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ファッションの都パリ。ハイブランドに身を包むのもいいけれど、パリでおしゃれ好きの心を刺激するのはヴィンテージショップです。レアものからデイリーユースまで自分だけの特別な物探しの旅へご案内します。第2弾。
絶景かな!絶景かな!雪が舞い降る京のまち
まいどまいど! 京都を代表する寺院仏閣っちゅうたら、金閣寺、銀閣寺、上賀茂神社、下賀茂神社、大原三千院、貴船神社、鞍馬寺などがありまんねん。 せやけど、左京区では、京都を代表する銀閣寺、下賀茂神社が鎮座しており、ぎょうさんの外国人観光客が訪れてはりまんな。 平安神宮では、平安遷都1100年を記念して整備し、内国勧業博覧会も開催。 内国勧業博覧会っちゅうたら現代でいう日本万国博覧会の前身にあたり、国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的とした政府主導の博覧会のことを言いまんねん。 第1回から3回までを東京で開催し、第4回を京都で。 第5回は、大阪市天王寺区と堺市で開催されましてん。 日本最古の本格的な首都が造営された大阪市中央区の難波宮は国にとって重要な地位を占め、奈良の平城京、京都の長岡京、平安京へ遷都後も、経済都市としての機能を果たしていたとか。 当時の東京府、京都府、大阪府という「府」は、「県」と違い、国にとって重要な地域であることを示していたんやね。 大阪市内からも京阪電車で一本。 牛若丸(源義経)ゆかりの京都・鞍馬など、左京区界隈を散策しまひょ!
吉田神社
孤立丘の吉田山に鎮座。 祭神は建御賀豆智命(武甕槌命)、伊波比主命(経津主命)、天之子八根命(天児屋根命)、比売神。 859年、藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。 987年、朝廷の公祭に預かり、991年には二十二社の前身・十九社奉幣に加列。 鎌倉時代以降、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝。 室町時代、吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始、その拠点として1484年、境内に末社斎場所大元宮を建立。 吉田兼見がかつて律令制時代の神祇官に祀られた八神殿を境内の斎場に移し、神祇官代とした。 斎場所大元宮「斎場所大元宮」は吉田神社の末社。
京都大学
京都府京都市に本部を置く日本の国立大学。 京都大学は1897年、日本で2番目に創設された帝国大学で京都帝国大学が前身。 「自由の学風」を建学の精神とする。 京都大学は学部・研究科以外に19の附置研究所・研究センターを設置し、2010年当時は国内の大学で最多。 2020年、14の研究所・研究センターは文部科学省「共同利用・共同研究拠点」に認定、国内の大学で最多。 タイムズ・ハイアー・エデュケーションによる「THE世界大学ランキング」では、世界第68位、アジア第13位、国内第2位。 QS世界大学ランキングでは、世界第33位、アジア第8位、国内第2位。
京都大学生活協同組合 中央食堂
京都大学生活協同組合が運営する食堂。 1949年、京都大学生活協同組合が創立。
地塩寮
京都大学YMCAが設置・運営する自治寮。 大学在籍であれば、独自の選考(作文・整理表・面接)により入寮可能。 京都大学YMCA青年会館は京都府立医科大学YMCA橘井寮とともにW・M・ヴォーリズの設計により、1914年に着工。 国の登録有形文化財に登録。 1899年、京都大学キリスト教青年会 (YMCA) が創設。 1968年、地塩寮が建設。
梁川星巌と紅蘭の寓居跡
梁川星巌は志士、漢詩人として活躍した。 1789年、美濃大垣の郷士の家に生まれた。 家督を弟に譲って江戸に上京。 帰郷して私塾を営んだ。 妻の詩人紅蘭と西遊。 再度、上京し、玉池吟社を開き、詩壇の中心的存在となる。 藤田東湖、佐久間象山らと親交を深めた。 上洛して、勤王の志士らと接触。 安政の大獄で捕えられる直前、コレラに罹り病死。
安倍晴明の足跡を求めて京都御所を四季折々の花々と
まいどまいど! 今回は京都の中心地でおます京都御所を散策しまひょ、と。 京都御所の内部にもいろんなスポットがおまして、京都御苑や京都大宮御所、京都迎賓館など環境省や宮内庁、内閣府が管理。 日本の中枢とも言える場所が今やが一般開放されてるっちゅうことで、京都御所の内部を自由に散策することができますねん。 京都御所の中では、いろんな植物が生息し、野鳥も飛来。 四季折々の花々と珍しい野鳥を観察することができますねん。 ほんでまた、京都御所周辺には藩邸跡や京都の歴史に関する資料の保存、公開を目的に開館した京都市歴史資料館、京洛七福神めぐり、京都七福神めぐりの一つである青龍妙音弁財天、鯖街道の終点にあたることから、サバなどの海の生物が描かれた陶板が埋め込まれている出町桝形商店街など、見どころが満載。 中でも794年、平安京の造営に際し、平安京の京域の北を限る通り「一条大路」に堀川を渡る橋として架橋の一条戻り橋は様々な伝説が残る名所として知られ、時々、メディアに取り上げられることも。 京都も京都御所だけではない魅力をご案内していきまっせ! ほな、まいどおおきに。
頼山陽書斎山紫水明處
山紫水明処は歴史家・思想家・漢詩人・文人として活躍した頼山陽の書斎兼茶室。 1811年、広島から京都に出て塾を開いた。 転居を繰り返し、東山や鴨川の眺望を気に入り、屋敷を「山紫水明処」と名付けた。 1822年、6度目の転居先として当地が選ばれ、晩年を過ごした。 山陽は屋敷地を「水西荘」と名付け、庭にウメ、サクラ、モモ、ツバキ、ナツメなどの花木、実の成る木を好んで植えた。 1828年には書斎兼茶室を造営し、「山紫水明処」と名付けた。 これが今の「山紫水明処」となる。 茶の湯にも精通していた山陽は、鴨川の水を汲んで煎茶を入れて友人に振る舞った。 庭には鴨川の伏流水が湧き出す「降り井」が設けられた。
丸太町橋
京都市内を流れる一級河川の鴨川に架かる橋として知られ、京都市内を東西に結ぶ丸太町通りの一部。 通り沿いの西堀川に材木商が多かったため、丸太町の由来とも。 江戸時代、「丸田町通」と表記されていた。 1708年、宝永の大火の、公家町が丸太町通に接する範囲まで拡張、京都御苑の南端が丸太町通となった。 かつて木造の橋であったが、洪水のたびに流されていた。 1912年、京都市営電気軌道の敷設に伴い、鉄橋として架橋。 1976年に京都市営電気軌道が廃止され、1991年に現在の橋に架橋。
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