
京都・紫野&西陣界隈をそぞろ歩いてみつけたもの❤
京都京都・紫野&西陣界隈をそぞろ歩いてみつけたもの❤
GWも終盤にさしかかりましたね。今年は遠いところへのお出かけはせず、地元・京都をあちこちそぞろ歩いてみることに!普段、バスや車で通過するだけのスポットもじっくり見てみると新たな発見があるものだな~と思える時間になりました。 京都市内の北の方にあたる「紫野」は船岡山から大徳寺にかけての一帯を総称した地名。平安時代初期は貴族や皇室の狩猟場だったようです。蓮台野、北野、上野、平野などと並んで「七野」のひとつにも数えられています。その南に広がるのが「西陣」。高級織物<西陣織>の発祥地としても知られていますが、実は、「西陣」と言う地名はないんですよ。その範囲は、東西は小川通りから七本松通り、南北は一条通りから鞍馬口通りと言われています。また、応仁の乱の際に、西軍総大将である「山名宗全」が陣を構えた事にも由来するとか。 どちらにも、京都の古き良き風情が色濃く残り歴史や文化に触れることのできるエリアとなっています。超メジャーなスポットではありませんが、しっとりと京都を堪能したい方にはオススメです。
1927年創業の老舗甘味処・「梅園」が新展開する「うめぞの茶房」が昨年、鞍馬口通りにオープンしました。 こちらでは餡を寒天をとわらび粉で流し固めた「かざり羹」が味わえます。小さいながらも存在感たっぷり💗和なのに洋の要素もあるフシギさがたまらないんです。季節のフルーツやナッツ、クリームなどがちょこんと乗った姿がとにかくフォトジェニック!おうすや、紅茶、ほうじ茶との相性もバッチリです。
玄関
茶色の格子に白い暖簾がオシャレですよね。さびた看板も味があります。
光が射し込んでキレイです
はんなりした紫野の通りをお店の中からも堪能できるんです。 格子戸から漏れる光に釘付けに…。
芸術的なかざり羹が並びます
梅園の3代目さんが生み出したかざり羹。常時8~10種類がアンティーク調のショーケースに並びます。 四角いのは定番で、まぁるいのは月替りのものだそう。さてどれにしょうかな。
器は購入も可
お菓子にあわせてデザインされたと言う食器やカトラリー。フォークレストがイチバン売れるんですって。
2階の喫茶スペース
ぎしぎしといい具合にきしむ階段を登ると天井の高い開放的な空間につきました。古いもへの愛おしさを感じます。ゆったりと呼吸できそうな感じと言うか…。天窓から空も見えますよ。
かざり羹「桜」と季節のお茶
桜の季節だったのでこちらを選びました。白あんと桜の塩漬けが乗せられた寒天の2層になっています。白あんには桜の葉が刻んで入っていていい香りでした。固すぎず、柔らかすぎずちょうどよい食感です。 季節のお茶もすっきりとして飲みやすい~。優雅なひとときを過ごせました。
近くにある銭湯「船岡温泉」
同じく、鞍馬口通りにある銭湯・船岡温泉です。かなり名が通っているのでご存じの方も多いのでは…?次々と銭湯が廃業する中、ダントツ人気なのがココ!ナント、国の登録有形文化財に指定されている銭湯なのです。唐破風屋根の玄関と通り、中に入ると透かし彫りの欄間に天井彫刻!マジョリカタイルもいい雰囲気です。見るだけでも価値あるお風呂…ぜひゆっくり浸かってみてください。
紫野を代表する大きな寺院、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺です。鎌倉時代の末期の1315年、大燈国師(宗峰妙超)が紫野に結んだ大徳と言う小庵が始まりとされています。花園、後醍醐両天皇のあつい帰依を受け勅願所となり、嘉暦元年(1326年)より現在の「龍宝山 大徳寺」となりました。ご本尊は釈迦如来。応仁の乱で荒れてしまいましたが、一休禅師(とんちでおなじみの一休さん!)が大阪・堺の豪商の援助を受けて復興したそうです。 写真は一休禅師の遺徳を記念し建てられた山門、「金毛閣(悟りを開いた名僧と言う意味)」です。
利休切腹の舞台となった丹塗りの門
三門の2階部分は千利休の寄進により増築されました。その際に 雪駄履きの自身の立木造を置いたことにより、当時茶頭をつとめていた秀吉の怒りをかい切腹を命じられたのです。 大徳寺の中でも最も古い建造物のひとつで重要文化財です。
勅使門
大徳寺の諸堂はこの勅使門から南北一直線に三門、仏殿、法堂、方丈が並ぶ禅宗の典型的な伽羅配置になっています。前後唐破風の左右切妻、檜皮葺きの四脚門。元は御所の南門だったそうで、後水尾天皇から拝領し、移築されたとか。平成12年(2000年)に修復工事が施されたそうです。
仏殿内部~ご本尊の釈迦如来像~
三門のすぐ後ろにある仏殿。創建当初のものは応仁の乱で焼失してしまい、一休禅師によって復興、現存するものは寛文5年(1665年)に京の豪商の寄進で建てられたものだそうです。扉が開いているので中がよく見えます。中央、須弥壇には釈迦如来像。徳川4代将軍・家綱の寄進だそうです。天井には狩野元信の雲龍図も。
仏殿前にそびえるイブキの大樹
仏殿が再建された頃に植えられたイブキ。樹齢400年といったところでしょうか。ここらへんは素通りしてしまいがちですが、一見の価値のある大樹です。ご本尊をここからずっと守っている…そんなパワーを持つ木でした。
大徳寺本坊が特別公開されていました
住職の方々の居住空間でもあった方丈。なかなか拝観の機会がないので見せていただきました(800円)。絢爛豪華な聚楽第の遺構「桃山の三唐門」のひとつに数えられる国宝・<唐門>、法堂の狩野探幽の天井画<雲龍図>、こちらも国宝の<方丈庭園>…。これは贅沢すぎます。写真撮影が不可だったのでご紹介できないのが残念!ぜひ足を運んでご自身の目でご覧になって下さい。(この春は5月7日までです。)
大徳寺には全部で22の塔頭があります。そのほとんどが拝観出来ないのですがいくつかは通年公開され、また、季節限定で拝観できるところもありますのでチェックしてみてくださいね。 今回は常時拝観させていただける細川家の菩提寺「高桐院」を訪れてみました。戦国時代の智将、細川忠興(三斎)が慶長6年(1601年)に建立。忠興は千利休の高弟で、利休七哲の一人…武将としてだけでなく茶道の奥義をも極めた文武両道の人だったそうです。そんな忠興の美意識がたっぷり詰まった高桐院です。 写真のような木立ちの中の石畳の参道を歩きます。涼やかな直線の道は心を正す美しさです。スピルバーグ監督も大絶賛したのだとか!?
入り口です
こちらの上り口にある鐘をカ~ンと鳴らすとお寺の方が出てきてくださいます。拝観料400円を払って上がらせていただきます。お菓子付きのお抹茶(別途400円)もいただけますよ。
「花は語らず」住職さんの言葉が
玄関から右手に進んだところに掲げられていた額です。ふと、目に入りました。 一瞬一瞬を大事に生きねばと再認識させられます。
書院「意北軒」
その奥には、師匠である利休の邸宅から移築したと言う書院が。ほの暗さが侘びさびの世界を深めています。
楓の庭
客殿から見る額縁のような庭園はすっきりとし苔と楓が美しい。紅葉も素晴らしいです。「そうだ京都、行こう」でも紹介されたんですよ。 外国の方が座禅を組んで瞑想されていました。鳥のさえずりと澄んだ空気…細かな事はわからずとも心で感じる何かがあります。
こんなところにも家紋が
電灯に目をやると細川家の家紋「九曜紋」が。お日さまのようでかわいいです。
キリシタン燈籠
お庭はスリッパを履いて散策することができます。(雨の日は×) 西側の庭にはひっそりとキリシタン灯籠が…。下の竿上部が膨らんでいますね。これを十字架に見立ててひそかに祈っていたのだそう。忠興の妻を思う優しさでしょうか。向こうに見えるのは忠興が造った茶室「松向軒」。
加藤清正の袈裟形「降りつくばい」
朝鮮出兵の際、清正が持ち帰ったとされる朝鮮王城の羅城門の礎石。これをつくばいにし、忠興に送ったのだそうです。とても気に入っていたそうで、参勤交代の時も持っていかれたという話が残っています。うそ…💦
忠興とガラシャの墓所
奥にひっそりと佇んでいました。 右側には細川家代々のお墓もあります。この石灯籠は利休が「天下一」と愛でた燈籠で、秀吉が欲しがったそうですが利休はわざと傘のウラを欠けさせて渡さなかったと言います。切腹の時に弟子だった忠興に送られ、今はこうして仲むつまじく眠る忠興・ガラシャを守ります。
旧大宮通りを下がったところにある大徳寺の境外塔頭で臨済宗寺院。でも最初から塔頭だったわけではないようです。平安時代に淳和天皇の離宮「紫野院」として建てられ、貞観11年(869年)には歌人でもある僧正・遍照に付され天台宗「雲林院」と呼ばれるようになり多くの塔頭を有する大寺院となったようですが、その後 戦乱などにより徐々に衰退していったと言います。江戸時代になってようやく、大徳寺の前身である由緒あるお寺として見直され、観音堂が再建されました。それでも、かつての隆盛を取り戻すことはできず小さなお寺としてひっそりこの地で地域の方々に見守られ佇んでいます。
ただひとつのお堂「観音堂」
地元では「観音さん」として親しまれている十一面千手観音菩薩像と、大徳寺を開山した大燈国師が安置されています。宝永4年(1707年)に再建されたのだそうです。 近年の発掘で、かつて広大な寺域を誇った雲林院の姿が改めて判明したようです。大徳寺より前からここで人々の安寧を見守ってきたお寺なのですもの…なんだかほっとします。
百人一首の歌碑
僧正遍照の歌「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」が刻まれた石碑があります。 栄華を極めた頃には数々の文学作品に登場していたとか。「源氏物語」、「枕草子」、「今昔物語」、「大鏡」や謡曲「雲林院」にも。
紫雲弁才天
歌碑の横にある弁天さん。 この辺りで紫式部が誕生したと言う説も残っているんですよ。晩年はここで過ごしたとか…。
季節の花や木々も美しい
キレイにお花が植えられ参拝者の目も楽しませてくれます。しだれ桜が風になびいていました。
常盤御前ゆかりの「常盤井」
雲林院の西の通り、智恵光院通りにある「常盤井」。すでに涸れてしまってますが、平治の乱の時牛若丸の実母、常盤御前が子供たちを連れ、追ってから逃げるためここで禊をされたそうです。 今は寛文12年(1672年)に建てられた石碑が残るのみですが、かつては京都の名水のひとつでもあったそうです。
大徳寺通り(旧大宮通り)、総門前にあるカフェレストラン。店先にいつも季節の草花が美しく植えられています。お店の中は外国の方がたくさん来られていました。ガイドブックに掲載されているようです。テラスからは大徳寺の門が見えます。お散歩途中の一休みにもいいですね。 ここのイチオシは「大徳寺納豆カヌレ」。小さなかわいいサイズのカヌレに甘じょっぱい大徳寺納豆がIN、さらに、はちみつと洋酒がかかり和と洋の融合が楽しめる一品です。
甘さとしょっぱさが同時にくる
ホント小さくて一口でいけちゃうカヌレ。黒いつぶつぶが納豆…そう!黒いんですよ。 持ち帰ることもできます。8個入り650円。
水だしコーヒーと共に
カヌレとパウンドケーキのスイーツセット。パウンドケーキにも納豆が入っています。塩味が勝っていますが大人な味がコーヒーにあうあう💗ハーブの彩りや粉砂糖で描かれた文字がオシャレです。
大徳寺納豆(大徳寺一久)
朝食などで食べるアノ納豆とはまったく別のものです。同じく大徳寺通り沿いにある老舗店の大徳寺納豆です。中国から伝わってきたものを一休禅師が大徳寺に伝えたとされます。粘り気はなく、風味はお味噌や醤油のような感じでしょうか。甘いものをいただく際の箸休めなどに最適かも。お土産として購入できます。
こちらも大徳寺界隈のお店です。北大路通りに面した京町屋のお漬物屋さん。大きな白い提灯が目印です。 長い暖簾をかき分け入った店内は大好きなお漬けもんの香りがたちこめ いきなり幸せな気分に(*^^)v 品定めしていると「ご試食をご用意しますね~」と。
コレ、試食です
香り高いほうじ茶が添えられた試食のお漬けもんが運ばれてきました。その数13種!いやいや、これはぜいたく!定番ものから旬のものまでざっとお味見出来るんです。色も鮮やか。酸味が抑えめなのでとても食べやすい大こうさんのお漬けもんです。
セレクトするのも楽しい♪
家族にもお土産を買って帰る事にしました。小なすの辛子漬け、かつお風味の大根漬け…それから~いっぱいあって迷います💦
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「玉の輿神社」とも呼ばれる今宮神社は大徳寺の北西にあるお社。平安遷都以前より疫神・素戔嗚尊を祀るお社があったようですが、平安時代の都での疫病大流行に伴い、1001年、大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)の三柱が創祀され今宮社となりました。朱塗りの楼門は、昭和元年(1926年)造営。 西陣の八百屋の娘・お玉さんが徳川三代将軍・家光の側室となり、五代将軍・綱吉を産んだことが「玉の輿」のことわざの由来になったとされています。お玉さん(桂昌院)は今宮社への崇敬があつかったようで、兵火で荒廃した社殿の再興にも尽力されたと言います。
お玉の井
手水舎(ちょうずや)は元禄7年(1694年)に桂昌院が寄進したもの。手水盤は京都西町奉行所の小出淡路守守里による寄進だそうです。
本殿
明治期に一度焼失してしまいますが、同35年に再建されました。良縁開運と健康長寿のご利益があるそうです。 左には元々祀られていた「疫神社」があります。
西陣織の生地を使ったお守り
かわいいでしょ?聖護院大根などの京野菜が描かれた「玉の輿お守り」。実は生地が西陣織というスグレモノ!八百屋の娘さんだと言うお玉さんにちなんだお守りです。
やすらい人形(ひとがた)
健康祈願ができるひとがた(300円)。やすらい祭りの鬼の装束と同じ赤い色になっています。 中に名前などを書き、挟んである「蘇民将来子孫也」のお札を抜いて奉納します。ひとがたはお祓いの後お焚きあげしてくださいますし、お札はおうちの玄関外に貼って魔除けにできます。
織姫社
西陣織りの祖神・栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)をお祀りしています。大きな糸巻きが目印。七夕のお話しにも登場する織女に機織りを伝授した神さまなんですって。
阿保賢さん~神占石~
「あほかしさん」と読みます。キラキラのお座布団の上に置かれたコロンとした石…三度叩いて持ち上げ、今度は祈願してから三度なでて持ち上げ先ほどより軽いとその願いは叶うと言われています。私は…超重かったですぅ(-_-;)
東門と朱塗りの欄干の小橋
この橋は元禄時代の遺構と言われています。青もみじに朱塗りの欄干が映えます。橋を渡り門をくぐるとあぶり餅屋さんです。いつもワクワクしながら渡る橋なんです。
京の三大奇祭「やすらい祭」
太秦の「牛祭り」、鞍馬の「火祭り」と並んで京の三大祭になっているお祭り。疫病を鎮め、健康を祈り毎年4月に行われます。この丸い花傘を中心に鬼がお囃子にあわせてやすらい踊りを踊りながら練り歩きます。花傘の下に入ることができたら、その年一年は無病息災で過ごせると言い伝えられています。
大徳寺の「瓦土塀」がいい感じ
北大路通りから入ると長い参道を経て楼門にたどり着きます。東側は大徳寺で、補強のために瓦が埋め込まれた土塀がずっと続いています。 おもしろいのは、いろんな瓦が見られること!防火瓦や般若面、細川家の九曜紋がついたものまでありますよ。よ~く見てみてくださいね。
お隣の紫野高校にて…
参道を挟んだお向かいは高校になっています。部活をしている生徒さんが夕日に照らされシルエットに…。ちょっといい感じじゃないですか?
今宮神社の門前茶屋として有名なあぶり餅!東門を出たところに2つのあぶり餅屋さんが向かい合ってあります。北にあるのが創業1000年の「一文字屋 和輔(一和)」さん。日本最古の和菓子屋さんと言われています。南側は創業400年の「本家根元かざりや」さん。どちらも代々、女性が伝承されているそうです。 いつもそれぞれのお店から威勢の良い呼び込みの声が聞こえてきます。ちょっと寄るのが遅かった様で店じまいが進んでいましたが…。
閉店まぢか💦
一和さんは「もうあらへんねん~」とのことでした。 さてさて、かざりやさんは…?なんとかいけるとのことでしたので2人前、炙っていただく事に(´▽`) ホッ
印象的なお釜が
店先に年代物のお釜がありました。いい雰囲気♥ あぶり餅とは、小さなお餅にきな粉をまぶして竹串にさし、備長炭で炙って芳ばしく焼き 秘伝の白味噌仕立ての甘いタレにつけていただくものです。2つのお店とも同じようなスタイルでお値段も1人前500円(10本)です。私はかざりやさんでしかいただいたことがないんですよね~。
中でもいただけます
中はいくつもテーブルが置かれていました。奥にはお庭もあるようです。店の軒先でいただくもよし、中でゆっくりくつろぐもよしですね。
炭火でこんがり焼きます
軒先の炉で女性が炙ってくれます。扇風機で風を送って炭火を当ててるみたいです。けっこう火が近いので熱そう~。 お餅がさしてある竹串は今宮さんに奉納された「斎串」だそうで厄払いのご利益があるそうですよ。
「お味見どうぞ」…心づかいが嬉しい
お座敷口に座って待っていると嬉しいお心使いが。 芳ばしい香りがしてきました。かざりやさんのお味噌は「石野味噌」。ブチッとちぎった感のあるお餅の形がスキです。ちゃんときな粉の風味も生きてますよ。 京都の人はこの甘い白味噌が大好き。あったかいお茶も嬉しい~。
お向かいの「一和」さん
同じような京風民家の佇まい。風情がありますね。 いつか食べ比べてみたいな。
TAKE OUTしました
持ち帰り…本当は3人前からなんですが、2人前包んでいただけました。緑の包み紙もステキ。
京都で夏、食べたくなるのが「冷麺」!冷やし中華と言う方も多いかもですが、京都人はこちらの方がピンと来るかも。その冷麺がおいしいお店と言えばイチバンに声があがるのがココ! 新大宮商店街(南行き一通です)にあるサカイさんです。お昼時はいつも行列ができる人気ぶり。夏は特にかもしれませんね。でも、こちらの冷麺は一年中食べられるんです。 冷麺の他にもオムライスもぜひ食べていただきたい。ここはホントに中華のお店なのか?と疑うこと間違いなし!!
こういうの、みなくなったよね
入り口のショーケースに並ぶサンプル。昔はこのガラスにへばりついて見たもんだ。
芸能人もご用達
店内はお客さんでギッシリ!どんどん回転していくので待ち時間はさほど長くはならないかと…。 壁にはたくさんのサインが飾られていました。
「冷やし中華」ではありません
具はもみのりとキュウリ、それから焼き豚orハム。以上!めっちゃシンプル!冷やし中華でっはなく「冷麺」です。 太い目のモッチモチ麺はボリュームがありけっこうおなかがふくれます。辛子がきいたタレがホントにうまいんです。 夏の定番!やっぱりサカイさんの冷麺がイチバン。
大徳寺の南門前の北大路通りを渡り、智恵光院通りを南下した住宅街の間に石鳥居を見つけたのでのぞいてみると、大きな木が目につきました。どうやら神社のご神木のようです。 ここは、「櫟谷七野神社」と言い、安産と、復縁、浮気封じの神さまが祀られています。浮気封じ…初めてお目にかかる神さまです。境内はこじんまりとしていますが社殿は最近建て直されたのかな、新しいです。 平安時代、文徳天皇の皇后・藤原明子が懐妊された際 安産の祈願のため大和国・三笠山から春日大神を勧請し祀ったところ、無事男の子を出産され、後に清和天皇となられたとか。
浮気封じにはこうすべし!
宇多天皇の皇后が離れてしまった夫の愛を取り戻すべくこちらに祈願したところ、「社殿前の白砂を三笠山に見立てて積み祈りなさい」と言うお告げを受けられたとか。言葉通りに積んでみると、見事復縁できたそうな。写真に写っている方も同じように白砂を積まれていました。ほほ~なるほど~~。
斎王の御所でもありました
この地は平安時代から、鎌倉時代にかけて賀茂社にご奉仕する「斎王」がその身を清め、住まわれていた御所(斎院)があったところなのだそうです。紫野斎院とも呼ばれていたようです。
「七野」の7って?
神社の一帯の地名である➡紫野、上野、柏野、北野、平野、蓮台野、内野をまとめて「七野」となったようです。 応仁・文明の戦乱時代、山名宗全と、細川勝元が総対峙するいくさ場となり荒廃しましたが、信長や秀吉によって再興されたと伝わります。
今、訪れてほしいのがココ、学問の神様として知られる北野の天神さんです。天暦元年(947年)創建。菅原道真公をご祭神とする全国12000社の天満宮の総本社。 そもそも、~天神さん~と言うのはどこからきているのでしょうか…。「北野」と呼ばれるこの地は、古くから都を守護する”北西(乾)”の地として重要な場所とされ、帝が祈りを捧げられる際、上空に北極星が輝いたことから「天のエネルギーが満ちる聖地」として信仰を集めたと言います。 その後、道真公が祀られたことによって霊験が増し天空を司る~天神の社~となって天神信仰の発祥の地と呼ばれるようになったそうです。
毎月25日は「天神さんDAY」
子どもの頃から「今日25日やな、天神さんいこか」とか、「21日の弘法さんが晴れたら25日の天神さんは雨なんやで(お二人は仲が悪いそう?)」聞いて育ちました。道真公のお誕生日、そして亡くなられた日が25日がそうです。 この日は、長い参道に縁日が出る日なんです。21時頃まで露店が並び石灯篭に灯りもともされ幻想的な雰囲気を楽しめます。
梅が見ごろを迎えています🌼
梅が大好きだったという道真公にあやかり、境内には1500本の梅の木が植えられ今、満開を迎えています。紅白のみならず、八重咲や珍しい黒梅なる品種も! 2月上旬から3月下旬まで「梅苑」が公開され、様々な品種の梅を鑑賞しながらお茶とお菓子を味わうことができますよ。 また、収穫した梅の実は梅干しにされ縁起の良い「大福梅」として年末に授与されます。
なで牛さん
楼門をくぐると参道の左右に臥牛の像がいくつかあります。このお牛さんは撫でると諸病平癒のご利益があるそうで、みなさん、体の不調のあるところをなでられていました。もう、ツルッツルです!
拝殿(国宝)
たくさんの方がお参りの来られていました。みなさん、きちんと並んでお参りされている姿が印象的です。 拝殿奥の本殿は、慶長12年(1607年)に豊臣秀吉が造営したとされる日本最古の八棟造、桃山建築です。 拝殿前には向かって左に「梅」、右に「松」が植えられています。
社殿を一周できます
お参りが済んだら社殿を一周してみてください。側面は朱塗りの格子や装飾が素晴らしいですし、背面には「御后の三柱(ごこうのみはしら)」と言って、道真公のご先祖とされる”天穂日命”、お父様の”菅原是清”、おじいさまの”菅原清公”が祀られています。 かつては、本殿に加えてこちらをお参りするのがしきたりだったとか。
清楚でいて強さを感じる梅です
~東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな~ 道真公が大宰府に左遷される際、庭に咲く梅の木に別れを惜しんで詠まれた歌です。 私は桜よりこの梅に惹かれるなぁ。
千本鳥居ではないけど…
人が2人ならんでちょうど💦ぐらいの細長い鳥居がいくつか並んでいます。その先には、おびただしい数の絵馬が~!合格祈願、学業成就を願い書き綴られた絵馬です。ここは、絵馬掛所。みなさんの祈りが届きますように。
お願いを一つだけ叶えてくださいます
鳥居の先にはひとだかりが!そこには少し小さめのお牛さまが。実は、一願成就のお牛さまなんです。願いを込めてなでるとたった一つだけ聞き入れていたがけるとか…。何を願いましょう(*‘∀‘)
文子天満宮(あやこてんまんぐう)
境内でも奥の方にひっそり鎮座されています。道真公の乳母だった「多治比文子(たじひのあやこ)」を祀ったお社です。この方が最初に道真公をこの地に祀られたのだとか。
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天神さんから今出川通りを西へ数分。通りから少し入ったところにある小さなかわいいお店が「亥ノメ」さんです。 実はココ、どら焼屋さんなんです!(^^)!カウンター5席ほどのホント、小さなお店では、京都、桂離宮近くにある老舗和菓子店”中村軒”で修業された店主さんが作りだす絶品どら焼きがいただけます。 レギュラーサイズの「どら焼き」と、テイクアウト用のちょっぴり小ぶりの「亥ノどら」(数種類アリ)を展開。お時間がある方はぜひ店内で。
テイクアウトは小窓からどうぞ
昨年9月にオープンした亥ノメさん。私もテイクアウトしかしたことがないのですが、フワッフワの生地に優しい甘みのあんこがホントおいしくて足繁く通っております。
亥ノどら❤
あずき、抹茶、くるみに黒糖...また、その季節に応じた一品も!いつも、ひと種類ずついただいています。私は、黒糖ファン💗価格も170円からと良心的です。 店内では作りたてを味わうことができますよ。ナント!トッピング1つが無料とか⁉有塩バターや、生クリーム、ラムレーズンなどの中からセレクトできますよ~。 コーヒーやおうすなどのドリンクとセットがうれしいですね。
京都の隠れた桜の名所とも言われる雨宝院(うほういん)。空海が開祖の高野山真言宗の寺院で、地元では「西陣の聖天さん」と呼ばれています。応仁の乱の後荒廃し、千本五辻からこの地に再興されたそうです。 小さな寺院ですが仏さまがたくさん安置され、桜はもとより、いつ行っても季節の花が楽しめる大好きなお寺です。西陣の穴場的なスポットで、通な外国人の方が訪れています。
西門から入ります
入ると頭上に「時雨の松」が。小さな境内に本堂の他にも、観音堂、不動堂、稲荷堂、庚申堂など、たくさんのお堂がひしめき合っています。桜も空を覆うほどの勢いで咲いていましたよ。
時雨の松
久邇宮朝彦親王が雨宝院を参拝された際、突然の雨をしのがれた松(アカマツ)という事でこの名がついています。本当に雨除けになりそうな枝ぶりでした。
観音堂
本堂の前にまず、観音さまにお参りするのが習わしとか。拝観料を払えば中を拝観出来ますよ。 平安時代の作品で千手観音菩薩像が安置されています。国の重要文化財。
本堂
ご本尊の聖天(歓喜天)さんは象頭人身六膚の等身像で、嵯峨天皇の病気平癒を祈願し一刀三礼して彫られたのだそうです。秘仏なので見る事は出来ません。 上には歓喜天さまの象徴にもなっている「巾着」が…これは、財宝を意味し商売繁盛を表してるそうです。
本堂前の「紅しだれ桜」
境内ではホント、いろいろな種類の桜が楽しめます。有名なのは「歓喜桜」。御室桜と同じ品種だそうで、他の桜が散り行く中、今を盛りと花を咲かせていました。他にも、「松月桜」や「観音桜」もキレイでした。写真は本堂前のしだれ桜。
珍しい品種も…「御衣黄」
「ぎょいこう」と読みます。満開でした!門の外から撮影しています。この桜、花びらが黄緑色なんです。珍しいですね。花が落ちる頃に花芯がピンク色に変わり花ごとポトンと落ちるんですって。
あせかき弘法大師さま
お大師さま、42歳のお姿を刻んだものだとか。南を向いて口を開けているその像は「阿吽汗かき大師」と呼ばれているそうで、汗をかく様な大変なことからも救ってくださると言う意味がこめられているそうです。ちなみに、東寺には北を向いた同様のお大師像があるらしく2体合わせると金剛力士像のようなのだとか…。
西陣五名水~染殿井~
南門のすぐそばに井戸が。水の飢饉の際も、この井戸だけは涸れなかったと言われています。染色にうってつけのお水という事でこの名がつきました。良いお水あっての西陣織なのですね…ナットク。 残念ながら飲用には適さないようです。
百花繚乱!
他にもいろんな花が次々咲くようです。桜はそろそろ終わりですが、まだ椿もキレイでしたし、山吹や石楠花、躑躅に牡丹…いつ訪れても美しい花が癒してくれます。
京都の春、満喫
風が吹くと桜がひらひら舞って散ります。足元はまるで桜のじゅうたんのようになるんです。満開の桜もいいですが、散り行く桜にも風情を感じますね。 雨宝院は、本当に見どころの多いお寺さんです。
本隆寺の土塀
南門を出るとなんともいい感じの土塀がありました。お隣の本隆寺さんのものです。
本隆寺の土塀沿いに智恵光院通りまで出るとこちらのお蕎麦屋さんにたどり着きます。シックな外観はお蕎麦屋さんとは思えない雰囲気。京町屋を改装されたお店では、つなぎを入れない極上の手打ち十割蕎麦がいただけます。アルコールメニューも豊富で、ソムリエ資格を持つ店主さんセレクトのワインがズラリ! 店名の由来は、ロシアの画家「ニコラ・ド・スタール」からとったものだそうで、店内にも何枚か飾られていました。
店内はカウンターとテーブル席が
テラス席もあるようです。すっきりとした雰囲気でライトダウンされ、大人な感じです。楢でできたカウンターに案内していただきました。目の前には蕎麦を打つ台が!ガラス越しにその様子が見えます。
「京鴨のつけ汁ざるそば」
お出汁の香りがたまらない!透き通るような細くて繊細なお蕎麦で香りが鼻に抜けます。濃い目のつけ汁にはたっぷりの九条ネギと厚めに切られた鴨が…これがまたうまい!ホント、いい出汁がでるんですよね。
「仁挽き杏仁豆腐」
デザートはぜひこちらの杏仁豆腐を!一般にはアーモンドパウダーを使用するのですが、にこらさんではあんずのタネの中にある「仁」を石臼で挽いて作られているんです。上に蕎麦蜜シロップがかかっています。こんな風味の強い杏仁豆腐は初めてです。香ばしさと優しい甘み…絶品です。
雨宝院さんの西側にある木立の中にある巨石…こちらが「岩上さん」です。大正時代に織物業を営む千切屋(ちきりや)によって敷地内に祠が建てられ今に至っているのですが、この岩には元をたどればこんな言伝えが…。 堀川二条にあった霊石が六角通りに遷され、さらに御所内へ遷されたところ、吠えたり、泣いたり子供に化けたりと言う怪異な現象が起きたのだとか。そんなことから僧侶によりこの地に遷され祀られたそうです。以降、「有乳山 岩上寺」の霊石として授乳や子育ての信仰を集めてきた岩上さんなのです。
新米ママ必訪
お乳の出がよくなる神さまと言うことでママたちの参拝が絶えないんですって。 度重なる大火によりお堂が無くなった今もこうして人々に親しまれ守られている数奇な運命を経た巨石です。
この辺りは西陣織りが盛んな地です
寺之内通り沿いの織物屋さん。この辺りではよく目にする「糸屋格子」です。はためく暖簾とのセットが西陣の風情をつくり出しています。 (寺之内通りにて)
浄福寺通りの石畳みち
寺之内通りから上立売通りまでは石畳になっていてあちこちからカシャンカシャンと機織りの音が聞こえてきます。一時期よりはずいぶんと少なくなったのだと思いますが、京都らしい音の風景が味わえる界隈です。
繊維業界特有の「糸屋格子」
この格子、よく見ると上部が一定の長さでカットされています。これは、切子と呼ばれていてその数で何屋さんなのかがわかる仕組みになっているんです。切子2本は呉服屋、3本は糸・紐屋、4本は織屋…商売に応じて入る光の加減を調整するのだそうですよ。
京のおかきやさんです。浄福寺通り、石畳の北の入り口にある宗禅さんは、築120年の京町屋で元は織家さんだったとか。 「お煎餅」はもち米、「あられ」はお米で作られるのですが、宗禅さんではこの「あられ(おかき)」にこだわり「本物のあられやおかきを後世に伝えたい」とし、上質で見た目にもおいしいあられを作られています。 店名は、応仁の乱・西軍大将の「山名宗全」にあやかってつけられたのだとか。お米にこだわり、お米で作ったあっと驚く斬新な商品が楽しめますよ。
「茶房 宗禅」
ずずいと奥へ進むと天井の高い広々とした空間が。こちらは茶房になっています。町屋をシックにしつらえた落ち着ける場です。
庭からの陽光がキレイ
浄福寺通りからも入って来られるようで、その玄関になっている引き戸がいい雰囲気(^^♪ 小さなお庭の緑に心が和みます。
フレームの中の西陣織
さりげなく飾られている西陣織のフレーム。京都に住んでいても目にすることはそうそうないのでしばし見とれます。繊細かつ、ダイマミック!あまりにも美しい色彩と光沢です。
贅沢なおかきのお試しコーナー
注文してくつろいでいると、「おかきのご試食どうぞ」と案内されたところは入り口付近の売店。その横にいろんな種類のおかきとほうじ茶の試食コーナーが!待ち時間もワクワクさせる心づかいが嬉しいですよね。
おいしそう~💗
ひとり占め状態でした。 かわいい形のおかき、かりんとうや吹き寄せ…たくさんあり過ぎて迷ってしまいます。海老せんべいで作った「食べられる器」が面白かった。あったかいほうじ茶も香ばしい~。
春まち焼きアイス~五山に降る雪~
ネーミングもステキ💗変わってるな~と思いこちらを注文。メレンゲがおかきの上にたっぷり乗せられています。目の前でバーナーで焼き目をつけてくれますよ。和三盆の上品な甘い香りがたまりません。中にアイスが隠れていて、抹茶、黒ゴマ、きな粉の三種類が楽しめます。新食感!フワフワシャリシャリトロ~ン。
こんなちっちゃなおかきも
セットについていたぶぶあられです。ナント!宝船の形をしています。わかるかなぁ。小さいながらもしっかり塩と醤油の風味がきいていて箸休めにもってこい!
紅白鶴亀餅がかわいい!
こちら、皇室献上品だそうです。 亀の形にうまく膨らますため職人さんが技術を駆使し、7日間かかって作り上げるそうです。まさに逸品!お雑煮に、お善哉にと大活躍間違いなし。買って帰っておうちで焼いてみてね。
石畳をゆっくり歩くのがオススメ
宗禅さんから南は先にもご紹介した石畳の路になっています。西陣の佇まいが感じられるいい路ですよ。
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千本通りまでやってきました。昔、親によく連れて行ってもらったお寺さんに久しぶりにお参り。商店街に溶け込むように佇む釘抜地蔵さんです。 弘仁10年(819年)、弘法大師が人々を苦しみから救おうと石でお地蔵さんを彫ったのが始まりとされています。このお地蔵さんは「苦抜き(くぬき)地蔵」と呼ばれ 転じて「釘抜地蔵」となったようです。
参道の赤い幟が印象的
入り口からすでにパワースポットのオーラが!地元の方々にあつく信仰されている様子がうかがえます。いつも境内にはお参りの方が絶えず、お線香の香りに包まれています。
堂本印象が奉納した釘抜
本堂前にある大きな釘抜。下には小さなお地蔵さんがいらっしゃいます。堂本印象さんがお母様のことで願掛けに来られたそうです。 お寺のシンボルになっていますよ。
たくさんの方で賑わっています
杖をつきながらも深々と祈っておられた方がいらっしゃいました。病気やケガから心にささった釘さえも抜き癒してくださるそうです。 こちらには独特の参拝方法があるんですよ。本堂の脇にある竹串を自分の年の数だけ取り、願掛けしながら本堂をまわります。本堂の真裏にもお参りするところがありますので忘れずに!正面で一本竹串を返し全部なくなるまで繰り返します。お百度参りのようなものでしょうか。
本堂をぐるりと囲むのは…
苦抜きを祈願した方々がお礼として奉納された絵馬なんです。釘抜と八寸釘がセットになっています。上の方はずいぶん古いものになっていました。その佇まいは圧巻ですよ!
裏手にもありがたい仏さまがいらっしゃいます
絵馬を見ながら本堂周辺も見て回りました。鎌倉初期の阿弥陀三尊像も石像で一尊を台座、光背ともに切り出した石像としては日本最古例だそうです。
千本通りの商店街から上立売通りを東に入って30mほど行ったところにある洋食屋さん。家族でよく食べに行く自家製ハンバーグとご飯がおいしいお店です。実はココ、お米屋さん!ドアを開けるとシャカシャカ~と精米の音とお米のいい香りがするのです。
安政年間創業の老舗米穀店
大米米穀店さんはナント!創業160年!いつも精米したてのお米がいただけると言う嬉しさ。今日も地元の方がお米を買いに来られていました。 お米屋さんの奥がお店になっています。左のウエスタン調の扉を開いて入って下さい。
ランチタイムはいつもいっぱいです
店内はこんな感じ。 ちょっと並びました。今日も満席です。
本日のお米は…
壁面に「本日のお米」が紹介されています。北海道ゆめぴりか!いろんな土地でできたお米が味わえますよ。そしてそして!おかわりが無料~~(>_<)これは嬉しい♡数が限定になりますが、玄米ご飯もアリ。
肉汁があふれ出る!
「洋食屋のこだわりハンバーグ」。お箸を入れた途端、ジュワワ~っと肉汁が出てきます。ご飯もつやつやでしっかり甘みを感じました。うま~い!日替わりランチにも必ずこのハンバーグが付いてきます。 もうひとつ嬉しいのが、食後のドリンクのサービス!コーヒーや紅茶、ジュースに一口ビールもあるんです。
千本通りを北へ上がった西側にある高野山真言宗の寺院・ゑんま堂…正式名称は引接寺(いんじょうじ)と言います。「引導を渡す」と言う意味があるそうで、その名の通り 死んだ人をあの世のどこへ送るかを決める閻魔さまが祀られています。 お寺がある界隈は「鳥辺野」・「化野」と並んで平安京の三大葬送地、「蓮台野」の入り口にあたるそうで、亡くなった方を葬るための石仏や卒塔婆が立ち並んだことから<千本>と言う地名が付いたと言われています。 平安時代の学者で歌人でもある小野篁(おののたかむら)卿が、冥界で閻魔さまから伝授された「精霊供養の法」の根本道場として自らが刻んだ閻魔さまの像を祀ったのが起源となっています。
本堂前
おびんづるさんがおられる本堂前。この本堂は、篁興が見て来たと言う地獄の閻魔王宮を象っているとか。 普段は閻魔さまを見る事は出来ません。毎月16日の縁日には開扉されますよ。 *拝観料500円を払うと左手の方より本堂へ上がらせてもらえます。
萬倍碗(1万倍のご利益)
お堂の真ん前…その上に目をやると大きなお湯呑みが。実は、閻魔さまのお湯呑みなんですって!ここにお賽銭を投げ入れ見事入ったら通常の1万倍のご利益があると言うのです!やろうかどうか迷いましたが…今回はやめておきました。でも~なかなか難しそうですよ。
ご本尊の閻魔法王
高さ2.4mの閻魔さま。お堂に入るとすぐに目に入るので一瞬ギョッ!とします。脇侍には、司命尊、司録尊も控えています。地蔵菩薩の化身とも言われる閻魔さまは、人間たちを三悪道(地獄・飢餓道・畜生道)に行かせたくないが故に怒りの表情で地獄の恐ろしさを人間に知らせているんだと言います。応仁の乱でお堂や閻魔さまは焼失してしまったらしく、現存するものは長享2年(1488年)に再建されたものだそうです。
ゑんまさまのお目こぼし
お守り授与所で見つけました。コレ、おかきなんですよ。閻魔さまの前で祈祷して頂いたありがた~いおかき。ネーミングのセンスがいいいいですよね。お土産にもGOOD。(上記の菓匠・宗禅さんで作られています)お目こぼしがいただけますように…。
鐘楼(迎え鐘)
本堂の北側に位置する梵鐘は、亡くなった方がお盆にこの世に帰って来る際に撞くのだそうで、現在も盂蘭盆会の8月9、10日に迎え鐘を撞いて精霊(京都では「おしょうらいさん」と言います)を迎えています。
庭園も見ごたえアリ
境内の西北にはこんなお庭があります。季節の花が咲き、重要文化財の石塔などが見られます。
わらべちゃん(童観音)
ほっぺがぷっくり、子どものような観音さまにしばし癒されます。 ブロンズ像ですね。
紫式部供養塔(重要文化財)
鎌倉時代に造られたと言う「十重石塔」は式部の供養塔だとされています。絵空事を書いた罪で地獄に落ちかけた式部を篁興が閻魔さまにとりなしたことによるとか、子孫の圓阿(えんあ)上人の夢枕に供養塔を建てるようにとのお告げを受けたとか諸説あるそうですが…。
普賢象桜
庭園に2本だけ咲くこの桜は花弁の中に2枚の双葉が見られ、これが普賢菩薩の乗る白象の牙に似ていることからこの名が付いたそうですよ。花冠ごとポトリと落ちるのだそうです。足利義満もこの桜をたいそうを愛でたとか。
地蔵供養池で「塔婆流し」
本堂の裏手にはたくさんのお地蔵さんがおられる池が。毎年お盆の頃になるとお精霊迎え・送りの行事が行われる場となるのです。家族のもとへあの世から帰って来るおしょうらいさんのために水塔婆を池に流し、迎え鐘を撞きます。 京都の夏の風物詩にもなっている光景です。宗旨・宗派を問わずできます。
西陣の東の端、堀川通りに面して鎮座する晴明神社は、平安時代の陰陽師 ご存じ、安倍晴明をお祀りしています。京都でも名高いパワースポットでいつもたくさんの参拝者で賑わっていますよ。御所から見て鬼門にあたるこの地に安倍晴明の邸宅があったそうで、その跡地に一条天皇が晴明の偉業を称え 寛弘4年(1007年)、晴明神社が創建されました。当時からずっと都を守って来られたのですね。 厄除け、魔除けならココ!パワーをチャージしてみませんか?
元祖・一条戻り橋
一の鳥居をくぐった左手にあります。欄干の柱は当時、実際に堀川に架かっていたものだそうです。平安時代に葬列がこの橋にさしかかった時、死者が蘇ったとされ名の由来にもなっています。横にいるのは「式神」。晴明が使ったとされる精霊なんですって。
晴明さんと本殿
天文学者でもあった晴明は陰陽五行にも精通していたと言います。提灯についている「★」マークは、「晴明桔梗印」。五芒星とも言い、魔除けの意味があるとか。お社のあちこちで見られます。 晴明さんの像は、衣の下で印を組んで夜空を見上げ星の観測をしているのだとか…。
厄除桃
本殿の前にあるこの桃に、自分の厄をなでつけて厄落としをするだとか。桃は陰陽道では魔除けの果物とされているんですって。みなさん、こぞってナデナデされてました。
楠のご神木
威風堂々とそびえる大楠。樹齢300年のその幹に触れるとじわじわとパワーがいただけるような気がします。母なる木…私はそんな印象を受けました。
晴明さんのスゴイ伝説の数々を紹介
パネルになっていてわかりやすく説明されています。まさに映画の世界!
お守り授与所
ベンチもあり休憩できます。芸能人が奉納した絵馬がたくさん掲げられていましたよ。伊藤英明、野村萬斎…映画「陰陽師」のキャストですね。
四神門
電動で開閉すると言う門。石柱の上の部分には、四神(東の青龍、西の白虎、北の玄武、南の朱雀)が描かれています。