タカラジェンヌのまち・たからづかで優雅なひと時を。
兵庫タカラジェンヌのまち・たからづかで優雅なひと時を。
まいどまいど! タカラジェンヌが活躍する宝塚歌劇団の本拠地・宝塚大劇場がある兵庫県宝塚市。 タカラジェンヌとは、「宝塚」と「パリジェンヌ(フランス語のParisienne)」を合成した言葉として知られ、女性にとっては憧れの場所。 例年、倍率は約25倍であるため、東の東大、西の宝塚と称されるほどに毎年、人気を集めてはんねやとか。 宝塚大劇場はJR西日本福知山線、阪急電鉄宝塚線、今津線の宝塚駅付近にあり、連日、多くの人でにぎわってはりまんな。 ほんでまた、それだけやおまへん。 宝塚大劇場の近くには「ブラックジャック」「鉄腕アトム」「火の鳥」などの漫画で知られる手塚治虫記念館があり、こちらも連日、多くのファンが訪れている。 かつて、当地で過ごしたという手塚治虫氏。 どんな生活をおくってはったんやろかとの思いも馳せつつ、次に訪れたのは、台所の神様として知られる清荒神清澄寺。 清荒神駅から清荒神清澄寺までの約1kmにも及ぶ参道には多くの店舗が立ち並び、にぎわっている。 また、安産のお寺として知られる中山観音も鎮座。 歴史に文化に富んだ兵庫県宝塚市内を散策してみまひょ。
公益財団法人宝塚市文化財団所属の「たからん」。 シルクハットがトレードマーク。 性別は、犬の女の子。 性格は、 好奇心旺盛、イベントが大好き。 趣味は、宝塚市内の散歩、新宝塚音頭。 好きな場所は、ベガ・ホール、ソリオホール、文化創造館など。 好きな食べ物は、スイーツ。 将来の夢は、タカラジェンヌ clear。
西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線、阪急電鉄宝塚線、今津線の駅。 ホームにある駅名標には宝塚大劇場前の副駅名が記されている。 宝塚本線の発車メロディは「すみれの花咲く頃」が、今津線の発車メロディは「鉄腕アトム」が使用されている
作品名「クレッシェンド」
クレッシェンドとは、音楽の強弱記号の一つ(楽譜で段々強く演奏・発声せよ)。 作家は、フランス出身のアメリカの彫刻家・画家・現代美術家のアルマン・フェルナンデス。 不要となった日用品や廃棄物を集めて作品を創り(この手の作品をアサンブラージュと呼ぶ)、第二次大戦後の大量消費社会の「生産・消費・廃棄のメカニズム」への批判を表現しているという。 トランペットやバイオリンなどの楽器が集まった一つのオブジェ。
1924年、阪急電鉄宝塚駅から宝塚大劇場までを結ぶ段葛型道路として造成され、宝塚歌劇へ続く花道の意味が込められている。 桜など、四季折々の花々が咲き乱れ、見物客でにぎわっている。 周辺には、ショッピング街、花のみち1番館・2番館などがある。 阪神競馬場では、宝塚記念当日に行われる中央競馬の特別競走「花のみちステークス」のモチーフになっている。 演奏されるファンファーレは通常の特別競走用のものではなく、「すみれの花咲く頃」のアレンジ版が使用されているとか。 写真は、阪急電車を創立した小林一三氏。 電鉄系としては日本で初めてとなる阪急百貨店の他、宝塚大劇場・歌劇団の設立などに携わった。
宝塚ゆめ広場
阪急電鉄宝塚駅前に広がる宝塚ゆめ広場に設置された像。
「燕尾服の紳士」
阪急電鉄宝塚駅前から宝塚大劇場まで続く道「花のみち」に設置されたブロンズ像のひとつ「燕尾服の紳士」。
オスカルとアンドレのベルサイユのバラ
阪急電鉄宝塚駅前から宝塚大劇場まで続く道「花のみち」に設置されたブロンズ像のひとつ「オスカルとアンドレのベルサイユのバラ」。
レビュー
阪急電鉄宝塚駅前から宝塚大劇場まで続く道「花のみち」に設置されたブロンズ像のひとつ「レビュー」
火の鳥
阪急電鉄宝塚駅前から宝塚大劇場まで続く道「花のみち」に設置された漫画家・手塚治虫氏の作品の一つ「火の鳥」のタイル。 ここでは、「火の鳥」の他、「鉄腕アトム」、「ジャングル大帝レオ」、「リボンの騎士」、「ブラックジャック」がある。
宝塚歌劇団が公演を行っている劇場の一つ。 1978年、竣工し、開場。 こけら落とし公演は「ホフマン物語」。 バウ(bow:船首の意)とは、「時代の先端を行く作品を作り出していきたい」という思いが込められているとか。 規模としては大劇場より小さく主に小規模の公演が上演される。 主に、各組の選抜メンバーが出演し、主演には若手スターが起用されることが多い。 バウホールでの主演は若手スターの登竜門の役割も担っており、演出家デビューの登竜門の役割も担っているとか。
サンドイッチを製造販売する専門店。 1964年、創業。 メニューはカツサンド、フルーツサンドなど。 たまごサンドなどが人気商品。
宝塚歌劇団の本拠地。 宝塚歌劇団には、花・月・雪・星・宙の5組と専科(いずれの組にも所属しない)にわかれる。 出演は宝塚音楽学校の卒業生で、未婚女性。 団員は大きな付けまつげ、厚めのドーラン、強いアイライン等のメイクを施し、「タカラジェンヌ」の愛称で親しまれている。 男性役も女性が演じる。 男性の役を「男役」・女性の役を「娘役」と言う。 そのほか音楽コンサートも定期・不定期に開催。 1924年、開場。 宝塚歌劇の創設当初に公演を行っていた「パラダイス劇場」に代わり、1992年まで数多くの作品が上演された。 1927年、日本で最初のレビュー「モン・パリ~吾が巴里よ!~」を上演。
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宝塚歌劇団の団員養成所。 本科合わせて2年制。 昼間は実技中心の授業、夜間は個人レッスン。 内容は、声楽・バレエ・日舞・モダンダンス・タップダンス・演劇、ピアノなど。 モットーは、「清く 正しく 美しく」(小林一三氏の遺訓は「朗らかに」)。
2019年、炭酸水の発祥は兵庫県宝塚市内を流れる武庫川として知られ、その付近にあたる宝塚温泉街の一角に炭酸水の専用の自動販売機が設置。 炭酸水「ウィルキンソン タンサン」の歴史などを紹介する案内板と石碑も建立。 1889年、英国出身のジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏が武庫川の付近にあたる兵庫県西宮市で天然の炭酸鉱泉を発見、英国から必要な設備を取り寄せ、宝塚市内に工場を建設、炭酸水の製造を開始。
ウィルキンソン タンサン
1983年、アサヒグループホールディングスが商標権を獲得し、兵庫県明石市内の工場などで製造。 2017年、当地で炭酸水が湧いているところを発見、「炭酸」を観光資源にしようと宝塚市に呼び掛けた。 「ウィルキンソン タンサン」専用の自動販売機には、500ml入りペットボトルが販売。
宝塚温泉街にある宿泊施設。 市内を流れる武庫川の川沿いに建ち、周辺には阪急電車宝塚線の宝塚駅や宝塚大劇場などの観光施設がある。 施設内には和室や洋室、鎌倉時代より親しまれてきた温泉を使用した温泉施設・展望大浴場・女性限定のバラ露天風呂をはじめ、レストランなどがある。 日本料理店では和朝食膳、夕食は神戸牛などの会席料理が味わえる。
泉質は含炭酸・含鉄・含弱放射能-ナトリウムー塩化物強塩泉。 かつては武庫川の河畔に宿泊施設が立ち並んでいた。 開湯は鎌倉時代とされ、現在の温泉は1884年に発見された。 1897年、阪鶴鉄道(JR西日本の福知山線・京都線の前身)が開通。 1910年、箕面有馬電気軌道(阪急電鉄宝塚本線の前身)が開通し、翌年に宝塚新温泉を開業させた。 1912年、箕面有馬電気軌道は室内プール「パラダイス」を開業させたが翌年に閉鎖。 1914年、宝塚新温泉が閉鎖され、宝塚少女歌劇団(宝塚歌劇団の前身)の公演を開始。
宝塚ホテル
なお、宝塚温泉側の並びにある宝塚ホテルは、開業当初こそ阪急と無関係であったが、数年後に阪急が施設を引き継いでいる(阪急の宝塚温泉への進出ならびにホテル事業への参入)。
1897年、宝塚温泉では炭酸水が有名で、炭酸水に因んだ銘菓「炭酸煎餅」の販売を開始。 全国菓子大博覧会最高位で名誉総裁賞受賞、姫路菓子博「クリーム炭酸煎餅」受賞、広島菓子博「玉子煎餅」受賞。
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公設民営型温泉健康施設(日帰り入浴施設)。 2006年、リニューアルオープン。 2002年、第3セクター宝塚温泉株式会社の温泉施設「クリスタルスパリゾート」が完成。 デザインは、建築家・安藤忠雄の設計による。 2003年に閉鎖されたが、「ナチュールスパ宝塚」として2004年に再開。
JR西日本宝塚線と阪急電鉄今津線、宝塚本線の停車駅の一つ宝塚駅。 周辺には宝塚歌劇団が本拠を置く宝塚大劇場や手塚治虫記念館などがある関西屈指の人気観光地の一つ。 駅前には武庫川が流れ、対岸の宝塚温泉街を眺めていると、ふと視線を感じる。 その視線とはこちら。
薬膳料理
ネパールのカレー専門というこの一風変わった外観にひかれ、さっそく、入ってみることにした。 店内はテーブル席。 2009年、開業。 ネパールでは「アーユルヴェーダ」、「医食同源」など肉体的、精神的に健康に過ごすかを教える食文化があるといい、日本の「薬膳料理」のように特別な料理にあたるとか。
スリヤランチ
メニューは、カトマンドゥランチ、プジャランチ、チャウメンなど。 今回は、スリヤランチ。 日替わりカリー、プレーンナン、ネパール料理1品、スープ、サラダ。 辛さも選べて、プレーンナンは食べ放題であるとか。
1935年、モダニズム様式の建物として建設。 主に、宝塚音楽学校本校舎となった。 現在は、宝塚文化創造館として利用され、舞台芸術に関わる市民の活動の場となっている。
手塚治虫氏は、大阪府豊中市で生まれ、兵庫県宝塚市で過ごした。 1994年、青少年への夢を育ませる場として設立されたアニメ・マンガミュージアム。 テーマは、「自然への愛と生命の尊さ」。 手塚治虫の生涯や作品年鑑を閲覧できるほか、テレビアニメ・劇場版アニメ・オリジナルアニメの一部作品が全編全話視聴が可能。
火の鳥
手塚治虫記念館前には、漫画家・手塚治虫氏の作品の一つ「火の鳥」の像が設置されている。
有栖川宮殿下の創始された神道大教院の流れを汲む神社。 祭神は、天之御中主大神、高皇彦霊大神など。 賽銭箱上には、祈祷された初穂米が置かれている。 参拝後、参拝客は初穂米を受け取ることができ、持ち帰り後、調理も可能。
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阪急電鉄宝塚線の清荒神駅前にある清荒神市場と清荒神参道商店街。 清荒神駅前から清荒神清澄寺までの約1.2km、100店舗以上が連なる。 参道の形は龍が天に昇る様を表しているという。 清荒神では「かたやき」が名物で、買い物客でにぎわっている。 また、宝塚コロッケなどの地元特産の名物も。
清荒神参道
阪急宝塚線清荒神駅からしばらく歩いていくと小さな鳥居が見えてくる。 また、旧有馬街道と交差する。 また、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に取り上げられ、話題となった黒田官兵衛ゆかりの地として知られ、看板が設置されている。 兵庫県伊丹市に築城された有岡城で約1年間、牢獄に幽閉され、落城後に救出された。 有馬街道を通って有馬温泉で養生したとされることから、設置されることとなったという。
清荒神参道では七夕イベント
毎年7月7日の七夕が近づいてくると参道では笹や短冊が飾られ、多くの人の願いが込められている。
参道俳句展示会場
清荒神参道には途中、参道俳句展示会場と呼ばれる広場があり、ここでは一般から集まった俳句などを中心に展示されている。 清荒神参道 俳句会では、参道の途中に投句箱を設置し、清荒神参道にちなんだ俳句を募集している。 また、優秀な作品の中から選ばれたという選句集を毎年発行している。
豊臣秀吉や千利休も好んだという茶道の「菊炭」は今も生産され、ソメイヨシノの母種「エドヒガン」の群生や「台場クヌギ」の生息も。 奈良時代に編纂された「万葉集」には北摂地域を代表する河川「猪名川」「武庫川」両流域の地名が登場。 猪名川流域には、豊臣秀吉の埋蔵金が眠っているともいい、この地域の銀が豊臣家の財政を支えたとされる多田銀銅山などの鉱山跡が残る。 菊炭の伝承や茶の湯文化との結びつきからも「日本一の里山」と称されることも。
兵庫県宝塚市にある真言三宝宗の寺院(大本山)。 896年、宇多天皇の勅願寺として静観僧正により建立。 本尊は、大日如来で、国の重要文化財に指定。 1975年、画家富岡鉄斎の作品を集めた鉄斎美術館が設立。 火の神・台所の神様、特にかまどの神様として信仰を集めている。
三宝荒神社
鎮守社として三宝荒神社が鎮座。 竃の神の荒神などを祀る神仏習合から「清荒神清澄寺」の名称がある。
真言宗中山寺派大本山。 山号は、紫雲山。 本尊は、十一面観音。 インドの勝鬘夫人の姿を写した三国伝来の尊像と伝わる。 脇侍も十一面観世音菩薩で、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、西国観音を総摂すると共に法華経に説く観音の三十三権変化身を表象し、真の三十三所巡拝と同じ功徳が得られるという。
わらじ
古くは西国巡礼を志す人々が多数いた。 古くから奉納された多くの「わらじ」には、自身の足腰が苦しい旅に、最後まで耐え抜くことが出来るようにとの祈りが込められている。 巡礼途中で「わらじ」を摺り減らしたとき、先の人が奉納した「わらじ」を借用したあと、次の礼所に新しい「わらじ」を納めてゆく慣わしがあったとか。
中山寺境内
聖徳太子が建立。 日本最初の観音霊場。 当初、「極楽中心仲山寺」と称した。 現在の本堂や阿弥陀堂は豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建した。 羅漢堂には約800体の羅漢像が並ぶ。 古くから安産祈願の霊場として信仰を集め、皇室の中山一位局、武家では源頼朝、豊臣秀吉などが参拝に訪れたという。
中山寺境内
毎月、戌の日は、安産祈祷会があり、安産を願う人や鐘の緒(祈祷を受けた腹帯)の授与を求めて参詣者が訪れる。
中山寺境内
中山という山があり、山麓の中山寺奥之院には厄神明王を祀る。 本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれている。
中山寺境内
中山寺が建立された中山は小高い山になっていて、山頂付近からは宝塚市内を一望することができる。
中山寺境内にあるレストラン。 モーニングセットなどの軽食などのほか、カレーライスやうどんも楽しめる。 中でも、蓮ごはんセットが名物で、蓮の葉に包まれたご飯は絶品。
むすんでひらいて。蓮ごはん
お釈迦様の台座にもなっている極楽浄土の蓮の花。 古くから、蓮は、延命益寿の薬用野菜とされてきた。 蓮の葉には、血流を良くする効果があり、蓮の葉の香りは、癒しの効果もあるという。 蓮ごはんには、銀杏、油揚げなどが含まれている。 漢方医学で蓮根は消化を助け、食欲の回復、くこの実は、疲れ目、肝臓、滋養強壮に効果があるとされる。
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福岡県久留米市、埼玉県川口市と並ぶ日本三大植木産地の一つとして知られる山本に開設された花と緑の情報発信ステーション。 17世紀頃のイギリスの都市サリーの佇まいを再現した店舗。
あいあいパーク
グリーンショップ、見本庭園、ライブラリーカフェ、各種園芸教室、緑の園芸相談、ベーカリーカフェ、ガーデニンググッズや生活雑貨の販売など。
接ぎ木発祥の地 宝塚
安土桃山時代に活躍した地元の武士で、園芸の「接ぎ木の術」を発明した坂上頼泰。 坂上頼泰は当地付近で生まれ、豊臣秀吉に仕えた。 秀吉はその技術を称え、「木接太夫」の称号を与えた。
阪急電鉄宝塚本線の停車駅の一つ。 1972年に開設された平井車庫が付近にあり、当駅を始発・終着とする列車が多い。 1961年、車両の大型化と編成の増結を進めていた京阪神急行電鉄(阪急電鉄の前身)は、花屋敷駅と雲雀丘駅の駅間が狭かったため、統合させて開業。 ただし、当駅は旧花屋敷駅から約355m、旧雲雀丘駅とはわずか4mで、統合により廃止される予定であった花屋敷駅は一年間営業を続けた。 統合にあたり、どちらの駅を存続させるか国務大臣とも論争となり、花屋敷側・雲雀丘側双方の自治会長によるジャンケンで勝敗を決めたという逸話も。
花屋敷駅と雲雀丘駅間に雲雀丘花屋敷駅が開業
1916年、宅地開発に合わせて、雲雀丘住宅地を開発した阿部元太郎が住民とともに阪急の役員と掛け合い、雲雀丘駅が開業。 1961年、花屋敷駅と雲雀丘駅間に雲雀丘花屋敷駅が開業、雲雀丘駅を廃止。
2018年、三重県四日市市から滋賀県、京都府、大阪府を経由して兵庫県神戸市とを結ぶ新名神高速道路の一部区間にあたる川西インターチェンジと神戸ジャンクション間が開通し、兵庫県宝塚市に新たなサービスエリアが誕生した。 一般道からでも施設を利用することが可能。 コンセプトは、「宝塚モダン」。 宝塚市のシンボル「花のみち」やその周辺をイメージしたという南欧風の建物が特徴。 ちなみに、店舗面積、駐車場台数ともに西日本最大規模であるとか。 南欧ホテルの中庭をイメージしたイベント広場「パティオ」では、季節や時期に応じたフェスやショー等のイベントが開催。
宝塚らしさ
施設内では、フードコート、ショップ、ベビールーム、トイレなどが整備されている。 女性トイレではシャンデリア風の照明やパウダーコーナーが設置されたとか。 また、宝塚市を代表する宝塚歌劇OGによるレビュー・トークショーやパフォーマーによるパントマイム等のイベントも定開催される。 随所に宝塚らしさが展示され、ピアノを模した第や宝塚歌劇団の衣装、リボンの騎士などが展示、公開されている。
宝塚らしさ
随所に宝塚らしさが展示され、ピアノを模した第や宝塚歌劇団の衣装、リボンの騎士などが展示、公開されている。
宝塚らしさ
随所に宝塚らしさが展示され、ピアノを模した第や宝塚歌劇団の衣装、リボンの騎士などが展示、公開されている。
西谷食堂花ぐるま
フードコートではラーメンや海鮮丼・寿司、丼、オムライスなどを味わうことができ、西谷食堂花ぐるまでは、大阪府から表彰された「なにわの名工」西野文秀氏プロデュースによる定食・どんぶりを楽しむことができ、カツ丼や牛丼、から揚げ定食をはじめ、丹波黒どりの親子丼などが並ぶ。 その他、明治時代に創業した老舗の近江スエヒロからは神戸牛を使用した牛めしを味わうことができる。
道のみなと
フードコートではラーメンや海鮮丼・寿司、丼、オムライスなどを味わうことができ、道のみなとでは、「大起水産」監修のもと、海鮮丼と寿司が楽しむことができ、生・本まぐろ丼や海鮮丼、鉄火丼、天丼、にぎり寿司などが並ぶ。
近江スエヒロ
明治時代に創業した老舗の近江スエヒロからは神戸牛を使用した牛めしを味わうことができる。
近江スエヒロ
牛めしには牛の美味しさとごはんのボリュームで大満足。
日本中央競馬会(JRA)が運営する中央競馬の競馬場。 別名、仁川競馬場とも。 米国・イリノイ州のアーリントンパーク競馬場と姉妹提携を結び、阪神競馬場ではアーリントンカップ(GIII)、アーリントンパーク競馬場では阪神カップが開催。 1907年、西宮市鳴尾浜の両岸に作られ関西競馬倶楽部によって開催された西浜の関西競馬倶楽部競馬場と、鳴尾速歩競馬会によって開催された東浜の関西速歩競馬場がルーツ(鳴尾競馬場)。 馬券発売禁止時代、馬政局の命令により両倶楽部は阪神競馬倶楽部として合併。 1910年、関西速歩競馬場は廃止。
阪神競馬場
1916年、阪神電気鉄道が競馬場内側に野球場(鳴尾球場)を含む総合運動場を整備、翌年「全国中等学校優勝野球大会」を開催。 1937年、日本競馬会阪神競馬場と改称。 1943年、日本海軍は川西航空機の飛行場として競馬場用地の徴用を打診、日本競馬会が代替用地の斡旋と建築資材の提供を条件に応じ、開催終了。 1944年、日本競馬会は武庫郡良元村の逆瀬川付近に移転。
阪神競馬場
1946年、進駐軍が慰安用ゴルフコースに使用することを目的に接収のため、移転。 仁川の旧川西航空機宝塚工場跡地で競馬場の建設を検討した社団法人西日本競馬振興会に競馬会側が協力、同地に仮設競馬場を建設。 1949年、第一回阪神競馬が開催。 1951年、「仁川ゴルフクラブ」に転用され、開場。 1952年、米軍より逆瀬川の競馬用地が返還。 1955年、日本中央競馬会が設立。
阪神競馬場
逆瀬川の用地を宝塚ゴルフ倶楽部側が買収、逆瀬川地区から厩舎を移築、全ての施設を仁川地区に集約。 1995年、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)により被災。 京都競馬場、中京競馬場でそれぞれ代替開催。 2006年、コース改修によって、芝外回りコースは東京競馬場を上回る長さ、右回りの競馬場としては日本最大。
祭神は大山祇尊、菅原道真、火加具土神、素盞嗚尊、道祖神。 創建時期など詳細は不明。 隣接する平林寺は聖徳太子によって開基。 行者山等が連なる山脈の端に位置、山岳修験道から当地に白山権現を祀り、白山権現社と号した。 武庫郡小林村の村社であった牛頭天王社の「東氏神」に対して「西氏神」と呼ばれた。 明治時代、日吉神社へ改称。 天神社・愛宕社を神社合祀。 昭和時代、「東氏神」の素盞嗚神社(宝塚市小林、旧牛頭天王社)を合祀、宝塚神社へ改称。 社殿の恵比寿社は清荒神清澄寺より天保年間の本殿を移築。 例祭のだんじり祭は10月に開催され、住吉型地車1基を有する。 宝塚えびす(えびす大祭)1月9、10、11日。
宝塚神社
初日の出の名所とも。 平林寺は、兵庫県宝塚市にある真言宗系単立の寺院。 武庫七寺の一つ。 塔頭は東寺真言宗成就院、高野山真言宗西光院、真言宗大覚寺派成福院、真言宗大覚寺派宝寿院。 飛鳥時代、用明天皇の命で聖徳太子が創建、平安時代に如一尼が再興。 1578年、荒木村重の反乱に巻き込まれて焼失、江戸時代に再興。
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