
絶景かな!絶景かな!雪が舞い降る京のまち
京都絶景かな!絶景かな!雪が舞い降る京のまち
まいどまいど! 京都を代表する寺院仏閣っちゅうたら、金閣寺、銀閣寺、上賀茂神社、下賀茂神社、大原三千院、貴船神社、鞍馬寺などがありまんねん。 せやけど、左京区では、京都を代表する銀閣寺、下賀茂神社が鎮座しており、ぎょうさんの外国人観光客が訪れてはりまんな。 平安神宮では、平安遷都1100年を記念して整備し、内国勧業博覧会も開催。 内国勧業博覧会っちゅうたら現代でいう日本万国博覧会の前身にあたり、国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的とした政府主導の博覧会のことを言いまんねん。 第1回から3回までを東京で開催し、第4回を京都で。 第5回は、大阪市天王寺区と堺市で開催されましてん。 日本最古の本格的な首都が造営された大阪市中央区の難波宮は国にとって重要な地位を占め、奈良の平城京、京都の長岡京、平安京へ遷都後も、経済都市としての機能を果たしていたとか。 当時の東京府、京都府、大阪府という「府」は、「県」と違い、国にとって重要な地域であることを示していたんやね。 大阪市内からも京阪電車で一本。 牛若丸(源義経)ゆかりの京都・鞍馬など、左京区界隈を散策しまひょ!
銀閣寺とも呼ばれる、慈照寺。 臨済宗相国寺派の寺院。 相国寺の境外塔頭である。 室町幕府8代将軍足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺。 「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録。 銀閣は、金閣、飛雲閣(西本願寺)とあわせて京の三閣と呼ばれる。 山号は東山。 開基は足利義政、開山は夢窓疎石。
東求堂
1486年、建立。 一重入母屋造、檜皮葺き。 軒は疎垂木、組物は舟肘木。
庭園
特別史跡・特別名勝。 錦鏡池を中心とする池泉回遊式庭園。 「西芳寺庭園(夢窓疎石作庭)」(通称「苔寺」)を模して造られた。 砂盛りの「銀沙灘」、「向月台」も名物。
門前町
銀閣寺周辺にある門前町には京都名物のお土産を販売するお店や飲食店などが立ち並ぶ。
冷泉通若王子橋を始点として、今出川通銀閣寺橋まで続く 琵琶湖疏水に沿った歩道。 1890年に整備されて以降、沿道には多くの樹木が生い茂り、四季折々の景色を楽しむことができる。 日本の道100選に選定。 明治時代、文人が多く住んでいたため、「文人の道」「哲学の小径」「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」と称されることも。
銀閣寺周辺は雪景色
雪が舞い散る京の都。 川の沿道には雪が降り積もっていた。
孤立丘の吉田山に鎮座。 祭神は建御賀豆智命(武甕槌命)、伊波比主命(経津主命)、天之子八根命(天児屋根命)、比売神。 859年、藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。 987年、朝廷の公祭に預かり、991年には二十二社の前身・十九社奉幣に加列。 鎌倉時代以降、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝。 室町時代、吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始、その拠点として1484年、境内に末社斎場所大元宮を建立。 吉田兼見がかつて律令制時代の神祇官に祀られた八神殿を境内の斎場に移し、神祇官代とした。 斎場所大元宮「斎場所大元宮」は吉田神社の末社。
日本で最上位の神社
大元宮を拝むことは日本中の全ての神社を拝んだことに等しく、神社自体の格も伊勢神宮よりも上とも。 1590年、後陽成天皇の勅命により、かつて神祇官で祀られた天皇の守護神・8座(神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神)を祀る八神殿を遷座。 1872年、八神殿は皇居に移し、天照皇大神を祀る伊勢神宮こそが日本で最上位の神社とされ、大元宮は吉田神社の末社になった。
京都府京都市に本部を置く日本の国立大学。 京都大学は1897年、日本で2番目に創設された帝国大学で京都帝国大学が前身。 「自由の学風」を建学の精神とする。 京都大学は学部・研究科以外に19の附置研究所・研究センターを設置し、2010年当時は国内の大学で最多。 2020年、14の研究所・研究センターは文部科学省「共同利用・共同研究拠点」に認定、国内の大学で最多。 タイムズ・ハイアー・エデュケーションによる「THE世界大学ランキング」では、世界第68位、アジア第13位、国内第2位。 QS世界大学ランキングでは、世界第33位、アジア第8位、国内第2位。
ノーベル賞受賞者も
ノーベル賞受賞者を11人輩出し、アジアの大学で最多。 フィールズ賞、ラスカー賞、ガードナー国際賞の受賞者数も国内の大学で最多。 1947年、京都大学に改称。
京都大学生活協同組合が運営する食堂。 1949年、京都大学生活協同組合が創立。
沖縄キャンペーンも
吉田キャンパス中央食堂では麺類や丼、定食などのメニューも。
1997年、自然史、古代史、技術史を常設展示している博物館として開館。 博物館は日本の国立大学である京都大学によって運営され、学内共同教育研究施設でこれまでに蓄積されてきた学術標本、教育資料を分類登録して、広く教育に活用することを目的に設置。 施設内は、滋賀県の今津町から京都市東部にかけての花折断層や京都に生息するニホンカモシカ、ツキノワグマなどの剥製、 ボルネオの熱帯雨林のジオラマ、絶滅種田沢湖産クニマスの標本などが保存、展示されている。
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京都大学YMCAが設置・運営する自治寮。 大学在籍であれば、独自の選考(作文・整理表・面接)により入寮可能。 京都大学YMCA青年会館は京都府立医科大学YMCA橘井寮とともにW・M・ヴォーリズの設計により、1914年に着工。 国の登録有形文化財に登録。 1899年、京都大学キリスト教青年会 (YMCA) が創設。 1968年、地塩寮が建設。
梁川星巌は志士、漢詩人として活躍した。 1789年、美濃大垣の郷士の家に生まれた。 家督を弟に譲って江戸に上京。 帰郷して私塾を営んだ。 妻の詩人紅蘭と西遊。 再度、上京し、玉池吟社を開き、詩壇の中心的存在となる。 藤田東湖、佐久間象山らと親交を深めた。 上洛して、勤王の志士らと接触。 安政の大獄で捕えられる直前、コレラに罹り病死。
祭神は倉稲魂命。 1592年、豊臣秀吉が文禄の役の戦勝を稲荷大神に祈願したところ、霊験が著しかったので、伏見城内に城の守護神として稲荷社を祀ったのが始まり。 社名の由来は秀吉が稲荷大神の霊験に満足したため。 1693年、徳川綱吉が現在地に遷座された。 商売繁昌・五穀豊穣の神として崇敬を集める。
1895年、平安遷都1100年を記念して内国勧業博覧会が開催。 その目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画されたが、実物の8分の5の規模で復元。 平安遷都の指揮を執った第50代桓武天皇を祀る神社として創祀。 1940年、平安京で過ごした第121代孝明天皇が祭神に加えられた。
社殿など
社殿は平安京の大内裏の正庁・朝堂院(八省院)を縮小して復元したもの。 朝堂院の應天門、朝集堂、朝堂院の正殿・大極殿などを再現。 参道にある約24mの高さの大鳥居は国の登録有形文化財に登録。 日本庭園「平安神宮神苑」。 神苑は7代目・小川治兵衛(植治)が造った名園で、国の名勝に指定。
平安神宮内を散策
平安神宮内を自由に散策することができる。
平安神宮内を散策
平安神宮内を自由に散策することができる。
1933年、京都市美術館が開館。 1928年、京都で行われた昭和天皇即位の礼を記念して計画が始まったため、当初は大礼記念京都美術館という名称であった。 本館の設計は前田健二郎。 公立美術館としては東京都美術館に次ぎ日本で2番目。 日本画、洋画、工芸作品などが中心。
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京都市立の動物園。 愛称は岡崎動物園。 1903年、大正天皇の結婚を記念して、東京・上野動物園に次ぐ国内2番目の動物園として開園。 開園当初、らくだ、猿、鳩、鶉、雁、鴨、梟、馬、鹿のみの展示であった。 太平洋戦争が勃発して休園し、一部は地方の動物園に疎開されるも一部は処分された。 戦後、米軍接収部隊、第一軍団技術部から京都市動物園接収の要求があり、隣接する美術館が第58通信大隊の基地に、動物園はその部隊の駐車場として利用する予定であったが中止に。
図書館カフェ
児童のための音楽会や映画会などが開催され、入場者数も次第に回復。 2015年、リニューアルオープンと同時に「図書館カフェ」なども新設。
白河院はかつて藤原良房の別荘であった。 藤原良房は公卿として知られ、公家の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部として国政を担った。 以後、右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系で藤原四家の一つ北家藤原氏によって代々受け継がれてきたが、藤原師実の時、白河天皇に献上。 1075年、天皇によって当地に法勝寺が建立。 法勝寺とは尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺と並ぶ六勝寺と総称された寺の一つで、境内には金堂、講堂、阿弥陀堂、法華堂、五大堂、八角堂、常行堂などが立ち並んでいた。 中でも、池の中島の八角九重塔は壮大な高塔であったとも。
藤原良房の別荘
1185年、文治地震により倒壊、1342年の火災により焼失。 その後覚、威和尚によって再建されるも衰退し、廃寺となった。
琵琶湖と京都を結ぶ運河琵琶湖疏水の完成100周年を記念して開設された記念館。 1989年、開館。 2009年、開設20周年を迎え、リニューアル。 所蔵資料は琵琶湖疏水とともに近代化産業遺産に認定。 琵琶湖疏水とは琵琶湖の湖水を西隣の京都市へ流すことを目的として明治時代に作られた水路(疏水)。 安積疏水(福島県郡山市とその周辺地域)、那須疏水(栃木県那須野が原)と並ぶ日本三大疏水の一つ。 琵琶湖疏水は第1疏水と第2疏水を総称、両疏水は滋賀県大津市三保ヶ崎で取水。 取水後、水道用水、蹴上発電所による水力発電、農地の灌漑、下水の掃流、工業用水などに使用される。 疏水を利用した水運も行われた。
日本三大疏水
蹴上発電所による水力発電は1891年より運転開始され、営業用発電所としては日本初となった。 電力は日本初の電車(京都電気鉄道のちの京都市電・路面電車)に利用。 疏水を利用した水運は、琵琶湖と京都、さらに京都と伏見、宇治川を結んだ。 落差の大きい蹴上と伏見にはケーブルカーと同じ原理のインクラインが設置され、船は線路上の台車に載せて移動された。
京のかがやき 疏水物語
京都市の水道水をろ過・加熱処理し、アルミボトル缶に詰めた災害用備蓄飲料水。 未開封の場合、約10年間、保存が可能であるといい、琵琶湖疏水記念館内に設置された自動販売機などで販売されている。
琵琶湖疏水による舟運ルートの一区間である南禅寺と蹴上間を結んだ傾斜鉄道。 別名、インクライン。 1891年に運用を開始し、1948年まで利用された。 琵琶湖疏水は船の輸送を用途の一つとしていたが、落差が大きいままでは船が運行できない区間があった。 琵琶湖疏水ではこのうちインクライン方式が採用され、勾配のある水路にレールを敷き、これにのせた台車に船を載せ、ケーブルカーのようにケーブルで引っ張り上下させた。 蹴上インクラインは台車に直接、船を載せるドライ式。
臨済宗南禅寺派の寺院。 小堀遠州作の庭が国の特別名勝に指定。 南禅寺との縁が深く江戸幕府の外交僧・以心崇伝が住した。 江戸時代、僧録司が置かれ一塔頭寺院に留まらず、五山十刹以下全ての住職の任命権を持つ事実上の最高機関。
東照宮
重要文化財。 小堀遠州の作。 徳川家康の遺言で建立。 江戸時代、京都所司代の番所が置かれ、創建当初は日光東照宮と比されていた。 1628年、造営。 拝殿の天井には狩野探幽の筆による「鳴龍」が描かれており、さらにその欄間には土佐光起画・青蓮院宮純法親王の親筆になる「三十六歌仙」額が掲げられている。
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臨済宗南禅寺派大本山の寺院。 山号は瑞龍山。 本尊は釈迦如来。 開基は亀山法皇。 開山は無関普門(大明国師)。 日本最初の勅願禅寺で、京都五山及び鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院。 1264年、南禅寺の建立以前、後嵯峨天皇が離宮の禅林寺殿を造営。 「禅林寺殿」の名は、浄土宗西山禅林寺派総本山の禅林寺(永観堂)に由来。 離宮は上の御所(持仏堂を南禅院)と下の御所に分かれていた。 歌舞伎の「楼門五三桐」の二幕目返しで石川五右衛門が「絶景かな!絶景かな!」という名科白を廻す「南禅寺山門」由来の地。 天井画の天人と鳳凰の図は狩野探幽筆。 知恩院三門、東本願寺御影堂門と共に、京都三大門の一つ。
1890 年代に建造されたレンガ、花崗岩造りの水道橋。 設計は田邉朔郎氏。 連続するアーチ構造になっていて、琵琶湖から水を運んでいる。
京つけものを製造販売する専門店。 味しば漬、味すぐき、細ごぼうなどがある。 1902年、創業。
味しば漬
味しば漬