
豊臣秀吉も愛した天下茶屋
大阪豊臣秀吉も愛した天下茶屋
まいどまいど! 駅前には昔ながらの雰囲気漂う商店街。 そして、大阪市西成区内各地に点在する近代建築物が話題を呼んでいる。 日雇労働者の町としてにぎわっていたあいりん地区(大阪市西成区)。 高度経済成長期の日本を長らく支えてきたが、バブル崩壊と同時に様相は一変。 日本を代表するディープスポットへと変貌を遂げていた。 最近では、交通アクセスの良さと比較的低価格で宿泊できる宿泊所が人気を呼び、低予算で個人旅行を楽しむバックパッカーが世界中から増えており、街では旅行鞄を持って歩く若い観光客でにぎわう。 そんな西成区も古くは、豊臣秀吉が住吉大社に向かう旅の途中でお茶を楽しんだ屋敷や茶室があったことから、天下茶屋と呼ばれ、やがて地名になった。 天下茶屋は、豊臣秀吉と縁の深い千利休の師匠・武野紹鴎ゆかりの地としても知られている。 その他、市民の憩いの場として愛されている天下茶屋公園には阿倍寺があったとされ、かつての遺構が残されているなど、歴史的にも文化的にも興味深く感じるはず。 今回は一歩踏み込んだ西成区の魅力をご紹介していきまひょ!
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かつて当地にあった芽木家の跡の一部である。 住吉大社へ行く途中、豊臣秀吉が紀州街道沿いにあったこの屋敷で茶会を催したという故事から、天下茶屋という名前が付いた。 江戸時代、紀州藩主などの諸大名も宿泊したと伝えられる。 明治天皇も、住吉行幸の途中、立ち寄っている。
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天下茶屋跡
当時は、屋敷や茶室、井戸、池などがあったと言う。 1945年に焼失し、現在は、土蔵などが残っている。
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1394年から1428年に北野天満宮の分霊を奉斎。 付近には、紹鴎の森。 武野紹鴎とは、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した商人、茶人として知られる千利休の師匠にあたる。 千利休は、わび茶の専門。 今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられ、子孫は三千家として続いたとか。
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本殿
1702年、本殿が創建された。
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子安石
豊臣秀吉は、淀殿懐妊時、安産祈願のために子安石まで参詣したと言われている。
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憩いの場として親しまれている。 園内中心部には、阿倍寺塔柱礎石や是斎屋跡が残っている。
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阿倍寺塔柱礎石、是斎屋跡
大阪市阿倍野区松崎町に位置していた阿倍寺は、四天王寺の末寺。 現在、花崗岩でできた礎石が保存。 大阪府指定文化財に指定。 中央には、柱穴が掘られ、その穴の中央に舎利穴。 また、是斎屋の跡としても知られている。 1600年代前半、薬屋是斎屋は近江の国の津田宗右衛門が住吉街道に面した当地へ訪れた。 そのとき、薬「和中散」とを商ったことが茶屋のはじまり。 公園東口付近にはその石碑が建立されている。
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主に、飲食店や居酒屋、雑貨店などが立ち並ぶ。 駅からも近いので、通勤客・通学客でにぎわう。
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ショップ南海天下茶屋
大阪府内南部を走る南海電車南海本線天下茶屋駅の高架下にある商業施設。 主に、飲食店や雑貨店、書店などが立ち並ぶ。
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1922年、洋館として建設された。 現在、国の登録有形文化財に指定されている。
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1904年、日本とロシアの間で、日露戦争が勃発。 1905年、大阪天下茶屋俘虜収容所が設置された。 約8万人の捕虜がロシアから日本に送られ、うち約6千人が天下茶屋に収容されたと言う。 約6万坪の敷地内には平屋建て60棟の施設があり、水道、電灯、電話などが設置されていたと言う。
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住吉大社摂社であった生根神社から独立したのに始まるとされる。 1966年、戦災の被害に遭い、社殿や社務所などを復興した。 生根神社には、「だいがく(台楽、台額)」が現存し、伝えられている。 古来より、雨乞い神事に使用された、高さ約20mの柱に約70個の提灯を飾り付けた櫓のことである。 1972年、「だいがく」は、大阪府の有形文化財に指定され、夏祭りの二日間のみ一般公開される。
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住吉大社摂社であった生根神社の玉出の古名である勝間(こつま)村だった。 当地の名産であり、江戸時代の「なにわ野菜」の一つだった「かぼちゃ」を記念した塚だと言う。 勝間商人によって、勝間街道を使って大坂まで行商された。 冬至になると、勝間南瓜神事が行われる。 また、「こつまなんきん」とは、幼い海女の様に、色が黒く、小柄で、体のよく締まった、肌理の細かい女性を、閨房でもてはやす言葉として使用されると言う。
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主に、飲食店や居酒屋、雑貨店などが立ち並ぶ。 またこの周辺は、飛田遊廓があったとされ、飛田新地とも呼ばれている。 大正時代、日本最大級の遊廓とも言われた。 1958年、料亭街として知られる『飛田料理組合』。 1916年、遊郭を通してにぎわい始める。 大正当時の建物をそのまま保存し、営業を続けている店舗がある。 2000年、その店舗の一つは、登録文化財となる。 付近も当時の庶民的な雰囲気をそのまま残し、マイクを片手に持った店内で歌う一般客の歌声があちこちで響いている。
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うどん、そば、定食などを販売する南海そば。 南海電車の新今宮駅構内にあり、多くの客でにぎわう。 付近にある人気観光名所・新世界と通天閣の最寄駅にあたり、ユニークな商品が販売される話題のお店。
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タワーカレーうどん(そば)
2016年11月30日までの期間限定で販売される「タワーカレーうどん(そば)」。 通天閣(大阪市浪速区)は開業から60周年を迎えるにあたり、コラボが実現。 ちくわの天ぷらと、うずらの卵を組み合わせて、通天閣の高さを演出。 実物の約500分の1のスケールとなる約20cmであるといい、600円という価格は、開業60周年にちなむとか。
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飛田本通商店街 大阪市西成区にある商店街である。 通称、動物園前商店街とも呼ばれている。 主に、飲食店や雑貨店などが立ち並ぶ。 また、駅前なので、通勤客・通学客でにぎわう。
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荒陵山四天王寺に由来する天王寺村は通称、てんのじ村と呼ばれている。 大正時代、大阪市に編入された地域。 道頓堀や千日前、新世界などの演芸街に近いので、芸人は当時、約400人が集まって住んでいた。 戦災にあうことはなかったので、戦後も古い長屋が残っていた。 1977年、芸人によって建てられた。
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大正時代、日本最大級と言われた遊廓が築かれた。 大正時代中期、遊郭として建てられた建物を料亭として利用している。 1958年、飛田料理組合と呼ばれる料亭街が形成され、かつての雰囲気を現在に伝える。 2000年、国の登録有形文化財に指定された。 数寄屋造りの大正建築として知られ、応接間は、日光東照宮の陽明門を模している。 大広間は、中央の日本庭園にかかる太鼓橋が架けられているなど、装飾は元・妓楼ならではのもの。
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周辺には、萩之茶屋商店街、花園本通商店街、花園北本通商店街がある。 主に、飲食店や居酒屋、雑貨店などが立ち並ぶ。 駅からも近いので、通勤客・通学客でにぎわう。
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祭神は、天照大神、稲荷大神である。 江戸時代、「津守新田」として干拓された歴史がある。 津守新田の開発の際、勧請されて創建された。 また、五所神社・五社大明神・稲荷神社などと呼ばれていた。 1769年、現在地に遷座。 1871年、津守神社に改称した。
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公園内には、スポーツ広場、テニスコート、児童公園などがある。 2000年、公園として整備された。 スポーツ広場は、天然芝や人工芝のグラウンドの他、観覧席も設けられている。 サッカーJリーグチームであるセレッソ大阪の練習場として使用されている。 スポーツ広場内にはクラブハウスが設置。 クラブハウスの2階では、セレッソ大阪に関連したクラブショップやカフェがある。 周辺には、サトザクラやヤエザクラなどの遅咲きの品種を中心としたサクラの木が植樹。 春になると桜並木となり、多くの人に親しまれている。 ちなみに、サクラは大阪市の花として。 また、セレッソはスペイン語でサクラの意味。
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正月三が日の縁日は地元の子供のお楽しみとなっていると言う。 また、日本で二番目に長い商店街として数えられていたことも。 ちなみに、一番長い商店街は天神橋筋商店街(大阪市北区)で、日本一短い商店街は、日土橋商店街(大阪市西区)。 最近は、フリーマケットや、日貸しの商店などを展開している。 商店街には約100mおきに区切りがあり、東の1番街から西の8番街まである。 鶴見橋2丁目交差点には、鶴をイメージしたサークル状のモニュメントがある。 付近にある津守商店街と接続する。
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主に、飲食店や居酒屋、雑貨店などが立ち並ぶ。 駅からも近いので、通勤客・通学客でにぎわう。
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周辺には、花園北本通商店街、萩之茶屋商店街がある。 主に、飲食店や居酒屋、雑貨店などが立ち並ぶ。 駅からも近いので、通勤客・通学客でにぎわう。
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周辺には、花園本通商店街や花園北本通商店街がある。 主に、飲食店や居酒屋、雑貨店などが立ち並ぶ。 駅からも近いので、通勤客・通学客でにぎわう。