なにわのえべっさんに会いに行こう!
まいどまいど! 関西を代表するお祭りの一つといえば、やっぱり十日戎でっしゃろか。 十日戎とは毎年1月9日から11日にかけての3日間、恵比須様に笹を奉納して一年の商売繁盛を願う。 関西では恵比須様のことを「えべっさん」と呼んで古くから親しまれ、福娘も選考会により選任されまんねん。 また、付近に鎮座する廣田神社も興味深く、神使は、アカエイ(アカエ)。 叡知の“エイ”に通じることから合格・必勝の祈願を叶えるといわれ、信仰されてはんねやて。 その他、グルメでは木津卸売市場がおすすめでんな。 通称、卸売市場っちゅうたら、セリなどが行われ、一般が立ち入ることは難しいが、ここでは横丁が開設され、居酒屋や定食屋などが営業。 一般でもお酒を片手に、新鮮な野菜や果物、魚などを味わうことができまんねん。 まあせやけど、通常は市場で営業時間がばらばらなので、お目当てのお店がある場合には注意が必要でんな。 さらに大阪ではカレー鍋発祥の地として知られ、中央区南船場に本店を。 ほんで浪速区にはその姉妹店が登場し、話題を集めてまんねん。 大阪にはたこ焼きやお好み焼きなどが有名でんねんけど、カレー鍋も味わってみて~。
徳風学校跡
大正時代、大阪は世界で6番目の人口を抱え、煙の都「東洋のマンチェスター」との異名を持つほどの経済発展を遂げていた。 その一方で、都市部に貧困層を生み出し、そこに住む子供たちから教育の機会を奪っていた。 貧困層の子供たちを救済するため、篤志家や慈善団体により徳風・有隣・愛染橋などの学校を設立。 1911年、当時の南区難波警察署長・天野時三郎氏の発意を受けて、久保田鉄工所の創業者・久保田権四郎氏が学校経営費を拠出し、徳風学校を開設。 校名は論語の「君子の徳は風、小人の徳は草」に由来。 当初、授業は夜間に行われた。 1913年、昼間部を置く。
なんば木津まち横丁
2013年、木津卸売市場内に「なんば木津まち横丁」がオープン。
木津勘助の像
1586年、神奈川県相模生まれ。 本名、中村勘助。 豊臣秀吉に仕え、土木技術者として堤防工事や新田開発に尽力。 1639年、木津川を開削。 近畿一円が冷害に見舞われ大飢饉の様相を呈したとき、大阪城の備蓄米の放出を願い出たが、断られたため、私財を投げうって村人に分け与えた。 その後、お蔵破りを決行し、飢饉に苦しむ人々に施した。 1660年、お蔵破りの罪で葦島(大正区)に島流しになったと言う。
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