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関西が好っきゃねん
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道具が何でも揃う!?道具屋筋商店街と千日前

道具が何でも揃う!?道具屋筋商店街と千日前

まいど! 大阪にはキタ、ミナミと呼ばれる二大繁華街を擁し、その一つの難波駅を中心とするミナミ。 ミナミは、北船場から発展したキタとは対称的に南船場から発展した日本最大規模を誇る繁華街で、今では南船場、心斎橋、難波、道頓堀を中心としたエリアとなってまんねん。 せやけど、心斎橋、難波、道頓堀のそれぞれに、魅力がたっぷりで、一度に全てをご紹介することはできまへん。 っちゅうことで、今回は、大阪市中央区難波から千日前に範囲を絞って、細かいとこまで余すことなく、ご紹介できたらと思てまんねん。 ここには、百貨店の老舗として知られる高島屋をはじめ、昔ながらの商店街として南海通りや道具屋筋商店街などがひしめきおうてまんねん。 南海通りでは、飲食店が多いのが特徴やねんけど、道具屋筋商店街は、業務用の調理器具や什器など何でも揃いまんねん。 その他、なんばCITYやマルイなど大型商業施設が点在。 そして、南海電車、近畿日本鉄道、地下鉄など主要駅に直結しているため、雨の日でも便利な地下街NAMBAなんなん、なんばウォークもオススメでおまんにゃわ~。 ほな、あきんどの街・大阪をとことん、見学していきまひょ!

関西が好っきゃねん
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日本橋で秋葉原

日本橋で秋葉原

まいどまいど! 東京・秋葉原に並ぶ人気観光地の一つっちゅうたら、大阪・日本橋でんな。 正式には「にっぽんばし」と呼びまんねやけど、ここでは電化製品を中心とした機械・電気を取り扱う店舗が多く、また、その周辺では漫画・アニメ・ゲームなどを取り扱う店舗が集まってまんねん。 その中でも、「おかえりなさいませ」「ご主人様」などとメイド喫茶などが多く、オタクのメッカともなってまんねん。 その他、新鮮な野菜や果物、魚介類などが集まる黒門市場は人気観光地の一つとなり、海外からの観光客もぎょうさん押し寄せてはります。 また、難波界隈は伝統芸能の文楽の街としても知られ、日本橋駅前には国立文楽劇場があり、ここにもぎょうさんのファンが訪れてはります。 最後に、幸せが訪れると評判の大阪七福神の一つがここ日本橋にあり、初詣などで参詣に訪れる人の姿も。

関西が好っきゃねん
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長居公園で楽しむ家族の団らん。玉子サンドをお土産に

長居公園で楽しむ家族の団らん。玉子サンドをお土産に

まいど! 大阪市東住吉区にある長居陸上競技場といえば、プロサッカーチーム・セレッソ大阪のホームグラウンドでんな。 サッカーを楽しむ人も多いですが、そんな長居陸上競技場にて2007年、世界陸上競技選手権大阪大会が開催されました。 開催期間中は多くの外国人観光客でにぎわい、脚光を浴びました。 このほか、長居陸上競技場がある長居公園には自然史博物館、植物園があるなど、週末になると多くの観光客でにぎわいます。 付近にある駒川商店街は天神橋筋商店街(大阪市北区)、千林商店街(大阪市旭区)と並ぶほどの人気と活気があります。 その商店街では最近、玉子サンドが注目を浴び、テレビなどのメディアに取り上げられ、さらなる人気となりました。 これらから、サッカーの「スポーツ」、商店街の「商売」というイメージが先行しがちですが、遺跡が発掘されるなど、実は、歴史的にも重要で貴重な街であるといえそうです。 区内では古くから続く、神社や寺院が数多く残り、現在も信仰を集めています。 大阪・梅田界隈、難波・道頓堀、天王寺・阿倍野界隈だけやない大阪の下町らしさをぜひ体感してみてください。 ほな、まいどおおきに~!

関西が好っきゃねん
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なにわのえべっさんに会いに行こう!

なにわのえべっさんに会いに行こう!

まいどまいど! 関西を代表するお祭りの一つといえば、やっぱり十日戎でっしゃろか。 十日戎とは毎年1月9日から11日にかけての3日間、恵比須様に笹を奉納して一年の商売繁盛を願う。 関西では恵比須様のことを「えべっさん」と呼んで古くから親しまれ、福娘も選考会により選任されまんねん。 また、付近に鎮座する廣田神社も興味深く、神使は、アカエイ(アカエ)。 叡知の“エイ”に通じることから合格・必勝の祈願を叶えるといわれ、信仰されてはんねやて。 その他、グルメでは木津卸売市場がおすすめでんな。 通称、卸売市場っちゅうたら、セリなどが行われ、一般が立ち入ることは難しいが、ここでは横丁が開設され、居酒屋や定食屋などが営業。 一般でもお酒を片手に、新鮮な野菜や果物、魚などを味わうことができまんねん。 まあせやけど、通常は市場で営業時間がばらばらなので、お目当てのお店がある場合には注意が必要でんな。 さらに大阪ではカレー鍋発祥の地として知られ、中央区南船場に本店を。 ほんで浪速区にはその姉妹店が登場し、話題を集めてまんねん。 大阪にはたこ焼きやお好み焼きなどが有名でんねんけど、カレー鍋も味わってみて~。

徳風学校跡
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徳風学校跡

大正時代、大阪は世界で6番目の人口を抱え、煙の都「東洋のマンチェスター」との異名を持つほどの経済発展を遂げていた。 その一方で、都市部に貧困層を生み出し、そこに住む子供たちから教育の機会を奪っていた。 貧困層の子供たちを救済するため、篤志家や慈善団体により徳風・有隣・愛染橋などの学校を設立。 1911年、当時の南区難波警察署長・天野時三郎氏の発意を受けて、久保田鉄工所の創業者・久保田権四郎氏が学校経営費を拠出し、徳風学校を開設。 校名は論語の「君子の徳は風、小人の徳は草」に由来。 当初、授業は夜間に行われた。 1913年、昼間部を置く。

なんば木津まち横丁
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なんば木津まち横丁

2013年、木津卸売市場内に「なんば木津まち横丁」がオープン。

木津勘助の像
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木津勘助の像

1586年、神奈川県相模生まれ。 本名、中村勘助。 豊臣秀吉に仕え、土木技術者として堤防工事や新田開発に尽力。 1639年、木津川を開削。 近畿一円が冷害に見舞われ大飢饉の様相を呈したとき、大阪城の備蓄米の放出を願い出たが、断られたため、私財を投げうって村人に分け与えた。 その後、お蔵破りを決行し、飢饉に苦しむ人々に施した。 1660年、お蔵破りの罪で葦島(大正区)に島流しになったと言う。

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豊臣秀吉も愛した天下茶屋

豊臣秀吉も愛した天下茶屋

まいどまいど! 駅前には昔ながらの雰囲気漂う商店街。 そして、大阪市西成区内各地に点在する近代建築物が話題を呼んでいる。 日雇労働者の町としてにぎわっていたあいりん地区(大阪市西成区)。 高度経済成長期の日本を長らく支えてきたが、バブル崩壊と同時に様相は一変。 日本を代表するディープスポットへと変貌を遂げていた。 最近では、交通アクセスの良さと比較的低価格で宿泊できる宿泊所が人気を呼び、低予算で個人旅行を楽しむバックパッカーが世界中から増えており、街では旅行鞄を持って歩く若い観光客でにぎわう。 そんな西成区も古くは、豊臣秀吉が住吉大社に向かう旅の途中でお茶を楽しんだ屋敷や茶室があったことから、天下茶屋と呼ばれ、やがて地名になった。 天下茶屋は、豊臣秀吉と縁の深い千利休の師匠・武野紹鴎ゆかりの地としても知られている。 その他、市民の憩いの場として愛されている天下茶屋公園には阿倍寺があったとされ、かつての遺構が残されているなど、歴史的にも文化的にも興味深く感じるはず。 今回は一歩踏み込んだ西成区の魅力をご紹介していきまひょ!

関西が好っきゃねん
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長居公園で楽しむ家族の団らん。玉子サンドをお土産に

長居公園で楽しむ家族の団らん。玉子サンドをお土産に

まいど! 大阪市東住吉区にある長居陸上競技場といえば、プロサッカーチーム・セレッソ大阪のホームグラウンドでんな。 サッカーを楽しむ人も多いですが、そんな長居陸上競技場にて2007年、世界陸上競技選手権大阪大会が開催されました。 開催期間中は多くの外国人観光客でにぎわい、脚光を浴びました。 このほか、長居陸上競技場がある長居公園には自然史博物館、植物園があるなど、週末になると多くの観光客でにぎわいます。 付近にある駒川商店街は天神橋筋商店街(大阪市北区)、千林商店街(大阪市旭区)と並ぶほどの人気と活気があります。 その商店街では最近、玉子サンドが注目を浴び、テレビなどのメディアに取り上げられ、さらなる人気となりました。 これらから、サッカーの「スポーツ」、商店街の「商売」というイメージが先行しがちですが、遺跡が発掘されるなど、実は、歴史的にも重要で貴重な街であるといえそうです。 区内では古くから続く、神社や寺院が数多く残り、現在も信仰を集めています。 大阪・梅田界隈、難波・道頓堀、天王寺・阿倍野界隈だけやない大阪の下町らしさをぜひ体感してみてください。 ほな、まいどおおきに~!

南田辺本通商店街
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南田辺本通商店街

駅からも近く、付近には、学校があるので、通勤・通学客や主婦などでにぎわっている。 飲食店をはじめ、雑貨店など数多くの店が立ち並ぶ。

法楽寺
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法楽寺

真言宗泉涌寺派の大本山。 山号は紫金山、院号は小松院と称する。 通称、「たなべのお不動さん」と呼ばれている。 毎月28日は、不動明王の縁日。 境内には、本堂や大師堂、三重塔、水掛不動尊、小坂奇石記念館がある。 その他、鐘楼や樹齢推定800年を超えるクスノキがある。 源平の戦乱の頃が起源である。

大阪市中央卸売市場 東部市場
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大阪市中央卸売市場 東部市場

大阪市東住吉区にある市場。 東部市場には、青果、水産物、加工食料品などが揃う。 この市場は、大阪市中央卸売市場の一つである。

北田辺商店街
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北田辺商店街

大阪市東住吉区にある商店街。 1962年、近畿日本鉄道北田辺駅の開業後、振興組合が設立された。 その後、カラー舗装やアーケードが設置された。 通称、「ファミリー北田辺」と呼ばれている。 主に、飲食店や雑貨店などが立ち並ぶ。 最近は、「いきいきスタンプ」が導入され、話題となっている。 いきいきスタンプとは、購入額100円ごとにシールが一枚配布され、シールをすべて張り終えると加盟店で300円の買い物ができると言う。 また、毎年8月になると、「北田辺フェスタ」が開催される。 このイベントは、夜店やステージを楽しむことができ、約15000人の来場者でにぎわうと言う。

開高健文学碑
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開高健文学碑

大阪市東住吉区に設置されている文学碑。 大阪市天王寺区で生まれ、大阪市東住吉区で育つ。 大阪府立天王寺高等学校や大阪市立大学法文学部法学部に入学。 大学在学中、谷沢永一主宰の同人誌『えんぴつ』に参加し、詩人牧羊子氏と結婚。 その後、裸の王様で芥川賞を受賞し、輝ける闇や夏の闇などを執筆。 ゆかりのある神奈川県茅ヶ崎市に開高健記念館が開設された。

桑津今川堤跡
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桑津今川堤跡

江戸時代、今川に沿う堤には、約4kmに渡って「はぜ」が植えられていたと言う。 季節になり紅葉が旬を迎えたころ、大念仏寺への道筋にもあたるので、名物の「桑津のしんこ餅」の売店が並びにぎわっていたのだとか。 この他、付近には「平等堤」の名もあったと言う。

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★まち全体が博物館!平野郷まちぐるみ博物館に出かけよう!

★まち全体が博物館!平野郷まちぐるみ博物館に出かけよう!

まいどまいど! 皆さんは平野郷(ひらのごう)っちゅう場所をご存知でっしゃろか。 「え?郷って、何やねん?」。 そんな質問が聞こえてきそうですが、郷という言葉をわかりやすく表現するなら、代表的な例に白川郷がありまんな。 昔ながらの趣ある合掌造りが有名な白川郷は、岐阜県にあり、世界遺産にも登録された場所でんねん。 さて、平野郷とは、現在の大阪市平野区で、平野区の前身にあたります。 せやけど、平野郷は現在の白川郷とは大きく異なりまんねん。 平野郷は平安時代、自衛を目的に、町を堀で囲いました。 江戸時代に勃発した大坂夏の陣の際に荒廃した後、復興して以来の町並みをとどめています。 最近では「まちぐるみ博物館」と題して、老舗の新聞屋さんや駄菓子屋さん、自転車屋さんなどが中心となって、一般開放し、観光客を呼び込んでいます。 特に注目なのが、天国と地獄を身近に体験することのできる全興寺さんでんな。 地獄では閻魔さんの人形が展示され、鬼のような形相で来客を驚かせます。 今と昔が交差する不思議な町でおまっせ!

南海平野線西平野駅跡
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南海平野線西平野駅跡

大阪市にある南海電気鉄道の軌道路線である。 西成区「今池駅」から同市平野区「平野駅」までの5.9kmを結んでいた。 今池駅で南海阪堺線から分岐していた。

平野中央本通商店街
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平野中央本通商店街

大阪市平野区にある商店街である。 商店街には、飲食店や雑貨店などの店が立ち並ぶ。

含翠堂跡
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含翠堂跡

大阪市平野区にある碑。 1717年、土橋友直が創設した。 救済活動のほか、経書講読・国学・医学・算学等を教えた。 1872年、学制発布のため閉鎖、155年続いた歴史に幕を閉じた。 はじめ、庭の老松にちなんで老松堂と呼ばれていた。

平野郷町大阪市編入記念碑跡
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平野郷町大阪市編入記念碑跡

大阪市平野区にある碑。 古くは、摂津国住吉郡平野庄と呼ばれていた。 その後、大阪市に編入するまでの詳細が刻まれている。

平野環濠跡
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平野環濠跡

戦国時代、平野は堺と並ぶ自治都市であったいい、「平野郷」とも呼ばれていた。 自衛と灌漑・排水用あるいは洪水の調節池として、集落の周りを囲んでいたという。 完成時期など、詳細は不明である。 南北朝時代から平野郷は、大阪の主要都市を結ぶ中継点に当り、交通の要衝であった。 戦国時代、平野郷に住む住民は、町の安全を守るため、自治都市を創り上げた。

安藤正次墓所
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安藤正次墓所

1565年生まれ。 1615年、大坂夏の陣では、徳川秀忠に属した。 大坂城落城の直前、前田利常や本多康紀両軍に敵陣への攻撃を伝えた。 その後、数人の敵軍と遭遇した際、単身で戦った。 勝利を収め、賞賛されたが、平野郷願正寺にて療養中、自害した。

平野郷樋尻口門跡
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平野郷樋尻口門跡

戦国時代、自治都市であった平野郷。 その際、郷内の安全のため集落のまわりを濠で囲み(「環濠集落」)、郷への出入りは13ヶ所に設けられた木戸口を使って行われたと言う。 また、それぞれに門や地蔵堂があって平野十三口と呼ばれ、その中の一つに「樋之尻口門」があった。 そのときに架けられていたとされる樋之尻橋の名残がある。

樋尻口地蔵
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樋尻口地蔵

大坂夏の陣の際、徳川家康がここを通過すると予測した真田幸村は、ここに地雷を仕掛けたのだとか。 案の定、地雷が爆発したが、徳川家康は所用で席をはずしていたので、助かったのだとか。

畠山政長墓所
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畠山政長墓所

室町時代後期の武将・守護大名、室町幕府管領。 1442年、畠山持富の次男。 本姓は源氏。 政長の父である畠山持富は、畠山持国の嗣子に予定されていた。 持国は、庶子義就に継がせようとしたため、内紛が生じた。 持富の没後、政長の兄である畠山弥三郎が後継者となる。 弥三郎の没後、政長が後継者となった。 義就が管領に就任すると、山名持豊らが畠山義就を擁立して政長が罷免。 1467年、室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊らの守護大名争いが勃発し、応仁の乱となる。 政長は山城国の守護に任命。 守護領国制の導入を強行し、子孫にあたる細川政元らの反感を買い、山城国一揆へと発展。

久宝寺緑地 子ども広場
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久宝寺緑地 子ども広場

大阪市平野区の緑地公園である。 また、周辺にある八尾市や東大阪市をまたぐ。 服部緑地(豊中市、吹田市)や鶴見緑地(大阪市鶴見区、守口市)、大泉緑地(堺市)とともに「大阪四大緑地」に数えられる。 ここでは、「北エリア」「中エリア」「東エリア」の3つのエリアに分かれる。 また、それぞれに「ファミリーゾーン」「スポーツゾーン」「プレイゾーン」と呼んでいる。 公園内には、野球場、陸上競技場、テニスコート、プールなどの施設がある。 面積は、38.4ha。 1971年に開園した。

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