行20周年を記念して開園。 公園は北、中央、南の3か所から構成されている。 北ゾーンは、梅林や木製遊具が設置されている。 中央ゾーンは、広場が設置され、野外コンサート、ゲートボールなどが楽しめる。 南ゾーンには、建設当時、日本最大規模のアーチ型カリヨン、被爆石のモニュメントを設置している。 高さ約9mのカリヨンには14個の鐘が取り付けられ、午前8時・正午・午後5時に音楽を演奏する。 通称、平和の鐘と呼ばれている。
広島の被爆石
高さ約40cm、幅1.6mの被爆石が設置されている。 この被爆石は、爆心地から南に約1kmに位置していた広島市役所旧庁舎の前庭に使用されていた敷石で、広島県広島市から譲り受けた。
扉を開けると、寒い冬の真っただ中に熱気に包まれた。 店内には、カウンター席とテーブル席があり、その両方には鉄板。 そして、大阪の名物はお好み焼きとたこ焼き。 そのお好み焼き、たこ焼きが定食となって、ランチタイムに登場。 今回注文したのは、たこ焼き定食。 たこ焼きと一緒に出てきたのは、ご飯と味噌汁とドリンク。 ドリンクは、アイスコーヒーをはじめ、各種、選ぶことができる。 もちろん、大阪のお店らしく、お好み焼き定食もあり、たこ焼き定食と同様に、お好み焼きとご飯、味噌汁がついてくる。 予算は、~1000円程度。 う~ん、もっと食べたい! そんなあなたには、たこ焼き一個50円から販売中やとか。
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市の鳥「カルガモ」に「ハートマーク」。 緑豊かで環境に優しくとの願いを込めた。 摂津市の「セ」と幸せの「ハッピー」から命名。 大阪・御堂筋のイベント「御堂筋カッポ」のほか、摂津市の主なイベントに登場!